NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

カップで育てるハーブ

2014年01月16日 | NPO
昨年から、日本NPOセンターのオフィスに大き目のカップヌードルのようなものが置いてありました。

カップで育てるハーブとやらで、数日前に水をあげたら、もうバジルの芽が出てきました。





なかなかの代物だと思うのですが、疑問なことが二つほどあります。

その一
太陽光線の入らないビルのオフィスの蛍光灯の明かりだけで、このまま大きく育つのでしょうか。

その二
メーカーのHPを見たら、バジルの調理例としてピザが紹介されていましたが、ピザは誰が用意するのでしょうか。

二つの疑問を考えていると夜も眠れなくなります。



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デンタルスティック

2014年01月15日 | ワンコの世界
ビーグルの茶々は、モノを噛むことによって「遊ぶ」「確かめる」「ストレス解消」などをしているようです。

モノを噛むことは犬が生まれつき持っている性質なので強く叱ることはできませんが、噛んで良いモノと悪いモノを教える必要があります。

そこで、しつけ用玩具のデンタルスティックを与えましたが、とても気に入ったようで一人遊びに最適です。

ムズムズしていた乳歯も残り1本になりましたが、すべて永久歯になったら大人の仲間入りなんでしょうね。





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菜の花ウォッチング

2014年01月14日 | 日記
一昨日から古巣の二宮町で「吾妻山 菜の花ウオッチング」が始まりました。

JR二宮駅の直ぐ北側にある標高136mほどの吾妻山公園、この山頂には日本一早く咲く菜の花畑があります。

晴れた日には、富士山と相模湾を背景に菜の花がを見ることができるという絶好のロケーションにあります。

2月9日までの毎週末には、二宮駅前にある町民会館で地場産品の販売会も開催され、私が開発に関わった二宮ブランド商品も沢山並びます。

さーて、今度の週末には二宮三昧といきましょうかね。


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どんと焼き

2014年01月13日 | 日記
正月の松飾を氏神様のどんと焼きで焚き上げてもらいました。

神奈川には、三浦海岸のおんべ焼き、大磯の左義長など大掛かりなものがありますが、やはり地元が一番ですよね。







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アイスチューリップ

2014年01月12日 | ワンコの世界
昨日は、好天に誘われて横須賀にある「くりはま花の国公園」にワンコ連れで行きました。
ここは自然の地形を生かした緑豊かな公園で、約58万㎡もの広さがあり、春にはポピーが、秋にはコスモスが100万本も咲き誇る花畑があることで知られています。

この季節のお花畑はお休み中ですが、今回のお目当ては「アイスチューリップ」です。
チューリップは、土の中で冷凍保存した球根さんを外に出して植えると、気温差で球根さんは春が来たと勘違いして花を咲かせるという特性を持っています。
アイスチューリップはこの特性を利用したもので、春なら花期は1週間ほどですが、寒いこの時期には2ケ月近くも楽しめることができるのです。

そんでもって、ワンコはゴジラの襲撃を受けて、ビックリ仰天でした!











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奥が深いNPO・NGOの世界

2014年01月11日 | NPO
昨日は、NPO・NGO杯ボーリング大会が行われました。

エントリーしたのは143名、わずか2ゲームを投げるために仙台、福島、富山などから東京まで駆けつけるのですから驚きますよね。

それにも増して参加者の面々の多彩なこと、法被、ヘルメット、被り物!!!

NPO・NGOの世界は何とも奥が深いのであります。














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NPONGO杯ボーリング大会

2014年01月10日 | NPO
今日は、待ちに待った「NPONGO杯ボーリング大会」です。
こちとらのボーリング歴はかれこれ50年、ボーリングの神様と言われたドン・カーターの肘を曲げたままのフォームを真似した世代ですから、楽しみにしていました。

が、しかし。昨日あたりから右手の中指の第二関節に違和感が・・・
今日は、受付係に専念というトホホなことになりそうです。(恥をかかなくて済むという話もありますがね。

