NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

江戸人のNPO魂・番外編(町火消はNPO)

2014年01月05日 | NPO
火事と喧嘩は江戸の華。 江戸は世界でも類をみないほど火災が多発した都市であり、市中を焼き尽くす大火に何度も見舞われています。
幕府の念頭にあったのは江戸城や大名屋敷を火災から守ることでしたが、火事による幕府財政への影響が大きいことから消防制度の確立が重要課題となり、第八代将軍吉宗の時に南町奉行大岡越前守忠相が町火消を組織化しています。(享保三年:1718)

エドワード・モースは、火事が大好きで半鐘を聞くと直ぐさま火事場に駆けつけたようですが、当初は消防夫の活動が理解できずに、「かかる火事に際して見受ける勇気と、むだに費やす努力との量は驚くほどである。勇気は十分の一で充分だから、もうすこし頭を使えば、はるかに大きなことがなし遂げられるであろう。纏持ちが棟木にとまっているありさまに至っては、この上もなくばかげている。」と記していますが、何度も火事の現場を見ているうちに、「消防夫の仕事が、外国人が考えるほどつまらぬものでないことが知られた。少なくとも、疾風の中で火事の蔓延を喰い止めるには、偉大な努力と巧みさを必要であろう。」「この問題は、研究するにしたがって、消防夫の仕事に対する第一印象が誤っていたことがわかってきて、そして、かれらの手際に対する尊敬が増加する。」というように見方が変わっています。

江戸時代の消火方法は風下の家を壊して延焼を喰い止める破壊消防でしたので、地域の実情に詳しく、建物の構造を熟知していた鳶がこの任にあたりました。
火消人足はまったくの民間人であり、町入用(今でいう町内会費)からわずかな手当をもらっていただけのボランタリーな活動で、町火消はNPO的な組織でした。

ボランティアという言葉は、清教徒革命が吹き荒れる17世紀中頃の英国で自らの町や村を自らの手で守った自警団を語源としていますが、町火消は正に命がけのボランティア活動であり、NPO活動であったと言うことができるのではないでしょうか。





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