生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge哲学辞典/ 自己集成 self-assembly

2010年08月04日 23時34分06秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月4日-8
Bunge哲学辞典/ 自己集成 self-assembly

自己集成 self-assembly (BungeDic2, p.263)
 一つ以上の行程で、諸物が一つのシステムへと自発的に集積すること。例:重合、溶液からの結晶の形成、前駆物質からのDNA分子の合成、神経細胞〔ニューロン〕からの心理子〔サイコン〕[psychon]の形成、街角ギャングの創発〔出現〕[emergence]。↑【自己編制〔自己組織化〕[self-organization】と区別されなければならない。

 論評 by universifier。自己編制〔自己組織化〕についても同じだが、ここでの『自己』とは何を指すのかが不明である。また、自発的 spontaneous、つまり『自然に』発(生)するとは、いったいどういうことなのだろう? 暗黒物質や暗黒エネルギーは、はたして関係していないのだろうか。

Bunge哲学辞典/ 科学主義 scientism

2010年08月04日 23時02分27秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月4日-7
Bunge哲学辞典/ 科学主義 scientism

科学主義 scientism (BungeDic2, p.262)
 科学的研究は正確[accurate]で深い事実的↑【知識】を確保する最良の道であるという見方。科学的研究は知識の唯一の源であるとか、すべての科学的成果は真実で最終的なものだという見方と混同されてはならない。↑【論理実証主義[logical positivism]】と科学的↑【実在論】の両方の構成要素。科学主義は、人文学のいくつかの部分を諸科学に変形する試みを奨励する。たとえば、現代の人類学、心理学、言語学、そして諸社会科学の起源を思い出してもらいたい。この用語は、F. Hayekほかによって、社会的研究において自然科学をまねることを指すために、軽蔑的な意味で使われた。彼と『人文主義者』の(観念的)陣営に属する他の者は、反科学または擬似科学ではなくて、科学を、彼らの主要な敵だと見るのである。

入れ子構造とレベル構造/分岐

2010年08月04日 16時50分33秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月4日-4
入れ子構造とレベル構造/分岐

 入れ子関係は、たとえば、

  (((a)、b)、c)
または、
  (a、(b、c))

のような表示によってその構造が表現できる(むしろそのように決めたという規約だが)。(後にこの二つの違いを議論する。)
 一方、レベル構造は、先行関係として、

  a<b<c

という半順序関係として定式化できる。

 さて、分岐によって、新たな種類に属する物体が出現したとする(分岐の意味に何を込めるかが問題だが、単にたとえば『個体群』(!?)が地理的に分かれるとしても、そのこと自体では何も変化しないから(対立遺伝子の頻度は変化するだろう。しかしそれは、母集団の取り方によっても変化する)、結局、諸性質の差異に帰着する。それは認識上からもそうである。

再発見・評価/真の芸術/オフ・ミュージアム

2010年08月04日 16時39分37秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月4日-3
再発見・評価/真の芸術/オフ・ミュージアム

 ゴッホの作品が生前に、弟以外に対して売れたのは一つだけだったとか〔要出典〕。
 あるいは、バッハ作品は忘れ去られていた(ヨハン・セバスティアン・バッハ再発見のきっかけは、メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」上演らしい。パブロ・カザルスによる無伴奏チェロ組曲の再発見とまで言うのは、誇張らしいが、「マドリッドの楽譜屋で古ぼけた譜面を見つけたカザルスは、この曲の真価を見いだし、10年以上にわたって研鑚の日々を送った。そして、のちの公開演奏によって音楽界に衝撃をもたらした。/それまではつまらない練習曲と思われていたこの作品を、音楽史上希有の名作であることを知らしめたのである。」(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F-%E7%84%A1%E4%BC%B4%E5%A5%8F%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E7%B5%84%E6%9B%B2-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9-%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD/dp/B00005HORC)

 パブロ・カザルスによる無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードの演奏:
http://www.youtube.com/watch?v=fXcjIDiunFY

