2010年6月17日-2
美術修行2010年6月16日(水)b
北海道文化財団はどこかと思えば、大通美術館(友禅染めを展覧していた)の隣の入口のところだった。建物は同じだった。
『アートゼミ2008報告書』(北海道文化財団)に、画家の大竹伸朗レクチャー「毎日と創作」講義ダイジェストが載っている。
「「現代美術」と呼ばれているジャンルがありますが、自分にとってそれは美術ではなく、物に置き換える哲学みたいなものです。自分が選びとった物、絵、線に、今の世界状況や自分の考えを置き換える。具現化する哲学ですね。それが世の中では現代美術といわれていることに、ズレを感じています。
絵というのは、自分にとっては「この絵は何を伝えたいのだろう」と考えたとたんに、絵ではなくなるものです。……自分の中に何か感じるものがあれば、それがアートです。」(17-18頁)。
何か感じるもの、たとえば哲学を感じるものでもアートとなるのだろうか? それとも、感じるものとは、哲学ではないのだろうか。われわれは生きるにつれて、様々な経験を経て、無意識的にもいろいろと条件づけられる。純粋感覚というものはないだろう。美というものも、受取り手の経験によって変わるだろう。感性の変異の分布も変わるだろう。
美術修行2010年6月16日(水)b
北海道文化財団はどこかと思えば、大通美術館(友禅染めを展覧していた)の隣の入口のところだった。建物は同じだった。
『アートゼミ2008報告書』(北海道文化財団)に、画家の大竹伸朗レクチャー「毎日と創作」講義ダイジェストが載っている。
「「現代美術」と呼ばれているジャンルがありますが、自分にとってそれは美術ではなく、物に置き換える哲学みたいなものです。自分が選びとった物、絵、線に、今の世界状況や自分の考えを置き換える。具現化する哲学ですね。それが世の中では現代美術といわれていることに、ズレを感じています。
絵というのは、自分にとっては「この絵は何を伝えたいのだろう」と考えたとたんに、絵ではなくなるものです。……自分の中に何か感じるものがあれば、それがアートです。」(17-18頁)。
何か感じるもの、たとえば哲学を感じるものでもアートとなるのだろうか? それとも、感じるものとは、哲学ではないのだろうか。われわれは生きるにつれて、様々な経験を経て、無意識的にもいろいろと条件づけられる。純粋感覚というものはないだろう。美というものも、受取り手の経験によって変わるだろう。感性の変異の分布も変わるだろう。