オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

お疲れ弁当

2012-10-22 | Weblog

10/22(月) 昨日の日曜日、疲れが抜けない。そんなことから、午前中は朝からビールを飲んでだらだらと過ごす。祭りの片づけなどもあり、午後から会社に出た。akagiとTokio が出勤していた。

祭りの賑わいとは打って変わり、人形町の会社界隈は静けさを取り戻し、森閑として淋しささえ感ずる。隣の「高松」が、仕込みのためかドアが開いていたので、御礼を云う。何しろ祭りの二日間とも、店仕舞いの後に顔を出しては世話を掛けた。(もっぱら、Usuiのオヤジだが)

屋台で使った鍋や焼き台、酒から什器の類まで片付ける物は散乱しているが、akagiが私がやりますと自主性を発揮した。感心ではないか!と、任せた次第。

そんなことで、自分の仕事に掛かったが、7時を過ぎて飽きてしまった。延ばせるものは先送りとばかりに、Tokioと一緒に退社して真っ直ぐにご帰還。本当は、LO CARBOが開いていれば、美味いハイボールを一杯やってから帰るつもりでいたが、マスターの姿が見えなかった。

週明けの出勤日となる今朝だが、疲れの抜けが十分とはいえなかった。起床も蒲団の中で愚図ついて遅くなった。それでも、弁当だけは作ろうと準備する。

今朝の弁当は、週末に届いた佐賀の酵素豚肉。この、旨みがありながら癖のないヒレ肉をソテー、薄切のシャブ用の肉はモヤシとタレ炒めに。

                 

後は、煮卵とホーレンソウ・満願寺の炒め焼き。オリーブオイルで炒め、醤油味と塩胡椒味で調えた。

                        

今朝の弁当は三個、私は少々飯断ちをしなければならぬ。が、新米が美味い時期に辛いわな~・・・。

                  

 

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祭りの夜は更けゆく・・・

2012-10-20 | Weblog

10/20(土) 今年の祭り「べったら市」も幕を閉じ、屋台の火も消えた。我が社のメンバーも撤収を終えて、上のフロアーで打ち上げのささやかな宴が盛り上がっている。心配であぅた天候や土曜日ということから、気にした人でもそこそこ、良き祭りであった。

                         

何よりも嬉しいのは、久方ぶりに会える先輩や仲間たちとの邂逅。忙しくもありながら愉しいひと時を過ごすことができた。個別に案内をすべき友人・知人数多あったが、しきれなかった失礼は詫びるしかない。

                     

短い時間の中で準備や手伝いをしてくれた会社のメンバーには感謝するばかり。また、この祭りにお越しいただいた皆々さまに深謝したい。

今年もまた、飯作りに終始したきらいはあるが自分の好み故、致し方ない。何よりも、天候に恵まれた二日間であったことにホッとする思いである。後は、それぞれが、それぞれに楽しんでくれれば言うことなしの心境。

                      

準備期間を含め、勝手なことを云い、飯を炊き芋を蒸かし、オムスビを握り、猪汁を炊き、ただそれだけのことではあるが、その中でそれぞれが役割をはたしてくれた。昨年退社した、Yurika嬢も昨日は朝から応援にきた。退社して数年となる、NやYなど元気な姿を見せてた。何のお構いもできないが、一杯のビール、一本の焼き鳥で笑顔を見せてくる・・・・。今年も祭りをやってよかった、と思うのであった。

                      

祭りの余韻が冷めぬのか、開けえた窓から若者たちの嬌声が聞こえる。若者はエネルギーに満ちて祭りのエネルギーを酒ととともにたぎらせる、私は静かに、祭りとともに訪れてくれた人々との思い出にひたっている・・・。

                          

古人が、祖先を氏神を祭る、その一つの効用・一端が分るるような気がする。もう、そんな年齢に近づいた云うことであろうか・・・・。

何れにせよ、今年の祭りは幕を締めたのであった。

 

