即身仏希望!?→199条,202条,219条?・・?(通算666号エントリー)

2010-07-30 16:22:01 | 雑感
先日,111歳男性実は30年前に既に死亡?という物凄いニュースがありました。
同居の孫は警察に対し,「祖父は三十数年前に即身成仏するということで、部屋に閉じこもっていた」と説明したそうな。他方で,「長女(81)夫婦と孫2人の計5人暮らし。家族は今年3月に加藤さんの部屋を確認し、遺体を発見していたが、届け出ていなかった。」そうなので,死亡に「気がついた」のは,今年の春ということになる。30年間,居間に「篭り続ける」男性がどうなっていると思っていたのだろか不思議。そのうち真相が明らかになるとは思いますが,仮に刑法の問題だと考えた場合,何罪が成立するのか,とすぐ考えてしまった。

咄嗟に思い浮かぶのは,保護責任者遺棄致死罪でしょう。本件のような場合,不作為の殺人罪と言うのも脳裡を過ぎる。ただ殺人の場合は殺人の故意が必要になる。また,「即身仏になる」,という本人の意思が本当にあったとするとこれをどう評価するか。不作為による同意殺人なのか,自殺関与なのかまた悩んでしまうところ。大体,「不作為の同意殺人」という類型自体あまり馴染みが無い。寝たきりの老人が「俺は死にたいんだ。即身仏になるんだ。放って置いてくれ!」という場合,つまり自殺しようとしている場合に,これを「手伝った」と評価すれば自殺関与罪になりそうだ。しかし,本件のような場合は不作為による同意殺人とは言えないのか,というとこれまた悩む。本件のような場合,殺意があれば,不作為の殺人事例と言えなくないので,プラスして同意あり事例,と見れば同意殺人と言ってもおかしくない。

山中で瀕死の重傷を負った登山パートナーを置いて行く場合だとどうだろうか。「俺は助からない,置いていけ!」と言われて置いて行った場合,保護責任者遺棄致死なのか,不作為による殺人なのか。はたまた「俺はもう駄目だ。」というのを「自殺意思」と言えれば,自殺関与になるのか。それとも同意殺人?保護責任者系で行くにしても本人が保護を放棄しているわけでこれをどう評価するのか。同意があるから無罪にしちゃう?同意の有無は関係ない?構成要件不該当なのか違法性阻却か。そもそも同意あったので放置しました(=死にました)って社会通念上如何なものかと。同意傷害の場合の議論も参考になりそうです。

山口先生の本を読んでも,自殺関与と同意殺人は実質的に判断しないと区別できないし,両者の境界も非常に曖昧だとある(でも両者で法定刑はかわらないから議論の実益は無い,と書いてあるが,試験で出たらそうもいかない。ここは決め打ちするしかないのであろう)。

ふーむ,難しい。
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i-pad

2010-07-29 13:17:55 | 雑感
i-padがなにやら人気である。

パソコンの時もそうだったが,新しいツールが出て来たときに,「とりあえず買う派」と「じっくり考えてから買う派」がいると思うが,吉野は間違いなく後者である。何かと「目的」から入りたがる傾向があるのは否定できない。悪い事だとは思わないが,まずは手に取ってから考える,ということも大事だなと思う今日この頃。考える前に行動する,という事も重要だから,同じように考える前に手にとって見る,というのもありである。手にして思い浮かぶアイディアも間違いなくあるはずだからだ。

とか言いながら,既に吉野は色々考えてしまった(笑)。

i-padを,講義のテキスト代わりに使ったら間違いなく便利だろう。テキストのi-pad化である。誤植情報や最新情報の更新などが随時出来る。これはコスト削減に相当なるだろう。アップデート機能でパッチを配ったり情報を更新すればいいからである。誤植で無駄になる紙と言うのが無くなるし,大きな倉庫も要らないし,発送の手間隙もかからない。タイムラグも生じない。

またアンダーラインを引いたりすればテキストを自由にメリハリ付けすることもできる。
判例の原文に当たったり,条文検索も,普段パソコンでやっていることがi-pad上で出来るから非常に便利だ。何より持ち運びに便利。全科目1台にデータ収納できる。しかも判例や条文込みでだ。参考資料も検索できる。ただ目が疲れそう。

我輩のように「紙媒体も無いと嫌派」であれば,データのプリントアウトが出来れば問題ない。ただこれは著作権維持の観点から難しいかもしれない。気楽に違法コピーする人が多いので,結果的にこういう便利な事が制約されるのは困ったもの。人間はよく自分で自分の首を絞める。まぁ,希望者には紙媒体も配布にすれば良いのかな。

