生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術修行2010年6月16日(水)b

2010年06月17日 14時55分16秒 | 美術/絵画
2010年6月17日-2
美術修行2010年6月16日(水)b

 北海道文化財団はどこかと思えば、大通美術館(友禅染めを展覧していた)の隣の入口のところだった。建物は同じだった。

 『アートゼミ2008報告書』(北海道文化財団)に、画家の大竹伸朗レクチャー「毎日と創作」講義ダイジェストが載っている。
  「「現代美術」と呼ばれているジャンルがありますが、自分にとってそれは美術ではなく、物に置き換える哲学みたいなものです。自分が選びとった物、絵、線に、今の世界状況や自分の考えを置き換える。具現化する哲学ですね。それが世の中では現代美術といわれていることに、ズレを感じています。
  絵というのは、自分にとっては「この絵は何を伝えたいのだろう」と考えたとたんに、絵ではなくなるものです。……自分の中に何か感じるものがあれば、それがアートです。」(17-18頁)。

 何か感じるもの、たとえば哲学を感じるものでもアートとなるのだろうか? それとも、感じるものとは、哲学ではないのだろうか。われわれは生きるにつれて、様々な経験を経て、無意識的にもいろいろと条件づけられる。純粋感覚というものはないだろう。美というものも、受取り手の経験によって変わるだろう。感性の変異の分布も変わるだろう。

美術修行2010年6月16日(水)

2010年06月17日 13時50分40秒 | 美術/絵画
2010年6月17日-1
美術修行2010年6月16日(水)

 65周年記念全道展/札幌市民ギャラリー/800円。
 輪島進一作品は、水彩紙と思われるものに細い線で、逆さに宙に舞ったとき(?)の姿態での舞踏人の腕や脚や体部の面を作り出している。水彩ガッシュだろうか、ところどころ面的にうっすら塗ってあるところもある。腕が三つ、脚は四つ、ダンサーは少なくとも一人、後ろからもう一人重なっているのだろうか、頭部は二つ、どう捩れてどうなっているのかわからないが、支持体の白い地をそのまま残している面積も少なくないが、その余白部分とあいまって、画面全体では躍動的でぐっとくる迫力がある。
 會田千夏作品は、S100で、大きく真ん中に円形が配置され、下方にも少し伸びる。遠くからは透明アクリル板があるのかと思ったが、表面の艶だしのよるものだった。上1/3の位置に横に2cm幅のものが浮き上がるようにあり、真ん中縦に一本の線状に細く盛り上がり、十字になっている。目が慣れると、円形内部は一様ではなく、おおきな斑紋が浮かびあがる。
 尾澤和子作品は、暗い面のなかで色彩豊かに光るようなクレー風。(第60回記念モダンアート展の図録をパラパラとめくっていると、作品同一と思える画像があった。)
 山口順子(よりこ)作品は、要素の種類数と個数を減らして画面整理すると面白くなるのでは。
 佐野忠男「窓辺-2010」は、地味な色彩の重量感と光の描き具合によるのか、迫り来るものがある。


 近くに「千歳鶴」酒ミュージアム。200年かけて流れてきた地下水を使っているという仕込み水を飲む。うまい。試飲した純米吟醸もおいしかった。数時間後に食べたカマンベールチーズと梅酒も。

 地下鉄の18丁目駅近くで、ねばねば丼(とろろ、オクラ、ひきわり納豆、めかぶ、梅干し)とそばのセット/680円/全面禁煙。そば大盛りにしても無料。やや大盛りにしたが、大盛り程度の量あり。お得。


 第25回記念 北の日本画展 -継承と革新- /道立近代美術館/400円。66頁の色刷冊子と出品作品リストを渡される。抽象作品は三つくらい。
 壁掛けではないものは、やはり野口裕司作品だった。「MA」は、数双の縦筋入りに見える透明板に、墨の曲線多数。ところどころ墨の面も。一部、曲線による面白さあり。
 具象だが、笠嶋咲好「Mの物語」は、黒と白の配分が良く、ひきしまっている。一部は抽象的で、技法としても面白い。
 竹澤桂子「21st Century Lolita」は、左上の銀箔かのちぎれ具合とその色づけが良い。人物の服の桃色とあいまって、魅力的。


 札幌も風強く、目薬が要る。もし、化粧臭よけに頭にシャワーキャップ、隙間からゴミや黄砂が入らないようにゴーグル的眼鏡、化粧品起因の分子とタバコ煙分子を除けるための(防毒型?)マスクを装着したら、通行者からは奇異の目を向けられるだろうな。