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ベッタラ市始まる

2012-10-19 | Weblog

10/19(金) 愈々今年の祭り、通称ベッタラ市が始まった。昨夕から屋台への出し物の準備、試食会と称して酒を飲み、最後は隣の蕎麦屋「高松」にて一杯やってしまった。暖簾を下ろした店で愚図愚図と飲んでしまうとは、困った所業だ・・・。家に帰り着いたら零時を回っていた、今朝はお疲れ状態也。

疲れた体で弁当を作る、何とも動きが鈍いのであった。今朝は、サトイモの煮物、自家製鮭の粕漬け、ポテトサラダ、卵焼きであった。

                 

 

出勤時に、祭りの準備状況を視察する。準備が整いつつあった。我が屋台は、ミャンマーの小物や、古い文庫本まで並べ一体何やなのか判らん状態。会社では、昼時が勝負の「松茸弁当」の準備が整いつつあった。

                       

売り物の弁当が終わった後、スタッフ用に「土佐風五目飯」と「オムスビ」を準備する。それと珍しいだろうと「鮎寿司」を作ってみたが・・・。4~5時間立ちっぱなしで飯作りに専念したら、疲れ果ててしまったのだ。これじゃ今夜見えてくれる客人の相手も適わぬ・・・。

                         

 

祭りは、今日と明日の二日間、毎年10月19・20日の両日である。今年も盛況であることを願っている。

 

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残り飯で・・・

2012-10-18 | Weblog

10/18(木) 今朝も残りご飯が釜の中で叫んでいた「私を使って頂戴・・・」と。そこで、オムライス弁当の登場っとなった。冷凍の鶏肉を刻み、タマネギ・人参・シメジ・ピーマンの野菜達を刻む。鶏肉を炒め、野菜を炒めて味付けをする。ソースにケチャップ・塩胡椒・・・。菜は、小松菜の卵とじだけとなった。

                      

かくして、二人前の弁当となった。今朝は、K君の弁当は持たない。朝から築地市場に直出し、明日からのベッタラ市で使うカップや入れ物、食材の仕入れに向かった。今夕は、明日のために予備調理をして試食会。そんなことからKの食料の心配はないのだ。                                  

9時築地の交差点で、USUI&Akagiの両氏と場内市場のやっちゃ場にて松茸や土佐の四方竹を買う。その後、愛養にてコーヒー。場外市場に移動してカップや皿、折箱などを贖った。祭りの準備で、大忙しである。

                         

11時に帰社。昼前に友人のO社長が訪ねてくれた。祭りに来れないのでと、酒を届けてくれる。ランチとコーヒーを共にして、暫しの歓談。友人と云うのはありがたいものである。

地球市民の会東京として、かつて協力を頂いた方々に、今取り組んでいるミャンマープロジェクトに関連した報告会や募金への協力のお願いを出してあった。早や、十名近くの方からの振り込みがあったと、事務局長のSATOU 君から報告を受けた。申し訳ないという思いと、有難いと云う思いが交差する。

明日からのベッタラ市に出店する屋台でも、ミャンマーの小物販売、売り上げの20%の寄付をすることとしている。が、売り上げの方は余り期待できない。祭りで行き交う人々が、少しでもミャンマーの少数民族や途上国の農村地帯へ心を寄せてくれたらいい・・・。

 

稚内の「悠遊フォーム」のことも未だ書いていない。少し落ち着けたら記したいと思う。最北の大地に、己の理想郷を作ろうと、たおやかに苦闘している人の話を・・・。

 

 

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句碑開きなど、など・・・

2012-10-17 | Weblog

10/17(水) 先週金曜日、朝の便で高知へと向かった。その前に、何時ものように弁当を作る。ただし、会社に出ないので作るのは二つだけ。

月曜日は、残り飯があったのでチャーハン弁当となった。菜は、鶏肉煮や小エビ・ホタテと野菜の中華風炒めなど・・・何があっても、弁当だけは忘れないのであった。この日、東京プリンスホテルでの取材を終えて、羽田空港へ。福岡を経由し、目的地の佐賀に着いたのは7時半ごろ。

                               

