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Source of map: Orange Empire Railway Museum (http://www.oerm.org/grounds-map/)
オレンジエンパイア鉄道博物館の続きです。
前回まで地図上の16番のところを見ていました。今回からは地図上中央の1番の車庫を見ます。ここは路面電車専用の車庫です。オレンジエンパイアは路面電車の保存を目的に設立された博物館なので、ここが本丸と言えます。
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2016年3月6日11時10分
カリフォルニア州ペリス オレンジエンパイア鉄道博物館 ロサンゼルス鉄道車庫
車庫の前に来ました。来た時は空いていませんでしたが、他を見ている間に電車が1台出庫したので今は空いています。立入禁止というわけでもなさそうですから、中に入ってみましょう。
入口の上にでかでかと掲げられているロサンゼルス鉄道(LAR)というのは、1901~1963年の間存在していたロサンゼルス中心部で路面電車を運行していた鉄道会社です。実は軌間は日本と同じ1067mm狭軌です。車体が黄色かったのでイエローカーと呼ばれてたそうな。
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入りました。あっ・・・これすごい量だ。これはまたやっつけるのに時間がかかりますね。
ここに保存されているイエローカーは25台強、他の会社の車両も15台くらいいるので、まあ。整備中の車両などもあるので全ては見れませんでしたが、有りえん量なのですよ。
ただこれ、めちゃくちゃ詰めて入れられてるんで全体の写真を撮りにくいです。
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ロサンゼルス鉄道H-4形#1201(1921年セントルイス車輌製)
LARの車両型式は製造順ごとにアルファベットを付けて、さらに数字のサブタイプを付けるものでした。わかりやすい。
H系は前面に系統番号を掲出する方向幕を付けたのが特徴なのだとかで。#1201は動態保存されています。
まさに路面電車というスタイルであり好印象です。ボギー車で全長が長めなのですね。
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排障器とか可動式乗降ステップとか。結構ギミック多いな。
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乗降口が広いのだ。LARの乗車人数はなかなか多かったと言われてますから、乗降時間の短縮は必要だったのかも知れませぬ。
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台車。ボールドウィン系ですねぇ。
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ロサンゼルス鉄道#9350高所作業車(1907年自社製)
この博物館、事業用車もそこそこ持ってます。#9350はTower carと呼ばれる高所作業車。架線の保守作業に使われた車でした。電動貨車みたいな見た目。
屋根に作業用の足場が乗っかっていて、あれは上下に伸び縮みするんだそうな。なのでタワーカー。
1907年製ということで恐らく新造車ではないかと。台車がアーチバー台車なのが気になりますが。こういう事業用車は長寿であることが多いですが、これも1963年の廃線まで活躍していました。
博物館が引き取った後も、館内の路面電車線に張られている架線の保守に現役で使われています。なので動態保存車ですね。今も本来の使われ方をされてるというのもすごいもので。
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ロサンゼルス鉄道P-3形#3165(1948年セントルイス車輌製)
典型的なPCCカーでございまする。PCCカーというのはバスや自家用車の台頭に対抗するために、The Electric Railway Presidents' Conference Committee(ERPCC)が1930年代前半に開発した路面電車です。PCCカーの名前もこの委員会から取られています。
高加速性と高静粛性が売りの高性能車で、ERPCCは全米の路面電車の鉄道会社が結成した団体なので各地の路線で投入、つまり次世代の路面電車の標準型車両だったわけです。同一型式の量産効果で初期投資額も減りますし、財務的にも良い車両だったと言えます。
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PCCカーは流れるような流線型の車体が特徴です。加えて、片運転台なのでバスのように車両の後ろ側があります。終点での折返しには円形の線路を半周するとかデルタ線で切り返すとか、あとは転車台を使う例もあったような気がします。
バス窓も特徴的ですね。前も書いたと思いますが、バス窓の起源はPCCカーなのです。
なおこれも動態保存車。
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ロサンゼルス鉄道P-1形#3001(1937年セントルイス車輌製)
これもPCCカーですが、上記の#3165よりも10年前に造られた車です。
PCCカーは1936年から生産が始まりましたのでこれもその頃の車両、いわゆる戦前型(pre-war)と呼ばれる部類です。#3165は1945年式以降の戦後型(post-war)と呼ばれるタイプで、バス窓が付いているのは戦後型の特徴です。
他に、戦前型は前面窓の傾斜が浅く、車体も戦後型に比べてやや角ばっている特徴があります。
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次。なんだこいつ、アメリカっぽくない。それになんだ、一度見たことがあるような車体、塗装。
ここでなにかに思い当たり、次に恐る恐る車体の社章を見てみると・・・。きょ、京都市交通局!!