なんてことをチラッと考えた。まぁ,自分がまだ持っていない癖に,こんな事をつらつら考えるのが妄想派の妄想派たる所以であろう。

そう言えば,私もお世話になった三田にあるローの偉大な刑法の先生が,講義録として使おうかな,と書いていたような。・・・あれ,全然俺のオリジナルの考えじゃないや!(笑)
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出来ない理由

2010-07-28 15:08:22 | 雑感
「出来ない理由」は究極的には2つしかないと思う。

一つは,努力していない(又は足りない),もう一つは向いていない(能力不足)である。

なんかごっつい事書くのぅ,と思われた方も多いかと思いますが,このスタンスで吉野は考えています。もっとも実際問題,2つ目の理由は無いと思う。これには前提があって,「人間は,自分が本当に出来ない事にはチャレンジしない」という「真理」である。これは的を得ていると思う。

例えば私は,野球やバスケット,アメフトが大好きだが,生まれてこの方,1回も「本気で」野球選手になろうとか考えた事がない。理由は至極簡単で,どんなに頑張っても成功することは無理なのが分かっているからである。身体能力とか考えればすぐ分かる。高校時代にはご多分に漏れず,ロックバンド等に憧れたが,趣味でバンド組んだりしてさえいない。見るだけ,聞くだけ,妄想するだけ(笑)音楽の分野では全然才能がない事くらい分かっていたからである。

ちなみに吉野は妄想の世界では,史上最高のメジャーリーガーであり,マイケル・ジョーダン・クラスのバスケットボールプレイヤーであり,スーパーボウルは既に6回制覇している。ついでに言うとグラミー賞とアカデミー賞の常連である。ついこの間は,総理大臣をしていた。好きな分野,興味のある分野が年とともに増えて行くにつれ,妄想の世界ではモンスターになってしまっている(笑)でも,現実世界で本気で目指そうなんて考えた事はない。

人間には「向き・不向き」があるのは厳然たる事実だ。自分の希望と向いている分野が一致した場合は,本当に幸せだと思わないといけない。「向いていない事」には本気でチャレンジしないのが一般的だと思う。まぁ,最初から気がつくか,暫くしてから気がつくかの差はあると思うが,最後の最後まで引っ張る人はそうそういないと言って良いだろう。

この「真理」を前提に考えると,司法試験を本気で目指そうとした以上,司法試験に関しては,「やればできる」,ということを本能が察知したということである。だとすれば「やればできる」はずである。でも出来ないのは何故か。「やっていない」からに他ならない。

最初の問いかけに戻ると,出来ない理由は究極的には2つしかないが,実際には1つだと言う事になる。もしこの段階で2つ目が理由だ,と「本気で」感じたら路線変更すればいいのである。向いていなかった,というだけの話だ。

いや理由はそうじゃない,と思ったら潔く自分の努力不足を認めよう。やらないから出来ないのであって,能力の問題ではないのである。

「やろう」。やればできるのに,やらずに終わるのは勿体無い話である。厳密には「やり抜こう」だが,とにかく「やろう」。
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↓法治国家復活↓

2010-07-28 11:55:05 | 雑感
下記のエントリー書いたら,2人執行という物凄いタイミングで1年ぶりに刑が執行された模様。鳩(弟)が激怒していたしね(笑)死刑存廃については,きちんと議論をすべきだ。

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法と民意と司法権を無視する法相

2010-07-27 19:27:11 | 雑感
死刑判決確定後6カ月以内に執行命令を下さなければならない。しかし、千葉法相は昨年9月に鳩山内閣で大臣に就任して以来、一度も死刑執行命令にサインしていない。法相は人権派弁護士から政治家に転身し,大臣就任までは超党派議員による「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーで、死刑反対論者というのは就任前から有名であった。

さてこの問題ですが,やはり由々しき事態と言えると思う。死刑廃止か存置かと言う議論はここでは置いておく。というか関係ない。問題にすべきは,法相の法の軽視,司法権の軽視の姿勢である。法による行政を完全に無視しており,法治国家の否定である。

どうしてもこの手の議論は,「なんだお前,死刑賛成なのか」という方向に行きがちで,おまけに「死刑賛成派」というレッテルは何だかネガティブなイメージがある。積極的に「人を殺せ」と言っているかのような印象がある。