ホテルにチェックイン後、何時もの「寄ん処」へと向かう、何度行っても地名も場所も覚えちゃいない…電話で訊きながらである。此処で所属するNPOのメンバーと待ち合わせ。取り組んでいるミャンマーのプロジェクトの進め方について意見交換し、宿題を課した。(ちょっと生意気な言い方だが)

昨日は、宿泊したホテルで午後から取材。地元佐賀市で地域活動に取り組むOBの取材であった。カメラマンは、NPOの事務局長から地元の方を紹介してもらった。昼にフロントで待ち合わせ、短い打ち合わせをする。インタビュー後は、堀端での撮影。この日、土曜日の高知と同様に佐賀も暑かった。佐賀発の最終便で帰京。

 

 「句開き・・・」                           

金曜日の午後のことに戻る。実家に着き、翌日のイベントの準備を手伝った。従姉妹やお手伝いの皆さん、母の池坊の教え子などてんてこ舞であった。年寄りが何を好き好んでと思うのだが、明日は両親の「句開き・卒寿祝い」挙句に、甥・姪にもこの機会に会いたい『生前葬のつもりで』と、母が言い出して大仰なイベントとなった。

                           

翌日は快晴、小宅の小庭に設えた句碑、部屋には花を活け、父の書を飾り、客たちを迎える。妹の孫、7歳と2歳が句碑開きの綱を引き、六十人ほどの客を迎えた。庭で記念撮影をし、乾杯。部屋に入り、土佐ならわの皿鉢料理で宴会となった。久しぶりに従兄弟・従姉たちとも顔を合わせることができた。しかし、疲れた・・・のであった。

                   

翌、日曜日は最終便で帰京だったが、後片付けの後は、お決まりの畑へ。焚火をし、枯れ枝を燃やす。栗は無いであろうと思っていたが、都合百個ほど拾った。中々色艶のいい栗であった。中にはウサギでも齧ったのか、歯型の付いた栗も何個ある。夏から落ちた栗のイガを集めて燃やす。ついでに焼き栗にして味見。秋茗荷も終わりかと思えば、石垣の下に少し残っていた。

       

故郷の川は穏やかに流れ、庭のコスモスは咲き誇り、万華鏡の如くに鮮やかでありながら秋の空気の中に清々しい。この季節が一番いいのかもしれない。名物の安田川の鮎は、猟期も余すところ二日、産卵色に色付いた腹、脂も乗り美味い。

                    

 

そして水曜日の今朝、栗ご飯となった。田舎から少し持ち帰った畑の栗、今年初めて作る栗ご飯である。菜は、これも畑で採れた南瓜のシンプル煮と茄子・ピーマン・茗荷に挽肉を加えた味噌炒め、豚肉とタマネギ・モヤシの中華風炒め、以上三品であった。

               

炊き上がった栗の香り・色艶よし、菜とのバランスも上々と自画自賛し、残り飯を食したのであった。五穀断ちをして体質改善と、判っちゃいるのだが手が動き、脳が指令を出すのであった。

                    

秋はいいなあ~・・・。明後日からは「ベッタラ市」、準備は明日に一挙に行う予定。猪鍋と土佐風チラシ寿司は社内用に、安納芋・松茸ご飯・焼き鳥・酒・s焼酎は屋台で出す。が、心配は天気と土曜日がどんな人出となるか・・・。鮎寿司も少し作るか、珍しいだろ・・・。

 

 

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小忙しい・・・

2012-10-11 | Weblog

10/11(木) 昨夜のアルコール摂取量が少なかったのか、早めのご帰還の所為か今朝は早くから目覚めた。蒲団の中で暫し、メニューを考えるが、まとまらず・・・。台所に立ち、冷蔵庫を改めて決めた。決めたとは云いながらも、途中で変わることもしばしばなのだ。

先ずは「ツクネとサトイモ・大根の煮物」、次いで「小エビとジャガイモ・万願寺のカレー炒め煮」、一切れ残っていた「生鮭の衣炒め」「卵焼き」となった。次女が来ていたのでオムスビを作る。オムスビの具は、梅干しとオカカとシンプルな二種である。

                   

米は四合を炊き、オムスビ二個と弁当を三つが今朝の戦果となった。菜が残ったので、これで珍しくご飯を一杯食した。

                   

