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ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

ミッドナイトトーク加藤登紀子至福の時

2014-02-19 08:42:51 | 日記
2/6放送、私の至福の時は最果ての地に旅すること。旅の好きな人は根室とか礼文島の最果ての地に集まるという。

風が強い稚内から礼文島へしかし、強風で飛行機が飛ばず船で行き民宿に荷を置いて、浜を一人で歩くと神社が見え登と木がなくクマザサが風でオーケストラのようになびき、鳥居をくぐると一瞬風が止んだ。なんとこんなことがあるんだと自然の魔術に驚いたという。こんな経験から、ギターを抱えて羅臼の山頂で知床旅情を歌ったが、真っ赤な夕日に地吹雪が舞うところであったと。

その知床旅情の歌が、最果ての笛の音から始まるバージョンの曲を聞いた。

宮崎の岬に野生の馬がおり、仕事の後で行ったが、人を全然気にせず、勿論野生だから自給自足で、背を地に擦りつけ害虫から身を守る掃除をしたり、オス同士でいがみ合ったり、ペアになったりの自然を楽しんだ。

3000mの高地ボリビアを歩いたり、ブータンの高所でのコンサートでも、僧院の修行場に行って清純な気持ちになりここで修行することに納得し、高所で酒はダメと思っていたが、坊さんは一杯飲んで歩くので、慣れれば大丈夫と分かったという。また、チベット仏教の幡は風でヒラヒラするとお経の一節に相当するという。若い時ブルトーザーで登り富士山頂で歌ったが、スタッフは高山病にかかり、大変な思いをした。しかし、今年は歩いて登り富士山頂で歌いたいと。最後に「富士山だ」の曲で締めくくって前半を終えた。

歌謡プレミアム平尾昌晃の名曲を歌う

2014-02-18 13:30:53 | 日記
昨夜8時からBS日テレ歌謡プレミアム「平尾正明晃の名曲を歌う」を見た。

平尾昌晃&西田あいの「カナダからの手紙」デュエット曲で始まり、北山たけし、井上由美子、森山愛子が加わり、平尾さんの人となりの歴史、ロカビリー時代から1957年石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」に出演、58年にリトルダーリンでソロデビュー、ロカビリーが去り、新人布施明「おもいで」を再レコーディングがヒット。布施明「霧の摩周湖」、梓みちよ「渚のセギョリーナ」レコード大賞作曲賞に・・・

「カナダからの手紙」は行ってみたいところとして人の話からイメージして作ったとか「おもいで」の裏話から、「霧の摩周湖」の背景で、師匠北島の北川たけしが歌いまくった。

また、梓みちよのステージを見て、「二人でお酒を」は二人でお茶をでテンポが良く明るく腰を下ろして歌ったもの、師匠川中美幸から歌手の前に人として可愛がられるようにと井上由美子が2番から腰を下ろして熱唱した。そして、最後に、アンルイス「グッパイ・マイ・ラブ」をどんな人の曲で歌いこなす森山愛子が裏話を秘めて挑戦した。

私はその後の「フォレスタ」のこころの歌を楽しみにしており、滝廉太郎の花など聞いた。

雪と氷の国ロシアの音楽と文化

2014-02-18 10:19:07 | 日記
1/31放送、駐日ロシア大使タチヤナ・ゴロホさんと二期会特にロシアに関係するバスオペラ歌手岸本力さんゲストでトークが進行した。

まず、ロシア国家は歌詞のないもので、オリンピックでは唄えないという声から2000年に歌詞の入った国歌が制定されたという。その曲から始まった。また、岸本さんはボルガの舟歌など大きな声で唄うことから日本人にも広まったという。

スキージャンプ団体戦は日本時間の18日今朝、葛西選手ら4人は金目指したが銅メダルに終わった。
ロシアの冬季五輪が初めてのソチは、地理的には亜熱帯でリゾート保養地であり、天候は湿気が多く、日本人好みの温泉地である。2/7~23の五輪は黒海に近い所と山の雪の多いところ2か所で行われるという。そして、聖火はバイカル湖の水中をツツに入れてリレーしたと。