 ところで、ファゴットの音色はいい。低音が豊かに拡がりゆく魅力。


 彦坂尚嘉氏は、「《第41次元》アート」というサイト、
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2009-05-30-1#more
で、「愚民による偽せの芸術の時代というのが、現代だと言えます」と述べている。
 そして、「愚民による、根拠なき芸術判断」による偽の芸術に対して、「すぐれた《真性の芸術》は、人に救いを与え、そして生きる活力を約束する」とある。彦坂尚嘉氏の言う偽の芸術と真の芸術「真性の芸術」を改称した]を対比させると、

         偽の芸術      真の芸術
評価の所用時間  1見        繰り返す(例:3か月間)
反復または凝視  飽きる、劣化する、 当初つまらなく見えるものが、
 によって     評価が下がる。   良くなっていく。
代表例      猥褻な画像や文学  
専門家の割合   8割程度      2割程度

 また、「変化する自分の感性と、真摯に向き合わなければ、本当の芸術判断はできないのです。」と言う。

  「《真性の芸術》を評価する芸術批評と、そして新しいオールタナティブな、インディーズ・ギャラリーと、《真性の芸術》だけを集めたオフ・ミュージアムが必要なのです。」

とあり、「オフ・ミュージアム」で検索すると、
http://www.artgene.net/dictionary/cat81/post_516.html
に、暮沢剛巳氏による解説があり、

  「オフ・ミュージアムOff Museum
   「美術館の外」。膨大な美術作品のコレクションを収集・分類する美術館という装置の機能を否定的に見る立場の総称。……1970年代以降は、オフ・ミュージアムで展開された美術作品をいかにして回収し、価値判断していくのかが美術館にとっての重要な責務となったし、近年の「ヴァーチュアル・ミュージアム」もまた、オフ・ミュージアムの「美術館化」の一環と考えることができるだろう。」

とあった。最後の文章での「美術館化」とは、具体的にどういうことなのか。美術館が管理する<文章と画像で収納する>ってことだろうか?

陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず

2010年08月04日 14時20分15秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月4日-2
陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず

  「トランプの遊びのように、マイナスを全部集めると、プラスに変わるという事は、この世の道徳には起こり得ない事でしょうか。」(太宰治『ヴィヨンの妻』)

 という文章を、ネット上で発見した。
 同様のことを確か、(故)高橋和己氏が『わが解体』かどこかに書いていた。
 そのような論理立てのものを収集して考えようと、幻影論理学 imaginary logicsなんてのを、40年ほど前に構想した。例によって構想倒れ。

  <陰きわまって陽となる>

 これは、桜沢如一『無双原理・易』にあったと思う。と見ると、定理11(61頁)として、

  「陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず」

だった。では、陰の運動?のどの時点、または陰のどれくらいの量で陽生じるのか? それがわからなければ、何かの振る舞いについて、どうとでも言えるのではないか。
 『新食養療法』だったか、あるいは他書で、(故)桜沢氏は、自分自身で原理が応用できるようにとの趣旨で、わざと記述を間違えている、と述べていた。するとしかし、それは一部だといっても、どこが間違えているのかはわからないから、具体例のほうも返って、全部正しいかどうか保証が無いことになる。

[S]
桜沢如一.1962.2[改正発行](1981.1.10 訂正10刷発行).新食養療法.?食による健康と自由?.256+7+3pp.日本CI協会.[y1,100; Rh830614]

桜沢如一.1974.9[訂正発行](1936初版.1980.4.10印刷発行)無双原理・易 ?実用弁証法?.253pp.日本CI協会.[y1,000; B810902, Rh810911]

Bunge哲学辞典/ 収集体 collection

2010年08月04日 12時50分10秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月4日-1
Bunge哲学辞典/ 収集体 collection

