江戸時代に生きた人々は、不必要な争いごとを好まず、とても親和性の高い社会生活を送っていたことが、モースやバードの記述から分かります。
エドワード・モース
「大学を出てきた時、私は人力車夫が四人いるところに歩み寄った。私は米国の辻馬車屋がするように、彼らもまた私の方に駆けつけるかなと思っていたが、事実はそれに反し、一人がしゃがんで長さの異なった麦わらを四本ひろい、そしてくじをひくのであった。運のいい一人が私をのせて停車場へ行くようになっても、他の三人は何らいやな感情も示さなかった。汽車に間に合うために、大いに急がねばならなかったので、途中、私の人力車の車輪が前に行く人力車のこしきにぶつかった。車夫たちはお互いに邪魔したことを微笑みで詫びあっただけで走り続けた。私は即刻この行為と、わが国でこのような場合に必ず起る罵詈雑言とを比較した。」
イザベラ・バード(秋田土崎港の祭りにて)
「警察から聞いたところでは、港には二万二千人のよそものが来ているとのことだ。しかし、祭日を楽しんでいる三万二千人に対して、二十五人の警官の一隊で十分なのだそうだ。私は午後三時に立ち去るまで、酒に酔っているものは一人も見なかったし、乱暴な振る舞いや無礼な振る舞いを一例も見なかった。群衆に乱暴に押されることもまったくなかった。というのは、人びとがひどく混み合っているところでさえ、人びとは自分から輪を作って、私の息のつける空間を残してくれたのである。」
モースやバードが体験したような、他人の感情についての思いやりは日本人が当然のこととして身につけていた善徳であり、こうした親和性こそが江戸人のNPO魂と言えるものだと思います。