ちと思うところがあって、斉藤純一著の「公共性」を読み直しています。
彼は「公共性」という言葉が用いられる際の意味合いを次の三つに大別している。
第一に、国家に関係する公的な(official)ものという意味
第二に、特定の誰かにではなく、すべての人びとに関係する共通のもの(common)という意味
第三に、誰に対しても開かれている(open)という意味
そして、この三つの意味での「公共性」は互いに抗争する関係にもあると指摘する。
本のカバーのそでには、「公共性とは、閉鎖性と同質性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である。現在、提起されている「公共性」の理念は、異質な声に鎖され、他者を排除してはいないだろう。開かれた公共性の可能性は、どこにあるのだろうか。アーレント=ハーバーマスを批判的に継承し、互いの生を保障しあい、行為や発話を触発しあう民主的な公共性の理念を探る」とある。スゲーな!
某も、「市民社会の可能性は、どこにあるのだろうか。山岡義則=松原明を批判的継承し」なんて書いてみようかな・・・