 蕎麦の「高松」、そして「ちょっぷく」

昨夜は、某社の某氏が部下を従えて来社。今後の仕事の打ち合わせとのことであったが、雑談に終始した。程々に切り上げて隣の「高松」へと誘った。某氏は、新規のビッグビジネスへの先行きが見えたので誰かに話を聞かせたかったのと、リラックスして飲みたい、それが目当てだったよだ。

友人の成功は、こちらとしても嬉しい限り、五時過ぎから二時間少々のお付き合いとなった。一旦帰社し、パソコンをチェックし、メールを送って退社。時間も早いので、AKAGIを誘って「ちよっぷく」にてハイボールを飲む。この日のハイボールは都合八杯程か、他には生ビールが一杯。スタートが早かったので、十時前には帰宅した。

                         

午後は、渋谷・セルリアン東急ホテルで取材の立ち合い、某社の情報誌の企画である。クライアントが四人、座談会参加のOB・OGが三人、カメラマンとアシスタント、当方が二人と大勢で、ホテルのセミスイートにて取材であった。これを途中で抜け出して、前述の某氏来社のために帰社した次第。

                     

そして今日も、打ち合わせや来客とつづく。来週の『べったら市』の準備は、AKAGIにおんぶするしかないようだ・・・。明日は、実家のイベントのために高知へと帰らねばならない。帰京は日曜日の遅い時間となる。

翌日の月曜日、昼から某氏のインタビューに東京プリンスホテルにて立ち合い。ライターはhiroさんである。終わり次第、佐賀へと飛ぶ。火曜日は佐賀にて取材、その後「地球市民の会」を訪問し打ち合わせの予定。帰京は、最終便となる。

 

 

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普通にお弁当

2012-10-10 | Weblog

10/10(水) 今朝は眠かったな~、眠いと云うこととよく眠れることとは違うが、眠りたいという身体的欲求があることは良しとしよう。そんな訳で今朝の弁当作りは急いた。ご飯が炊きあがる時刻が、丁度長女が弁当を取りに来る時間帯である。

ご飯が炊きあがるまでにお菜も作り終えると云うことで、40分ですべてを仕上げるわけだが、一向に体の方がいうことをきかないのだ。愚図愚図と仕事をすのであった。そんな今朝のメニューは次のとおり。

先ず手がけたのは「サトイモと鶏肉の煮物」そして、合挽きとタマネギを炒めた「ピーマンの肉詰め」残念ながら、ピーマンが一つしかなくて物足りないこととなった。最後に「モヤシ・舞茸のオリーブ炒め&豚小間肉の中華味炒め」。以上である。Kには、昨夜のコロッケが入った。

              

長女が登場したと同時に仕上がった。何とか間に合ったという次第。

                   

やれば、できる!

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揚げ物など

2012-10-09 | Weblog

10/9(火) だんだんと夜明けが遅くなる、カーテン越しに漏れるてくる光もかすかとなり、秋の深まりを実感する。日曜・月用と午後から会社に出る。何処に行くところもないオヤジは、会社が唯一の憩いの場なのかもしれない・・・。昨夕は、故郷の県の若手職員と某官庁の若手キャリアの二人を、引合せの酒会。処が渋谷で自由が利く店はすべて休みであった。

狸小路なら何処かやっているだろうと、行ってみたがめぼしい店はやってなかった。面倒なので、小路の入り口にある今風の居酒屋に入った。勿論大した食い物や、気の利いた酒があるわけもないが、小人数で話をしながら飲むには手ごろな個室風の店。安酒を飲みながら、最後はオヤジ談義をしていた。こりゃあいかんな、と御礼のメールを頂戴してから反省であった。

 「ベッタラ市」

出勤途上、会社の傍の「椙の森神社」には19日・20日の祭礼に向けた準備が整っていた。提灯が軒を並べ、参道入り口は大提灯が飾られている。今年のベッタラ市は、金曜日・土曜日となるのだ。土曜日は近在の方が中心であろうから、夜の部の酒は余り出ないか・・・などと、屋台の売り上げの心配をしている。

