生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術修行2010年6月11日(金)

2010年06月12日 09時43分45秒 | 美術/絵画
2010年6月12日-1
美術修行2010年6月11日(金)

 名古屋駅からiPhoneを頼りに歩いて、ウエストベスギャラリーコヅカへ。専務さんに、ビルの廊下にある作品を案内していただいた。こういうの、いいですね。「必須芸術宣言。【座談】人類のとって「アートとは何か?」」という特集のある芸術批評紙『リア』22号(2009.10.31発行)/350円を買った。
 ギャラリーでの、大きな鈴木淳夫作品は、見る距離によって見えが変わる。近くでは、視野の中心のところが照明との関係で、地の白面がより白っぽくなり、あたかもそこに円形が存在しているかのように見える。つまり、見る距離によって色々と楽しめる。

 名古屋市美術館への途中で、画廊があり、そこにあった長久手町文化の家の「愛知、現代美術の歩み展」のちらしに、リニモという文字。ひょっとしてと思って、リニモとはなんですかと画廊の人にきくと、車体が少し浮くリニアモーターカーとのこと。いつか乗りたい。

 「静けさのなかから:桑山忠明/村上友晴、の後期(村上友晴)」と「名品コレクション展Ⅰ後期」」/名古屋市美術館/割引で1,000円。
 名古屋か東京で見た小さな黒い組作品は、村上友晴作品だったのかも。
 名品コレクション展のほうでは、桑山忠明作品の二つの色面を隣り合わせたものが良かった。

 図書室の係の人にモンドリアンの本はありますかとたずねると、他所からモンドリアンの英語の分厚い本を3冊持ってきてくれた。ざっと見る。「Piet Mondrian Catalogue Raissone'」(Joosten, J.M. & Welsh, R.P.)には、菱形作品は、3(初期の格子状とか桃色などのもの)+10+1(未完のブギウギ)くらい掲載。「SCHILDERIJ No.1, Lozenge with Two Lines and Blue, 1926; 84.9x85cm」という、要素数の少ない、縦に1太線、横に1太線、それが交叉した左下の面は青色のが良さそう。このCatalogue Raissone'では小さくて青というより黒に近くが、別の本では大きく掲載されていて、青だとわかる。

 ウエストベスギャラリーコヅカ入口を入ったところの掲示板にあった案内葉書きで、床面になかなかきれいな色のものが置いてある。閉廊間近にかけつけた。山口貴子 展/GALLERY MOCA。ギャラリーいっぱいにおおきな台が。よく運び入れることができたなと思った。台の上面は3.5m?くらいの正方形。全面に、何か(作家さんによれば寒天)を流したようで、ところどころ内部に球状のものが見える。しかしそれは錯覚のようで、聞いてわかったが、寒天上面に黴が短く生えていて(側方からよく見ないとわからない)、それによってあたかも球状のものが内部にあるように見えるのだった。寒天の厚さは4cmとのこと。大変な量である。流し込むときの設計と偶然とによって、表面に変異が生じていて、段ができている。このようなものを作ったことに感服。

 金曜日は夜8時までなので、名古屋市美術館へ歩いて取って返す。さきほどのモンドリアンを頼むと、さらに2冊出してくれた。一つは、日本の美術館4箇所で、1987年の7~12月に、モンドリアン展が開催されたときの図録。感謝。
 Mondrian 1979, p.96の文章が"Piet Mondrian in New York"の p.9に転載されている。
  "Time is ripening to replace beauty-as-an-art by beauty-of-life."
  "What falls outside of time and space is not _unreal_. If, in the beginning, it is but an intuitive understanding, it becomes real when intuition has become pure and strong in us. New plastics is the plastical expression of the determinate intuition..... "