塩屋崎灯台は震災で消灯、11月30日約9か月ぶりで再点灯された。しかし、通路や海抜49mの南斜面の崩落で、通行止めが続き、このほど修復が終わり、昨日、美空ひばりのみだれ髪の歌碑の立つ雲雀之苑で、福島海上保安部主催復旧完成式典が行われた。
また、昨日の式典に合わせたかのようにNHKラジオあさいちばん5時台で「音にあいたい」北九州市八幡在住いわき出身の根岸さんが灯台を懐かしむお便りであった。そして、「喜びも悲しみも幾年月」は1956年塩屋崎灯台長の妻田中きよさんの手記が雑誌に掲載、木下恵介監督の目に留まり自作した灯台守の25年間夫婦生活を描いた映画で、塩屋崎始め、御前崎など数カ所の撮影、若山彰の歌唱で大ヒットしたことなど放送していた。
私も震災前には薄磯海岸の全景を昔灯台守の生活に欠かせない畑があった北向きから撮影している。震災後撮影したいと願っていたがかなわず、ようやく可能になった。灯台の灯りは亡くなった薄磯の120名や多くのいわき七浜の犠牲者の鎮魂、復興の希望の光となってほしいものである。
23日今日12時半撮影(灯台階段103、灯火海抜73m、光到達距離22海里=41㎞、展望台出入口大変狭いから注意)、午前8時から午後4時まで一般開放、中学生以上200円の寄付で見学が可能。
また、昨日の式典に合わせたかのようにNHKラジオあさいちばん5時台で「音にあいたい」北九州市八幡在住いわき出身の根岸さんが灯台を懐かしむお便りであった。そして、「喜びも悲しみも幾年月」は1956年塩屋崎灯台長の妻田中きよさんの手記が雑誌に掲載、木下恵介監督の目に留まり自作した灯台守の25年間夫婦生活を描いた映画で、塩屋崎始め、御前崎など数カ所の撮影、若山彰の歌唱で大ヒットしたことなど放送していた。
私も震災前には薄磯海岸の全景を昔灯台守の生活に欠かせない畑があった北向きから撮影している。震災後撮影したいと願っていたがかなわず、ようやく可能になった。灯台の灯りは亡くなった薄磯の120名や多くのいわき七浜の犠牲者の鎮魂、復興の希望の光となってほしいものである。
23日今日12時半撮影(灯台階段103、灯火海抜73m、光到達距離22海里=41㎞、展望台出入口大変狭いから注意)、午前8時から午後4時まで一般開放、中学生以上200円の寄付で見学が可能。