                       

この入り口から右側に100mほど行った、パーキングメーターがある辺りにナチュラルの屋台が出る。安納イモやミャンマーの村の写真などで直ぐに判るだろう・・・俺は待ってるぜ~。

                   

ベッタラ市には、例年どり、屋台を出す。今年は二小間確保したが、ワイン酒場のハチからスペース借用の願いがある。それに、ミャンマーから学生たちが買い込んできた小間物の販売もあるので、相変わらず手狭な中での商いとなる。商いと云ったが、赤字・持ち出しがどれくらいで収まるかの話である。さらに、今年は売り上げの20%をミャンマーの学校建設支援に寄付する。

今年の出し物、メニューは例年より絞り込み「焼き鳥」、種子島よりお取り寄せの「安納イモ」、「特製松茸弁当」の食物群と、「清酒南」、薩摩の芋焼酎の名品「森伊蔵・村尾・利助・楔」が並ぶ。

我が屋台に大いに来てもらい、大いに飲み食いして頂き、沢山の寄付ができればいいのだが・・・。篤志の方の来場を願う次第。今年は、K大兄が来れないと連絡を貰った、真に残念である。

 

さて、今朝は出来合の品に手を加えたものと、マフィンのサンドなどとなった。土曜日から連泊で次女が泊まっていた。隣の駅近くに借りている安アパートの工房で、小物作りが佳境のようだ。そんなことから、サンドは次女用であった。新米が届いたので、オムスビでもと思っていたが、サンドを所望された。

お菜の方は、出来合のメンチカツ・カキフライを揚げる。生鮭をバターソテーし、一寸濃いめの味付けにした。カキフライをカツ煮風に仕上げる。サンドの具は、メンチカツと卵焼き&チーズを挟んだ。

       

以上で、四人分の弁当が完成となった。今日から、弁当には新米を使う。コメが菜のようなものさ、幾らでも食せようが、以前私は弁当を持たないで空腹に耐えている。来るべき食量危機や大災害に備え、貧困・窮乏生活への備えなのだ・・・?

               

 

 

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稚内にて

2012-10-08 | Weblog

10/8(月) 今日は月曜日なれど祝日、三連休の最後となる。ここのところ急に涼しくなった、肌寒いぐらいである。季節は確実に移ろいつつある。さて、今日は取材で訪れた、稚内での出来事をピンボケ写真と共に紹介したい。

3日の昼前、稚内空港に降り立った。羽田を8:15分の便で発ち、千歳空港を経由しての到着。羽田~稚内はダイレクト便も2便あるが、それだと午後2時から市内のホクレンショップ前で行われる毎週一回の「夕市」(野菜の即売)に間に合わない。その為、今朝は6時半前に家を出たのだ(お蔭で、弁当は作れなかった)。尤も前夜も飲んで遅くなったが・・・。

空港でレンタカーを手配する。その際に、くどく云われたのが「エゾシカへの注意」であった、やたら増えており事故が多発しているそうだ。まあ運転はカメラマンの杉田がやるので、こっちは上の空であるが・・・最近の人とは違い、小生は運転免許なるもを取得する時間と金がなかったのだ。

「夕市」まで少し余裕があった、空港からはさして時間を要しない宗谷岬の撮影を先に済ますこととした。空港から20分ほどであったか、岬の上に並ぶ風力発電の風車などを眺め、左手の遥か彼方のカラフトの島影を探しながら進んだ。少し靄がかかったようであるが、遥か彼方に島らしきものが見えたのである。おお・・・カラフトだぜ!

