江戸の町で目につくもを挙げたはやり言葉に、「伊勢屋稲荷に犬の糞」というのがあります。
「伊勢屋」は、江戸に伊勢、三河、近江、京都、堺などの西国から商人が進出し、出身地を屋号としたので伊勢屋の看板を掲げた商家が多かったためであり、「稲荷」は、元は五穀豊穣の神ですが、商工業が発展するにつれて開運の神様として広く信仰されるようになり、江戸中にお稲荷さんが祭られていたからです。
「犬の糞」は、江戸の町には沢山の犬がいてその排泄物が目に付いたからなのですが、何故そんなに多くの犬たちが生きていけたのか、その理由はエドワード・モースの記述を読むと理解することができます。
エドワード・モース
「私は人力車夫がいかに注意深く道路にいる猫や犬鶏を避けるかに気付いた。今までのところ、動物に対して癇癪をお越したり、虐待したりするのを見たことがない」
「先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を過ぎていく石を見ただけで、恐怖の念はさらに示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬はただ不思議そうに石を見るだけで、平気な顔をしていた。私は子供の時から、犬というものは人間が石を拾う動作をしただけでも後ずさりするか、逃げ出すということを見てきた。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである。」
渡辺京二
「彼らは特定の飼い主はいなくとも、町内の犬であり、共同体の下級メンバーとし扱われた。いつくしむべき小さきものだったのである。」
昨今、地域猫を見守る活動をしているNPOが各地に誕生していますが、江戸人は犬や猫は地域に当たり前に存在するものとして受け止めていたようですね。