また、音楽から衣装から魅了するフィギュアスケートはロシアの作曲者のものが多く採用されているという。町田選手も火の鳥、ロシアコーチの浅田選手も、ラフマニノフのロシアの鐘を意味する運命の曲であるとか。

そして、ロシア国民ならだれでも知っている「百万本のバラ」の歌手が歌う「愛するならあきらめない」を聞いて前半を終えた。
パラリンピックは3/7~16まで行われる。

大雪で交通マヒ物流滞る

2014-02-17 08:52:19 | 日記
今日17日になってもJR東北線で一部区間運休と、昨日、白河66㎝、福島34㎝、新聞も配達なし、今朝、昨日の一部コピー記事一枚4頁と朝刊4枚16頁が届いた。

ここいわきは8,9日の大雪で浜は10㎝弱の降雪、この大雪も15日15:30で998hPaで雨、いわき近くに996hPaの低気圧があった。16日は朝から晴れで低気圧は9時三陸沖、そして北海道沖へ976hPaとさらに発達した。いわきは雨で積雪なしでも、強風が吹き荒れた。

しかし、国道4号福島市浜田町では車を降りて歩く人、国見の渋滞で動けないドライバーに缶コーヒーなど差し入れ、コンビニへも物流が滞り、パンなどの食料品は空に、県内でも各地で除雪が追い付かず渋滞していた。

この記録的な大雪で、屋根の下敷きで死亡するなど埼玉、群馬など8県で10人が死亡、1258人が負傷した。特に、甲府や榛名からの便りでは車を2日がかりで掘り出したという。東名の浜名の渋滞も報じ、一時間一度のエンジン始動で暖を取り寒く眠れずに、福島市では広島の除染作業員は車を前後に動かした跡があり、一酸化中毒で軽自動車内で死亡と。

アメリカ東部でも大雪で10人が死亡と報じていた。いわきの春の大雪は3月で、杉の木が折れる水雪が降る。しかし、今年はカラカラ天気が25日も続いたと思ったら、雨がきた。郡山市仮設住宅で未経験の大雪に見舞われた富岡避難者には大変申し訳ないが、普通タイヤで走行する東北の湘南いわきの気象をかみしめている。

画像のイメージが意味するもの

2014-02-16 08:11:37 | 日記
歴史から眺望すると、日露戦争、1994年ソフィア王妃芸術センター3Fで私が見たゲルニカや湾岸戦争などの映像は報道のイメージが地上から空中へと変化し、無差別爆撃による航空写真から生々しい映像が短時間で世界に広まった。また、市民の写真は大衆化して、思い出に役立ち、誰かの思い出としての保持の必要なメディウムになった。
記録としての思考や表現技術の探求の材料として、ブルートスは写真を「人間における持続するもののスナップショット」と言って、写真や映像のメカニズムが深く影響していると指摘された。

多くの場合の写真は、卒業式、結婚式、葬式といった節目の儀礼の記録に欠かせないものであった。
しかし、過去の映像が、時間を超えて現在に現れ、過去からの距離は見る人の知覚や感情と切り離すことはできない。即ち、3.11の原発事故は、科学技術の進歩する文明の未来と環境破壊という未来を相反する時間に引き裂いてしまった。

人は、朝起きて昨日と何ら変わらない窓の外の景色を見て安心する。科学技術の進歩でより快適な生活を約束されても、戦争、災害、放射能汚染の負の遺産からその映像には残酷さがあり、生と死の境界線上で撮影した映像は一度切りの人生で見つめなければいけない。

9.11で現場に居合わせたカメラマンがその場の風景を生かすために一枚も写真を撮らなかったという。撮ればイメージとなって凍ってしまい写真はイメージを殺してしまうからと。写真は3.11の15:36撮影約8mの津波がひけ3m近く残る四倉海岸。