                         

日本最北端の碑が建つ宗谷岬の先端、記念碑の前には折足悪く観光バスの団体さんが写真を撮るのに順番待ちをしている。苛々しながらも何処も同じだなあと我慢我慢であった。そのうち、ご年配の方たちの言葉に何やら懐かしい響きを聞いた。これやぁてっきり、土佐人だ。と、検討を付けた。「どちらからお見えですか?」と訊いてみた。すると『高知からです』と返ってきた。高知のどちらですか?『いの町からです。利尻・礼文と廻ってきたんじゃけんど、紅葉がまだでさっぱりじゃった』とのこと。

                         

懐かしき故郷なまりにここで出会うとは・・・。そういえば、伊勢の取材の折には、同じホテルに、高知のすぐ近くの町の観光バスが来ていた。

日本最北端の碑と間宮林蔵の銅像、歌の宗谷岬の記念碑からは唄が流れていた。天気が良く、陽気も最高であった。が、市内には75基の風力発電があることからも示されるように、風は強かった。稚内は最北の街・風の街であった。

                     

                    カメラマンのケツから狙う・・        宗谷岬の歌碑

腹減った、飯と煩いカメラマンを尻目に、午後二時に20分前、ホクレンショップの駐車場に入った。先ずは店内を見て。野菜の値段をチェックし、野菜即売が開かれる駐車場を確認する。未だ準備は整っていないようだ・・・大判焼きを買って腹ぺらしのカメラマンに渡した。

今回の目的である「悠遊ファーム」オーナー・渡部さんの販売台を探す、一番端で販売をしていた方に訪ねると、ドンピシャその方が渡部さんであった。ご年配のご婦人二人が元気よくお客さんに声を掛け、テンポよく受け答えし、軽快に動いている。駐車場の狭い販売スペースは買い物客でいっぱいと見えた。が、後で訊くと『最近人出が少ない、高齢化のせいではないだるか。売り上げも落ちています』とのことであった。

                     

野菜即売は始まってから、三十分ほどで販売は粗終了した。一時、人出が盛んになりそれでお仕舞。買い物客を見ていると、確かにご年配者が圧倒的である。平日、水曜日のこの時間では仕事を持っている人には難しい・・・高齢になれば出歩けない。そう云うことか・・・。

                         

気になる野菜の値段だが、概ね100円、ジャガイモ三種(北あかり・メークイン・勇知イモ)、大根やタマネギ、カボチャ類だが南瓜の伯爵は300円と別格。手作り南蛮味噌が250円で絶品であった。東京のスパーで贖う半値と云うところか。

片づけを終え、トラックに販売台やケースを積み込み「悠遊ファーム」へと帰る渡部さんの後を付いて行く。ファームは、稚内の中心部から日本海沿いに下り、途中を山側に入って8kmとか。車で30分程の処である。海沿いから入ると、牧草地・放牧の乳牛が草を食み、サイロや牧舎が点在していた。

稚内は牧畜農家が殆どで、野菜の専業農家は数えるぐらいしかないとのことであった。田圃は全く見ない、無いそうだ。びゅんびゅん飛ばす車の後を、我が運転手のカメラマンはノタリノタリ・・・エゾシカの心配でもしてるのか?と思いたくなる。途中、夕陽が丘見晴らし台に寄ってくれた。ここから見える、利尻富士は、半分ほど雲に覆われていた。残念。

そして、目的の『悠遊ファーム』に到着したのは午後3時を回った頃であった。通された食堂には、今日の作業を切り上げて戻って来たボランティアの皆さんがお茶を飲み始めたところであった。

                         

                           悠遊ファーム本棟

以降は、後日につづく。 

 

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住い訪問

2012-10-07 | Weblog

10/6日(土) 前日の金曜日、予定より30分ほど遅れて帰社した。稚内~札幌に立ち寄り、東京に戻ったのだが、既に終業時刻の19時を少し廻っていた。小一時間ほど書類の整理や急ぎ案件のメール返信など。その後、例の如く酒場へと赴いた。三連休の前夜のせいか「ちよっぷく」も混んでいた。先行組が席を確保しており問題なし。遅れて、Yoshioが参戦した。

ハイボールを五杯程のみ、チケットが無くなったので場所替えとなる。社のメンバーが居るという「Seiju 」へと雪崩込む。何時もの如くにカラオケ合戦となった。家に帰り着いたら午前様であった。この時点では、旅の疲れはなかった。

