職場で「シニアのための英会話教室」というのが
開催されていて実務担当をしています。
上司が「皆さんの向学心に貢献しよう」というので
毎回最初の挨拶を英語でやっています。
これ、たいへん。
だってさ~(←いきなり脱力)
英語しゃべれないんだもん。
で、どうしているかというと
もちろん日本語で考えて、翻訳サイトで英文を作ってます。
唯一の方法ですよね。
あとは、度胸で乗り切ってます。
講座のテキストは「赤毛のアン」の原文です。
「グリーンゲイブルスのアン」です。
私には内容はちょっと難しくてわからないのですが
先生の解説で記憶に残ったことがあります。
村岡花子さんの翻訳は「おもしろい物語にする」という
考えでされているので、相当原文とは違う物になっているそうです。
原文ではシェークスピアなど、古典からの引用がとても多く
凝った文章だそうですが、それはサクッと削られている。
アンは孤児で施設でそだったにも関わらず
非常に物知りで、ことばの間違いもない。
(↑ よく、映画などでもスペルミスのほかに言葉遣いのミスを
教養の差みたいに言ってるけど、日本ではそういうのないよね。
日本て、相当教育が行き届いているのではないかと思うところ)
アン・シャーリーの
シャーリーというのはイギリスの貴族の名であり、
貴族であるならば、どんな育ち方をしても
知性的に育つというイギリスの古典的な考え方に基づいている。
実際、ネイティブでも間違えやすい否定疑問文を
正確に連発している。
私は、村岡花子さんの翻訳で物語として楽しみましたが
別の翻訳家の訳は全く違うそうです。
(翻訳家としては沽券に係わるので正確に翻訳している)
そういえば、アメリカンドラマを見ていると
突然、詩の暗唱をする人がいたり、
古典の一文を引用する人がいて、びっくりします。
私の考えでは、日本でいうと四文字熟語や格言を
言っているようなものかなと思っていましたが、
もう少し文学的なもので、それがわかるかどうかで
その人の教養を計っているようです。
いいんだかどうだか。
そんなことされたら、私は教養ナッシングです。
イギリスに行くのはやめておこう。
(↑ パスポートはあるけど、渡航履歴なしの人)
「対訳 赤毛のアン」という本を見つけたけど
買いませんでした。
アンを文学的に分析したら夢がこわれそうで。
あの建物や調度品などが好きなのかも・・・
翻訳物は、原作とはかなり違っているのですねぇ
どうせ原作を読むことが出来ないから、かえって良かったかもしれません。
と言うことは、日本の文学も翻訳されると違っているのかもしれませんね。
朝ドラでは、花子とアンの共通点のような所が描かれていましたね。
花子もアンも自分の名前にこだわっていた~
アガサさんの市は、市民のために教養深い題材をピックアップしていますね。こちらは、コミュニティーセンターで不定期に、行っているようです。
「アドラーの心理学」など、羨ましいです。こちらは、講師を雇うお金が不足しているらしい^^;
これも、作品の力ですよね。日本の文化に合わせて翻訳したのでは?と思います。
日本の文学がどのように翻訳されているかも興味深い問題ですね~
私の市でも、講師への謝礼はボランティア並です。
それでも、気持ちよく引き受けて下さる方が多くて
とても助かるし、感謝しています。
でも、生徒さんが集まるときもあるし、あまりいない時もあります。
そういう時は、キャッチフレーズを見直したり、頭をかかえてしまいます。もったいないですからね~。