げ、なんだこれつまり京都市電 狭軌1形ですかい。いやはやこいつは不意打ちを食らいました。こんなところに渡っていたとは知りませんでした。
御存知、狭軌1形は日本で最初の電気鉄道である京都電気鉄道の路面電車です。京都電気鉄道は後に京都市に買収されて市営化されるのですが、京都市の路面電車は標準軌でなおかつ1形という電車も持っていて重複してしまうので、狭軌1形とかN1形とかN電とかのように名前が区別されるようになりました。
市営化後、京都電気鉄道の路線や車両は整理されて消えてしまうのですが、京都市電と重複しない堀川線だけは線路が狭軌のまま残り、運行する電車も狭軌1形でした。堀川線は京都市電としては特殊な路線だったのか近代化が行われず、1961年の廃線までずっと狭軌1形で運行された末期には化石みたいな路線でした。
狭軌1形というと明治村で走っているようなクリームと茶色の電車が有名ですがあれは新造時の形態で、晩年には緑と白茶に塗られて運転台には風防が付けられていました。1910年製の19号もこの形態で保存されています。
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京都市電は有名な路面電車なのでそこそこな数が保存されていて、狭軌1形の晩年仕様も複数台保存されていますが、19号の状態はその中でも一番良いでしょう。
やはり動態保存されてるみたいです。部品調達も大変だろうに。
車内もいい感じです。広告もそのまま残されているようで。
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指名手配のチラシも残ってるのとは・・・。「この顔にピンときたら110番」とか久々に聞いたな。
殺人犯と爆発物取締罰則違反者がずらずら並んでます。英訳も併記されているので日本語読めない人でも安心。
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運転台。
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ロサンゼルス鉄道#9209電動貨車(1913年自社製)
長物車にモーターと運転台を付けた電動貨車です。アメリカではPower carと言います。
LARでは他の保線用車両を引っ張る牽引車としても使われていました。また、視界を良くして他車の観察ができるように高運転台になっているのが特徴です。
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ロサンゼルス鉄道#9310軌道削正車(1925年自社製)
電車が走行することで生じるレールの摩耗を整えるための保線車両。路面電車の座席は生地無しの固い木の座席だったので、レール表面の歪みは直に乗客の乗り心地の悪化に繋がったので、軌道削正は重要に考えられていたそうです。
1963年の廃線まで活躍しました。
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サターストリート鉄道#77ケーブルカー付随車(1890年製)
サンフランシスコのケーブルカーのひとつ、サターストリート鉄道の付随車です。
通常のケーブルカーに増結する形で運用されていたようで。他に馬車鉄道の客車にも使われて馬に引っ張られながら走っていたそうな。意外とつぶしが利く車だ。
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車内。タイヤハウスがはみ出ている・・・。
座席は木張りで背もたれも低いし、ちょっと座りづらそうね。
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足回り。2軸客車研究家の見解が待たれる。
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ロサンゼルス鉄道C形#936「ソーベリー」(1914年製)
sowbellyは直訳すると豚肉の塩漬けという意味なのだけど、絶対違うだろと思う。
乗降口が中央に1箇所だけあるのが特徴です。これは台車上を避けて乗降口を設けることで低床化を図ったものです。ずいぶん先進的な構造なのですが、導入理由が面白いです。
この時期のナウなヤングな女子にはホブルスカートというタイトスカートの一種がバカウケしていました。これ、腰から足首にかけてすぼまっていくというスタイルでして、チョーが付くほど歩きにくいスカートでした。足首を縛られたまま歩くようなもので、歩幅がまるで稼げないのです。なんでこんなの流行ったの・・・。
そんな状態では階段も満足に上れないので、段差の低い乗降口を設けようと思ったわけです。
LARは当初700台を導入するともりでしたが、1915年に競合の路線バス会社が運行をはじめて経営に打撃を受けたため、107台の調達で打ち切りになりました。
さらに、1930年代からは路面電車のワンマン運転が始まったのですが、中央扉のC形は運転席での運賃収受が出来ないためこれに対応することが難しかったのです。
#936は1945年に引退して、第二次世界大戦の終結で帰還した兵士の住宅不足を解消するための仮設住宅に使われたとかで。その後も解体されずに生き残り、博物館へやってきたのです。
経歴的に原型で残っているのは車体だけで、今履いている台車は別の車から持ってきたと思われます。アーチバー台車ですし。
今日はここまで。
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