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茶々の仕業

2014年01月09日 | ワンコの世界
「玄関のシューズを廊下まで運んだ人は誰ですか?」

「はーい、茶々でーす!」とは言わないけど、アンタの顔に書いてあるんだよね。






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三浦七福神めぐりチョコ

2014年01月08日 | NPO
日本NPOセンターの新春合宿は、プログラムがぎっしりと詰まっていて自由時間は全くありません。

三浦七福神めぐりでもしたいところでしたが、替わりに「三浦七福神めぐりチョコ」を買って我慢しました。
とても可愛いのですが、神様たちを食べるのって何だかビミョー・・・

でも、家に帰ってからNHKテレビのクローズアップ現代を見ていたら、仕事でお付き合いをいただいている、いわて連携復興センターの葛巻さんが我がセンターの土屋さんと写っていた! 
これって、七福神のご利益かも知れませんね。





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新春合宿

2014年01月07日 | NPO
昨日から、日本NPOセンター
恒例の新年合宿で三浦海岸にきています。房総半島に上がる御来光を拝んで、今日は夕方までガッツリと来年度の事業計画についての議論を続けます。




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茶々は生後6ケ月!

2014年01月06日 | ワンコの世界
ビーグルの茶々は、今日で生後6ヶ月となりました。
初詣は葉山の森戸神社にお参りして健康を祈願、ペット御守をいただきました。
レア物のマーメイドキティ御守は誰のでしょうか? 当然、私のです!







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江戸人のNPO魂・番外編(町火消はNPO)

2014年01月05日 | NPO
火事と喧嘩は江戸の華。 江戸は世界でも類をみないほど火災が多発した都市であり、市中を焼き尽くす大火に何度も見舞われています。
幕府の念頭にあったのは江戸城や大名屋敷を火災から守ることでしたが、火事による幕府財政への影響が大きいことから消防制度の確立が重要課題となり、第八代将軍吉宗の時に南町奉行大岡越前守忠相が町火消を組織化しています。(享保三年:1718)

エドワード・モースは、火事が大好きで半鐘を聞くと直ぐさま火事場に駆けつけたようですが、当初は消防夫の活動が理解できずに、「かかる火事に際して見受ける勇気と、むだに費やす努力との量は驚くほどである。勇気は十分の一で充分だから、もうすこし頭を使えば、はるかに大きなことがなし遂げられるであろう。纏持ちが棟木にとまっているありさまに至っては、この上もなくばかげている。」と記していますが、何度も火事の現場を見ているうちに、「消防夫の仕事が、外国人が考えるほどつまらぬものでないことが知られた。少なくとも、疾風の中で火事の蔓延を喰い止めるには、偉大な努力と巧みさを必要であろう。」「この問題は、研究するにしたがって、消防夫の仕事に対する第一印象が誤っていたことがわかってきて、そして、かれらの手際に対する尊敬が増加する。」というように見方が変わっています。

江戸時代の消火方法は風下の家を壊して延焼を喰い止める破壊消防でしたので、地域の実情に詳しく、建物の構造を熟知していた鳶がこの任にあたりました。
火消人足はまったくの民間人であり、町入用(今でいう町内会費)からわずかな手当をもらっていただけのボランタリーな活動で、町火消はNPO的な組織でした。

ボランティアという言葉は、清教徒革命が吹き荒れる17世紀中頃の英国で自らの町や村を自らの手で守った自警団を語源としていますが、町火消は正に命がけのボランティア活動であり、NPO活動であったと言うことができるのではないでしょうか。





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江戸人のNPO魂・番外編(寺子屋はNPO)

2014年01月04日 | NPO
年末年始は、「逝きし世の面影」にみる江戸人のNPO魂」について取り上げてきましたが、今日と明日は番外編として石川英輔・田中優子共著の「大江戸ボランティア事情」により江戸人のNPO魂をご紹介したいと思います。





福沢諭吉は明治11年の著作「通俗国権論」に、「凡そ国の人口を平均して、字を知る者の多寡を西洋諸国に比較しなば、我日本を以て世界第一等と称するも可なり」と書いています。
専門家によると、嘉永年間(1850年頃)の江戸での就学率は、70%から86%と推計されています。同時代、世界で江戸に匹敵する大都市はロンドンとパリですが、イギリスの大工業都市での就学率は20~25%、フランスでは婚姻届に署名できた人の比率は4割に満たなかったといわれています。