そして土曜日、7時頃からこの日の午後の予定のために鮎料理の準備に入った。昨夜、郷里の従姉妹から約束どおりに捕りたての鮎が届いていた。これを、鮎寿司と開きにして、午後に持参するのだ。背開きにし、塩水に漬け、酢で〆、仕上げに柚子酢に漬ける。土佐風の鮎寿司である。そして三時間ほどの鮎日干しを用意した。

                     

鮎は、この季節になると脂が乗り子持ちとなる。開くと卵・白子が入っている、内臓はウルカ(鮎の酒盗)にするので、塩をたっぷりと使い瓶詰とする。

午後の行先は、HIROさんの住い。武蔵小金井に転居して三ヶ月となる、今日が初訪問の日なのだ。オヤジ、親爺のお宅訪問である。武蔵小金井駅からほど近い一軒家で、奥まった場所にあり閑静、隠れ家てきな雰囲気である。小さな庭の土壌改良中とか、プランターにはハーブや二十日大根などの野菜。これが食膳に上った。

               

久しぶりにリラックスをした気分であった。お酒は控えめに、H女史の手料理やHIROさんの家に脈々と伝わる「デラックス」なる料理。これはHIROさんが渾身の思いで作ったようだが、これ頂く。すぐにお腹が一杯となった。のんびりと、楽しく話をする・・・。とってもいい時間が流れて行く、話すことは幾らでもある、されど何も話さなくてもいい・・・。

                     

こうして居ると、時の経つのを忘れる。程々に暇しよう、その前にHIROさんが描きつづけていると云う絵を見なくては。部屋に行って仕舞いこんである絵を出してもらう。大作で何枚にも分かれていると云う。部屋いっぱいになるので、一部だけ見せてもらいながら絵のことを聞く。

                         

「これは、魂の樹なんだよ。大きな大きな木、広がる枝、ここに付いている風船のようなものは、みんな命なんだ。これから生まれて行こうとする命、これが飛んでいって生まれるんだ。こっちにある小さい風船は、命が終わって戻って来たのだよ、これからまた新しい命に再生されるんだよ・・・。」

                         

「ここに描いていあるのは、滝なんだ。大きな滝、下の方から見上げている丸いのは、これから生まれて行く命に、この滝のことを説明しているんだよ。この滝は涙なんだ。これまでに命が流してきた涙の滝なんだ。すべての涙が、この滝となって流れているんだ。・・・」と、絵の一部を話してくれた。

                         

これと同じような話を何処かで聞いたような、読んだような気がする。或いは、HIROさんから聴かされたのかもしれない。

辞去し外に出ると小雨がぱらつき始めていた。渋谷に着いたのは8時半ごろか、なんだか気分が高揚したままだ。「奈加野」に顔を出すこととした。店主からは、稚内の話を聞かせてくれと云われていたことも思い出した。

                          

宇田川町の交番前の通りは若者で賑わっていた。だが、「奈加野」の店内は静かだった。閑古鳥が鳴いてるようだね、と冷やかす。店主曰く、「昨夜はあんなに忙しかっのにな・・・参ったよ」最近はボヤキが多くなったようだ。暫く話をし、頃合いを見計らって更に流れることとした。

                           

常連客と缶詰BARの「mr.kanso」へと向かった。ここは盛況であった。試合に勝ったラグビーの連中が狭い店内にひしめいていた。カウンターあけてもらい、ハイボールの飲む。一緒に行った元桜田門のエライサンと話をする。外は土砂降りとなっていたが、飲んでいるうちに小止みおtなった。

                       

                       缶詰BAR、オーナーのOさんとUさん

地元に戻って、もう一軒行こうとしたが店は閉まっていた。仕方なしに帰ることにしたが、気が抜けて腹が減ったような気分。丁度、学大で一番旨いと思っているラーメン店「モンゴメリー」の前をとおりかかった。ラーメン一丁となっていた・・・。                      

そんな元気な夜だったが、途中では疲れがでていた。電車で戻る時間でアルコールが抜けたせいか、後は、飲むほどに元気回復となっていた。唯一の失敗は、デジカメのシーンモードを変えないで撮っていた。これじゃいい写真無理だ~。やっぱり呆けてる。

 

稚内~札幌のことは、後日、追々に報告する。

コメント
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