しかしここでの問題はそういう問題ではない。単に法相の個人的信条ゆえに法執行を拒否しているのは誰の目にも明らかである。自己の信条を貫く為に法を完全に無視しているとしか言いようが無い。こんなのが法務大臣でいいのか,という問題である。例えば,国民世論として,死刑について真っ二つに割れているというのならまだ分からんでもないが,最新の産経新聞の世論調査では、「死刑制度は必要」が94%で、「法相は速やかに死刑執行命令を下すべき」が88%だったそうである。これをどう見ているのか。また,本気で死刑廃止を目指し問題提起したいのならば,死刑廃止法案を提出し国会で議論すべきである。それすらしていないで,ただ執行を控えるとは何事であろうか。

「(死刑判決確定後も)再審が起こされていないとか、心身に問題がないかも含め、死刑は慎重にならざるをえない刑罰だ」と述べたそうだが,これもおかしな話である。死刑確定囚は今109人いるが,109人全員が,再審を提起したり心身に問題を抱えているのであろうか。ならば法相は即刻109人全員について具体的事実を摘示して説明すべきである。また仮に死刑確定囚が自ら早期の刑執行を望んだ場合(実際以前いた),法相は執行するのだろうか。恐らく何だかんだ理由をつけて執行しないのではないか。これが問題なのである。死刑廃止・存置とは関係ない。政治的理由で議論は避けつつ,しかし個人的信条に基づいて法と確定判決を無視する姿勢が許されないと言う話である。

昨年の就任当時,この人がガチガチの死刑反対論者であることは知っていたので,いずれ顕在化する問題だと思っていた。恐らく「友愛」大好きバドライト鳩山の好みで(政権のイメージ優先で)就任させたのだろうとは思ったが,鳩はどうするつもりだったのか,というのは今でも気になるところである。いずれ政権のアキレス腱になるのは目に見えていた。まぁ,多分何にも考えていなかったのだろう。海兵隊の抑止力すら知らない最高権力者だったのだから。それとも前任者の鳩(弟)がガンガン死刑を執行していた事に対するあてつけだったのか。

おまけに肝心の法相がまさかの参議院選で落選である。一票の格差最大の「被害者」という皮肉なおまけつきだ。そんな落選した現職大臣を留任させるクアーズライト管も困った者だ。一人でも入れ替えがあれば人事問題に波及する為,残したに過ぎない。それも見え見えである。基本的に現在の民主党政権は,民意などもうどうでもいいのであろうか。自己保身しか考えていないし,政策は滅茶苦茶だ。

話を元に戻すと,現在未執行の死刑確定囚は109人おり、財政や収監スペースを圧迫しているのも事実である。そう,多額の税金がかかっているということも見逃せないのだ。これを「無駄遣い」と言い切るのは流石に躊躇を覚えるが,釈然としないのは事実である。

しかし,法相のこの態度,正当化(というか適法化)できるのかね。ちょっと酷いんじゃないかなぁ,って思う。死刑について異論がある以上,執行は控えるべきだ,というけれど死刑廃止法案が無理なら停止法案くらいは成立させた上で執行停止すべきだと思う。それが法治国家のルールなのではないだろうか。単に個人的信条を理由に執行停止をすることがいかん,という話である。この問題を死刑廃止・存置の話に摩り替えてはならないと思う。相当おかしな事になっている。
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The Pacific

2010-07-27 16:36:33 | 雑感
最近,WOWOWで「ザ・パシフィック」というTVミニシリーズの放送が始まった。ミニシリーズとは言うものの,全10回放送で総制作費200億円,スピルバーグとトムハンクスが製作総指揮という超豪華版である。TV番組に200億円かける辺りがアメリカのパワーだ。

何の話かというと,タイトルからして分かるように「太平洋戦争」が素材である。実は9年前にスピルバーグ&ハンクスは,第2次世界大戦の欧州戦線を素材にしたTVミニシリーズ「ザ・バンド・オブ・ブラザーズ」で大絶賛を浴びている。欧州戦線の次は太平洋戦線というわけだ。昨夜は第2回が放送され,タイトルは「ガダルカナル 後編」。実在の海兵隊員3名の手記をベースにした実話だ。バンド~もパシフィックも,とにかく見ていて「痛い」ドラマである。戦闘シーンが最大のウリではあるのだが,とにかく「痛い」。とことんリアルに戦闘シーンが再現されている。銃弾一発当たったらドンだけ痛いんだろうか,というのがビシビシ伝わってくる映像なのだ。空襲シーンもとてつもなく恐ろしい。ただ自分に当たらない事だけを祈るしかない。生死を分けるのは運だけだ。見ていて自分が戦場にいる錯覚に陥り,ハラハラドキドキどころではない。一瞬にして命が奪われる極限状態を見事に再現している映像である。見終わると徒労感すらでてくる。スピルバーグもハンクスもこのドラマで何を描きたいのか,という質問に対し,「色々ある」としつつ,「最も描きたかったのは,如何にして彼らが生還したかである」と言い切っていた。何故生還者が帰還後,社会に順応でなくなるのか,PTSDを患うのか,良心と狂気の合間に落ちていくのか。これらが全て,見れば分かるドラマというのは中々無い。