日本の就学率がこれほど高かったのは何故でしょうか。武士は各藩の藩校で学びますので識字率は100%ですが、町民や農民は寺子屋に通い「読み・書き・そろばん」を習いました。
全国には1万を超える寺子屋がありましたが、その経営者(先生)は僧侶、神官、武士、平民で、私学でありNPOによる運営とも言えるものでした。寺子屋の普及は世界的にみても特筆すべきもので、識字率を高め、文化のすそ野を広げることに貢献していたのは、正にNPOであったわけです。

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「逝きし世の面影」にみる江戸人のNPO魂(その6)

2014年01月03日 | NPO




江戸の町で目につくもを挙げたはやり言葉に、「伊勢屋稲荷に犬の糞」というのがあります。
「伊勢屋」は、江戸に伊勢、三河、近江、京都、堺などの西国から商人が進出し、出身地を屋号としたので伊勢屋の看板を掲げた商家が多かったためであり、「稲荷」は、元は五穀豊穣の神ですが、商工業が発展するにつれて開運の神様として広く信仰されるようになり、江戸中にお稲荷さんが祭られていたからです。
「犬の糞」は、江戸の町には沢山の犬がいてその排泄物が目に付いたからなのですが、何故そんなに多くの犬たちが生きていけたのか、その理由はエドワード・モースの記述を読むと理解することができます。

エドワード・モース
「私は人力車夫がいかに注意深く道路にいる猫や犬鶏を避けるかに気付いた。今までのところ、動物に対して癇癪をお越したり、虐待したりするのを見たことがない」
「先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を過ぎていく石を見ただけで、恐怖の念はさらに示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬はただ不思議そうに石を見るだけで、平気な顔をしていた。私は子供の時から、犬というものは人間が石を拾う動作をしただけでも後ずさりするか、逃げ出すということを見てきた。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである。」

渡辺京二
「彼らは特定の飼い主はいなくとも、町内の犬であり、共同体の下級メンバーとし扱われた。いつくしむべき小さきものだったのである。」

昨今、地域猫を見守る活動をしているNPOが各地に誕生していますが、江戸人は犬や猫は地域に当たり前に存在するものとして受け止めていたようですね。
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「逝きし世の面影」にみる江戸人のNPO魂(その5)

2014年01月02日 | NPO




江戸時代に生きた人々は、不必要な争いごとを好まず、とても親和性の高い社会生活を送っていたことが、モースやバードの記述から分かります。

エドワード・モース
「大学を出てきた時、私は人力車夫が四人いるところに歩み寄った。私は米国の辻馬車屋がするように、彼らもまた私の方に駆けつけるかなと思っていたが、事実はそれに反し、一人がしゃがんで長さの異なった麦わらを四本ひろい、そしてくじをひくのであった。運のいい一人が私をのせて停車場へ行くようになっても、他の三人は何らいやな感情も示さなかった。汽車に間に合うために、大いに急がねばならなかったので、途中、私の人力車の車輪が前に行く人力車のこしきにぶつかった。車夫たちはお互いに邪魔したことを微笑みで詫びあっただけで走り続けた。私は即刻この行為と、わが国でこのような場合に必ず起る罵詈雑言とを比較した。」


イザベラ・バード(秋田土崎港の祭りにて)
「警察から聞いたところでは、港には二万二千人のよそものが来ているとのことだ。しかし、祭日を楽しんでいる三万二千人に対して、二十五人の警官の一隊で十分なのだそうだ。私は午後三時に立ち去るまで、酒に酔っているものは一人も見なかったし、乱暴な振る舞いや無礼な振る舞いを一例も見なかった。群衆に乱暴に押されることもまったくなかった。というのは、人びとがひどく混み合っているところでさえ、人びとは自分から輪を作って、私の息のつける空間を残してくれたのである。」

モースやバードが体験したような、他人の感情についての思いやりは日本人が当然のこととして身につけていた善徳であり、こうした親和性こそが江戸人のNPO魂と言えるものだと思います。
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