伊藤塾も全力投球中,話題沸騰の「1人1票訴訟」。上告理由書がかなり興味深いというお話は依然しました(是非升永先生のブログや冊子等で一読を)。
憲法論の軸として出てくるのが,「住所による差別」,すなわち憲法14条です。14条は「合理的な区別」は許容している,というのが判例です。だとすると,1人1票の場合,1票対1.1票であっても「合理的」ではない,という主張を展開していくことになります。選挙権の重要性,間接民主制の仕組み,代表制をささえる正当事由等を強力に展開していくことになります。1人1票では,合理的な区別自体がありえない,という事ですね。これ結構インパクトある発想です。
「合理的区別論」は何となく,「現実問題として多少の差異の存在はやむなし」という前提ありき,のような気がしますが(ほいで,どの程度まで「開いて良いか」という発想),行政法の裁量収縮論じゃないですが,合理的な区別が収縮して,区別の存在自体がありえない,許されない場面も当然あるということです。当たり前といえば当たり前ですがコロンブスの卵と同じで,言われるまではピンと来ない。これいきなり問題で出されたら結構面食らうんじゃないかな。
アメリカの連邦最高裁では,1票対0.993票(1対1.007倍)の「最大格差」が違憲無効とされています。他方わが国では,2009年夏段階の衆議院議員選挙での1票の価値の最大格差は1票対0.43票で,1対2.3倍です。まるでお話にならない状況ですね。最高裁の大英断に期待しましょう。国会に遠慮する必要は無いと思います。