今回は太平洋戦線が素材であるから,当然「敵国」は大日本帝国ということになる。物凄い数の日本兵が毎回死んでいく。そういう意味では,欧州戦線を描いたバンド~より感情移入しにくいか,と思っていたのだが全然そうではない。映像はアメリカ兵の視点で描かれているが,見て思ったのは,最前線で命のやりとりをしている時には,アメリカ人も日本人もないということである。そこにあるのは,「人間」の生存本能だけだ。ただひたすら登場人物の生存を祈りたくなる,そういう極限状態が再現されている。日本人もアメリカ人も無い。たまたまアメリカ人の登場人物の視点で映像を追う事になるから,彼・彼らに生き残って欲しいと感じてしまうだけなのである。日本人視点で追えば逆になるということである。その意味で,反日映画でもなんでもないし,アメリカお得意の戦争賛歌映画でもなんでもない。これを見て感じるのは「戦争はよくない」ということだけである。かけがえの無い命を一瞬で奪われるからだ。スピルバーグが秀逸なのは,バンドも今回も,最前線の軍曹レベルの兵士を主役に据えている事である。しかも最激戦地に投入された部隊が主役だ。勝つも負けるも,鬼畜米英もジャップもない,あるのは「今日も生きて帰ること」だけなのである。如何にして生きて帰るか。そんな日が毎日続く無限地獄だ。当然,「何でこんな事をしなくてはいけないのか」という疑問が湧き上がってくる。兵士達は日に日にジャングルに飲み込まれていく。

戦争では「お題目」が良く語られる。ナチスや共産主義を食い止める,民主主義を守る,などである。司令部レベルでは国民意識を高めるために,プロパガンダが必要だ。しかし最前線の兵士には関係ない。「なんでそんなもののために殺しあわなければならないのか,自分は一体何をしているのか」という疑問にぶつかってしまう。それが精神を蝕んでいくのである。そこには栄光の勝利などない。自分が生きて帰るかどうかしかない。命を懸けて命を守るだけである。得る物など何も無い。

そういう意味で確かにこのドラマで描こうとしているのは強烈な「生」だ。今後物語はシリーズ後半に向けて,シリーズ最大の山場「ペリリュー島の激戦」3話連続放送に向けてひた走って行く。ペリリュー島で米軍は,序盤戦で日本軍の猛攻撃を受け,上陸部隊の第1海兵師団が全滅判定を受けるほど大打撃を被ることになる。海兵隊の司令官はこの結果に衝撃を受け心臓病を発病し,最終的には米軍勝利に終わるも,負傷者8000名以上,この他に精神異常を惹き起こした兵士が数千名を超えるという史上稀に見る大激戦となる。物語ではこの激戦に実際に参加した主人公の一人が精神を病んで行く過程が描かれる。日本側は数十名の生き残り兵士を除き,1万1000名近くが尊い命を落とし,玉砕作戦を決めた後,大本営に打電された「サクラサクラ」の6文字は,全ての日本兵がサクラのように命を散らした事伝えたものとして後世に伝えられる事になる。そしてシリーズ第9回では,終戦に向けて最後の「悲劇」沖縄戦が描かれる。

毎年夏になると戦争関連の本を読んだり,ドラマを集中的に見るようになる。やはり日本人として8月は特別な季節なのだと思う。なお,ペリリュー島は現在,パラオの名前で知られている。
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初夏の思い出

2010-07-26 15:40:25 | 司法試験関連
土用の丑の日だそうです。そして満月です。

最近,最高気温32度くらいだと「今日は大した事無いな」と思ってしまう夏男吉野です,お元気ですか。全くもって夏風邪が治りやがりません。治るような生活もしていませんが,自業自得ということで折り合いをつけております。