 われわれが、対象を対象として、言及したいとき。
 対象を捉えるための、(したがって)対象のなんらかの性質をもとにした分類として、有効かつ基本的なものはなにか。われわれの認識を反省すると、対象と対象の結合関係にもとづくものである。そして、いわば帰無仮説(註1)的存在者として、数学的な意味での集合setがある。
 Mahner & Bungeの見解とは異なるが、集合もシステムと(便宜的にであれ)みなしてもよい。物質的な結合性の程度はゼロである。しかし、人が或る種の力を与えていると考えることができる。なんせ、考えるのは自由なのだ。ただし問題は、視野の広さであり、考えつかないことは考えつかない。しかもやっかいなことに、なにかを考えついたときにはじめて考えつかなかったことがわかるることが多い。(またもや脱線したかな?)

 基本用語である、Bunge哲学辞典の収集体 collectionという事項を次に掲げる。「集まり」という訳語にしないのは、(日本語での)『集まり』という意味または概念が様々であり、また物と構築体の区別のように、体で統一したかったからである。もっとも、この統一は難しかったし、中途半端になってしまった。ま、寄せ集め体 assemblageとか、集積体 aggregateとか。ならば、システムを系体と訳すのも、一興かもしれない。

 systematic 体系的とsystemic システム的、は区別しなければいけないが、Mahner & Bunge 1997原著で、誤まりがあった。訳本(473頁)では正した。

 『生物哲学の基礎』から、まとめてみる。
  全体a wholeは二つの方式で形成される.
   1.集積によって (by aggregation)
   2.結合によって (by combination)

  an aggregate=a whole thing by aggregation 集積体
   例:ゴミ山、水たまり、雲、砂粒が積み重なったもの
  a system=a whole thing by strong bonds
   例:そこらへんにでも、いっぱい見つかる。たとえばそこの、(_Homo sapiens_に属する)あなた。→直示的伝達の不可能性。


収集体 collection (BungeDic2, p.43)
 任意に〔恣意的に〕、またはある共通の性質を持つゆえに、集められた、一群の[a group of]対象。固定した成員性〔属員性〕[membership]を持つ収集体は、語の数学的意味での集合[set]である。たとえば、人類は変異可能な[variable]成員性を持つ収集体であるが、所与の時点で生きているすべての人間の収集体は集合である。

 []内に、直前の言葉(語、句、あるいは文のどれかであり得る)の原語=英語を示した。

□注釈。例えばグリニッジ標準時でイエス誕生記念暦2010年10月10日10時10分10秒(暦の変換時などで3年どちらかにずれているらしい)と時点を定めれば、その時点で人類と同定できて生きている生物体個体は固定される。つまり、固定した成員性となる。このように、所与の時点で生きているすべての人間の収集体、つまり或る人が思考上でなんらかの基準でまたは恣意的に集めたものは、数学的意味での集合である。たとえば、今、テキト~に作った一つの集合、
  {1,富士山,『生物哲学の基礎』}
では、これらの成員には共通する性質は無い(厳密に言えば、見出すこことが困難である、である)。これの集合の成員〔属員〕であるということだけが共通することがらである。

註1.伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』では、帰無仮説 null hypothesisをゼロ仮説としているが、やはり「帰無仮説」が良いだろう。統計的検定では無に帰するために、つまりできれば否定したいが(主観的)、客観的=間主観的に(なお、絶対的客観性を否定してはいない)にためにといった意味合いを込めて立てる仮説であるので、
 ただし、差異を検出するのは認識の初段階であって、関係または繋がりのわかる人となるのが望ましい。そうなってこそ、対象であるシステムがいじれる、つまり制御的に操作できるようになるである。
 
参考場所:
 スローガン、「違い(差違)のわかる,から,つながり(関係)のわかる,へ」
http://www10.plala.or.jp/trinity7/ecology/revecol/3sokal.htm

 スローガン、「生態学の記述と考え方にスケールを」
http://www10.plala.or.jp/trinity7/ecology/revecol/Schneider.htm