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◆平安時代の大和絵(やまとえ)
アジア一帯に強力な政治的・文化的影響を及ぼした唐は、9世紀末には国力が衰え、10世紀初頭には崩壊した。アジア諸地域ではこの頃から中国の影響を離れ、文化の地方化が進んだといわれている。
日本においては894年に遣唐使が中止され、10世紀には唐の影響を脱した、いわゆる国風文化が栄えるようになった。漢字をもとに仮名が考案され、和歌や物語文学が興隆し、和様書道が成立したことなどがその具体的な現れであり、大和絵の出現もこの頃と推量される。
唐絵に対する「やまと絵」の語の初出は、藤原行成の日記「権記」の長保元年(999年)10月30日条とされ、そこには「倭絵四尺屏風」に、当時能書として評判の高かった行成が文字を書き入れたことが記録されている。同じ頃(10世紀末 - 11世紀初)の成立である『源氏物語』「絵合」の巻には『竹取物語』『宇津保物語』『伊勢物語』などの物語絵が登場する。むろん『源氏』はフィクションであるが、当時の宮廷や貴族社会において日本の物語を題材にした絵画が享受されていたことが『源氏』にも反映されていると見てよいであろう。
現存する平安時代の大和絵の遺品としてまず挙げられるのは絵巻物である。四大絵巻と称される『源氏物語絵巻』『伴大納言絵詞』『信貴山縁起』『鳥獣人物戯画』はいずれも平安時代末期12世紀の制作とされている(ただし『鳥獣人物戯画』4巻のうち2巻は鎌倉時代制作)。小画面の絵巻のほかに屏風、障子などの大画面の大和絵も多数作られたことは記録からは明らかだが、現存する遺品は非常に少ない。
◆写真:平等院 中品上生 東扉
アジア一帯に強力な政治的・文化的影響を及ぼした唐は、9世紀末には国力が衰え、10世紀初頭には崩壊した。アジア諸地域ではこの頃から中国の影響を離れ、文化の地方化が進んだといわれている。
日本においては894年に遣唐使が中止され、10世紀には唐の影響を脱した、いわゆる国風文化が栄えるようになった。漢字をもとに仮名が考案され、和歌や物語文学が興隆し、和様書道が成立したことなどがその具体的な現れであり、大和絵の出現もこの頃と推量される。
唐絵に対する「やまと絵」の語の初出は、藤原行成の日記「権記」の長保元年(999年)10月30日条とされ、そこには「倭絵四尺屏風」に、当時能書として評判の高かった行成が文字を書き入れたことが記録されている。同じ頃(10世紀末 - 11世紀初)の成立である『源氏物語』「絵合」の巻には『竹取物語』『宇津保物語』『伊勢物語』などの物語絵が登場する。むろん『源氏』はフィクションであるが、当時の宮廷や貴族社会において日本の物語を題材にした絵画が享受されていたことが『源氏』にも反映されていると見てよいであろう。
現存する平安時代の大和絵の遺品としてまず挙げられるのは絵巻物である。四大絵巻と称される『源氏物語絵巻』『伴大納言絵詞』『信貴山縁起』『鳥獣人物戯画』はいずれも平安時代末期12世紀の制作とされている(ただし『鳥獣人物戯画』4巻のうち2巻は鎌倉時代制作)。小画面の絵巻のほかに屏風、障子などの大画面の大和絵も多数作られたことは記録からは明らかだが、現存する遺品は非常に少ない。
◆写真:平等院 中品上生 東扉