2010シーズンのでかい試験もほぼ終わり,収穫の秋を待つだけとなった方も多いのではないでしょうか。このまな板の上の恋状態はある意味試験直前期よりストレスを感じます。もう因果的影響力は行使できないので悶々とするしかありません。いや本当に辛い。


悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶悶

うわー。・。・。・。・。・

新司法試験の発表まであと一月半。何だかんだと5月の本試験が初夏の思い出に変わり始めた頃でしょうか。試験から発表までの長い夏の3分の2くらいが過ぎた計算です。是非塾の合格祝賀クルージングでお会いしたいです。

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小売市場判決と薬事法判決

2010-07-23 18:00:00 | 司法試験関連
超重要判例である,小売市場合憲判決と薬事法違憲判決。何度読んでも勉強になる判例ですが(特に後者),ちょいと頭の体操してみましょう。

両事件は,職業選択に関する事前抑制と言う「同じ類型」の事件です。ところが,用いられた審査基準は異なり,結論も合憲と違憲という真逆のものとなっているのはご存知の通り。

そこで,「同じ類型」なのになんで両極端の結論になったのか,改めて理由を考えてみて下さい。積極目的規制だから,消極目的規制だから,というだけではさすがに説得力はないですね。もう少し具体的に考えてみましょう。それぞれの「事案の特殊性」という観点から判決文を読み直してみる,ということですね。

規制態様も考慮すると言っても,両方とも参入規制型ですからこの点でも差は無いですね。
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人間は主観に囚われる

2010-07-23 15:43:08 | 雑感
最近強く感じるのが,実際問題,物事はネガティブにもポジティブにも両方解釈可能である,という事である。プラス評価もマイナス評価も見事に双方成り立ちうる。
どちらが正確な評価なのかはケース・バイ・ケースとしか言いようが無い。だから最近思うのは「あれこれ思案しても仕方がない」という実も蓋も無い理屈である。これは最近とみに感じるようになった。

一つの法則性として言えるのは,自分に自信が無い,不安な気持ちになっている,主導権を握れていない(相手方次第の場合とか),拘りの対象が代替性がない(もしくは低い)と言う時は,まぁ,すべからくマイナス評価の方をピックアップしてしまうという人間の哀しい性である。連続した事柄全ての評価をマイナス評価で考えてしまうからそりゃ凹むしテンション下がる。やる気も無くなる。「あー,何しても仕方がない」なんて最後にはなってくる。正に自分に選択権が無いという状況。この場合,それこそ自分ではどうしようもない,という状況なので不安になるのは当然だ。状況を自分でコントロールできないと思っているからだ。

でも,本当にそうなのか,と言ったら全然そんな事はないのが普通であろう。正に思い込みである。自分がネガティブ思考になっているから物事全てがマイナスに「見えてしまう」だけの話である。傍から見たら,「何してんだ一人相撲」状態。でも本人にしてみたら深刻である。人間くさいと言えばそれまでだが,それだけ精神状態に影響されると言うことである。客観的事実に影響されているわけではない。

こういう時は行動に気をつけないといけない。焦りは禁物である。足が地についていないときのジャッジほど後々自分の首を絞めるものもない。即断は禁物だ。こういうときは,まず思考を停止するのがいい。で,のぼーんとしてみる。考えるとネガティブになるのが主要原因なので,まず考えない。まるっきり考えないのが難しいのならば,意図的にプラス評価の理由付けを考えてみる。これはこういう風に捉えられるんじゃないか,こういう意味ではないのか,とひたすらプラス評価をしてみる。そうすると少し楽になってくる。この場合,プラスの評価が正しいか,マイナスの評価が正しいか等考えては駄目である。意味が無くなる。ひたすら,実はこういう風にも考えられるんじゃないか,こういう可能性もあるんじゃない,と良い方向にのみ徹底的に考えるのである。

普通の状態でも人間という生き物は精神的に不安定だ(安定していない,という程度の意味)。ましてや「受験生」と言う属性が加わるとえらい事になる。日々の感情のアップダウンは日常茶飯事。たかが答練の点数で「Top of the World!!」とオスカー受賞時のジェームズ・キャメロン並みに叫びたくなったかと思えば,「もう駄目だ,向いてないんだ,絶対無理だ」,なんてマリアナ海溝の底目指す勢いで意気消沈する。
気分が高揚しているときは,あまり調子に乗らないようにすればいいだけなのでまだ楽だが,実際には意気消沈する事の方が世の中多い。凹みモードの時で,何も考えない,プラスに考えてみる,という対症療法も効かないときはどうすんだぃと。

現代版若きウエルテルの悩み野郎吉野の行きついた結論は!

