生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

渡辺政隆『一粒の柿の種』/DNA中心主義、遺伝子中心主義

2010年08月01日 01時31分08秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月1日-2
渡辺政隆『一粒の柿の種』/DNA中心主義、遺伝子中心主義

  「最初の受精卵は、事実上何でもなれる細胞である。それなのに、分裂を繰り返していくうちに、特定の器官しかなれない細胞になっていく。……
 そうしたプロセスを統御しているのは、個々の細胞に一個ずつある核に収納されているDNAである。」(渡辺 2008: 126頁)。

 発生プロセスを統御(govern ?)または制御 controlまたは調節 regulateしているのは、DNAではあり得ない(DNAではなく、遺伝子という語だと、その意味する内容に依存して、話は少し、ないし大きく変わる)。発生メカニズムを持つ細胞システム(ここでは出発点では、受精卵と名づけられるシステム)である。
 要は、発生では細胞が振る舞いの単位であり、またあるいは下位システムとして蛋白質合成に関わるシステムを考察対象とするのであれ、システム的振る舞いとして記述すべきである。DNAは発生プロセスに関わる重要な構成要素であるが、統御するといった能動的な物体ではなく、作動するシステムから見れば、受動的である(だからこそ、「不変」な「遺伝子」として機能することができる)。

  「目覚めていた遺伝子が次々と眠りについていき、特定の順番で遺伝子のスイッチが連続的にオンになっていくからである。」(渡辺 2008: 127頁)。

 この記述と「プロセスを統御しているのは、……DNAである」とは、整合的ではない。(ここでは遺伝子となっているが)DNAをDNAではない物体が「活性化」(これも比喩的で、実際は分子どうしの作用がある。あえて言えば、システムが記憶を参照する。)させているのである。DNA自体は不活性な、つまり他と反応して変化したりしないからこそ、「情報」(「情報」とは、人がそう言っているだけで、物理化学的反応(と制御。この制御が大問題)があるだけである。)の安定性、したがって言わば記憶庫として役立つのである。

 補足。なお、発生的変化するから表現として難しいが、やはり文章としては変。受精卵全体としては(通常(=ほとんどの事例では)または「正常」な(条件下の)発生過程では)、特定の器官の細胞になることはない。分裂して多数の細胞が、各群別に、分裂だけではなく、分化することで、心臓になったり、肝臓になったりする。多数の細胞となった一つの全体が、まるごと、或る器官の細胞になることはない。

[W]
渡辺政隆.2008.9.一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり.viii+197頁.岩波書店.

渡辺政隆『一粒の柿の種』/ニセ科学/スピリチュアリズム、水の伝言

2010年08月01日 00時49分30秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月1日-1
渡辺政隆『一粒の柿の種』/ニセ科学/スピリチュアリズム、水の伝言

 渡辺政隆(2008)『一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり』を拾い読み。主張の筋がわからない箇所がいくつかあった。文章表現または段落構成を変更して解釈すればわかるのかもしれない。

 「霊魂の存在云々は科学の埒外の問題であるが、テレビなどのスピリチュアルブームの影響は無視できない。」(渡辺 2008: 151頁)。

 ここでの影響とは、何に対するどんな影響なのか、わからない。直前では、2007年に実施されたおよそ3000人を対象とした調査で、魂や霊魂の存在を信じるかどうかという質問をした答えの結果は、

                男性   女性
  ある     46.2%   38.4%  53.9%
  わからない  32.4%  ほぼ30% ほぼ30%
  ない     21.4%    〔?〕  〔?〕

だと(151頁)紹介している。

 さて、「テレビで公然とスピリチュアリズムが肯定されるというのは異常である」(151頁)とは、どういう意味からなのか? テレビ番組が人々の考えを多く反映しているとしたら、魂や霊魂の存在を信じる人が信じない人の2倍くらいだから、「公然と」(どういう意味なのか?)?、肯定されるのは異常(これもどういう意味なのだろう?)とは言えないだろう。
 あるいは異常というのは、標本となった人々ではなく、科学的な立場からなのだろうか? しかし、「霊魂の存在云々は科学の埒外の問題である」ならば、科学的立場からは何も言えないはずである。スピリチュアリズムという語で何を指しているのか説明または定義はなかったが、おそらくそれは、魂や霊魂の存在を肯定しているのであろう。とすると、魂や霊魂の存在を肯定する立場は、科学的ではないのだろうか? しかし、魂や霊魂については、渡辺政隆氏の考える科学では扱う対象ではないのだから、言外の仮定または主張があると推定するほかない。それは、読み取れなかった。

  「スピリチュアリズムの流行は、水をめぐる悪しき言説へも波及している。……氷の結晶神話「水からの伝言」などはその一端だろう。……「水からの伝言」を道徳の教材に使用する動きはいまだに根絶されていないという。」(渡辺 2008: 152頁)。

 「悪しき言説」とは、意味がわからない。「水からの伝言」の主張が、追試されて再現できなかったのであれば、その追試の種類と程度に反確証されたと言える(追試条件が同一かどうかの問題があるので、「その追試の種類と程度に」である。また、それを反確証だとみなすかどうかも、見解は様々であろう。→冷温核融合cold fusion追試または再現の問題(後述))。ならば、一般向けの本であっても、科学コミョニケーションに言及する本ならば、反確証したような文献を引用してほしい。岩波書店発行の『科学』(要、巻号特定;いずれ発掘する)で「水の伝言」が取り上げられた記事があったが、そこでは反確証した追試の引用は無かった。また、否定的に主張した人々は追試したわけでもなかったようである。

  「科学者や科学報道に精通しているはずのジャーナリストのなかにも、タバコが肺癌の原因であることを認めようとしないヘビースモーカーは多い。」(153頁)。

 疫学的方法は、相関関係を調べて原因を追求するのに有効な手段である。しかし、或る性質をもつ群〔集団〕ともたない群との比較をして差異を見つけた場合では、或る特定の人がたとえば20本/日以上の毒煙を肺に吸入しても、たとえば自分は煙草を吸っても肺癌にはならないような対策(緑黄野菜を取るとか)を取っているとか、あるいは喫煙による(実は嘘の効果でも)気分高揚で免疫が高まったりして、或る個人がして肺癌にはならないという信念を妨げない。
 つまり、平均的全体の性質と特定個人の性質は、直接対応しないから、自分は喫煙によって肺癌にはならん、と思うのは、変ではないのである。或る一つの結果は、(生物体内での様々な日常的な恒常性維持作用を含めて)諸力が作用した結果である。

 しかし、マウスの実験で咽頭部に損傷が生じるという結果があるらしいから、そして人にもそのような実験での作用結果が同様に適用できるとすれば(そう思う)、やはり、煙草の煙は有害であると思う。喫煙者自身が死ぬのは自由だとしても、受動喫煙の機会を皆無にするように社会的決定をすべきである。池田清彦氏(要出典)はそれは父権主義 paternalismだと言って国家的干渉を嫌うわけだが、むしろ、パターナリズムが意義ある数少ない適用例と言うべきだろう。むろん、喫煙禁止の強要はパターナリズム的だと言う必要は無い。

[W]
渡辺政隆.2008.9.一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり.viii+197頁.岩波書店.