「じゃ,諦めんのかよ」という自問自答である。

一番のお薬。一旦現状を受け入れる,というのも意外に効き目があるように思う。
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良く言えばマルチタスク,悪く言えば堪え性なし

2010-07-22 19:11:50 | 雑感
我輩は,1つのことだけをずっとやり続けるより,2,3種類の用事を同時進行でこなすのが好きなタイプである。もちろん「同時進行」と言っても文字通り同時処理するわけではない。吉野のスペックで同時処理できるのは,物を食べながらTVをみつつ尻をかくくらいである。

仕事で言えば,2,3種類の仕事を同時に抱えている方がやり良い。まぁ,理由は簡単で,同じことばかりやると飽きちゃうのである(苦笑)。何事も飽き始めると物凄い勢いでテンションが下がるのは自分でも良く分かっているので,飽きないようにする必要があるわけです。で,一番良いのは,飽きたら別の仕事をする,という「切り替え方式」。大体何故飽きるかと言うと単調になってくる,アイディアがでてこなくなってくる,という状況が「飽きる」状況なので,ようは煮詰まった状態でもあるのです。煮詰まった時に更にウンウンしても余計に煮詰まるだけでよろしくありません。また人間の脳は,じっくり考えた後は,暫く「寝かせる」状態を間に挟んだ方が「閃きやすい」という特質があるそうなので,寝かせる事にも意味があります。ですから,なんか飽きたなぁ,と思ったら途中でも作業を切り上げてしまいます。区切りのいいところまで取りあえずやる,ということもしない。飽きたな,と感じたらもう止めちゃう。区切りの良い箇所まであと2,3ページくらい頑張って読むとかもしない。意外にこの「中途半端感」が次回作業を再開する時にスムーズに作業に入れる理由にもなります。

以前書いたこともありますが,読書も6~10冊くらい同時に読み進めるのが普通です。ちなみに全て読みきるということは中々ない(笑)何故かというと,意外につまらないぞ(上下巻もので多いのですが,上巻は面白くても下巻でクオリティーが下がる,大体先が見えてしまう,ということがある),となって読み切る気が無くなったり,もっと面白い本に興味が移ってしまう,ということもあります(後から読み始めた方が先に読み終わることも珍しくない)。ある意味,本同士の勝ち抜き戦をやっている感じです。常に一番面白いもの,興味深いものを優先的に読めるようにするわけです。外出する時は必ず2,3冊本がバッグの中に入っています。携帯を入れ忘れることはあっても,本を入れ忘れることは100%ない。途中で放棄してしまった本は結局その程度の魅力しかなかった,縁が無かったということでそのまま放置。ま,2年後くらいに突然再開するときもありますけど。

勉強も似たような感じで,10時間1科目がつん,という勉強の仕方はまずないですね。大体2,3科目くらい回す感じです。しかも民事系と刑事系とか,実体法系と手続法系,論文と短答のように,似たような系統が連続する事は避けるようにしていました。理由は飽きちゃうからです(笑)。もっとも例外もあって,初期段階(全体構造の把握や,その科目の「世界観」を身に付けたい時です)や,ある程度まとまった苦手分野を一気に片付けたいという目的がある時は,一気に集中してクリアするようにしています。この場合はこの方が効率が良いからです。

多分,1つのことを10時間とか連続でやり始めると,作業内容が細分化しすぎるというか幹からドンドン離れて枝葉末節に拘ってしまう傾向が自分にはあるからだと思います。なんか今日はすんごぃ頑張ったぞ!と思っても見返してみると殆ど進んでいない,細かい事に拘り過ぎた作業をしただけ,ということが自分は多いんですね。このペースじゃ1年かけても最後まで終わらんぞ,みたいな体です。だから短時間で一気に突っ走る感じのほうが合っているのです。性格が大きいような気もしますが,こと受験勉強に関しては,複数科目を有機的に回すほうが効率はいいと思います。

ちなみに,受験生時代,刑事訴訟法,民事訴訟法,行政事件訴訟法を同時に勉強した時は各科目の特徴が浮かび上がってきて凄く理解が進んだ記憶があります。
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新司法試験過去問分析から見えてくる 短答基準点突破法

2010-07-22 13:00:03 | 司法試験関連
つい先日,渋谷東京校で,夏の無料公開講座第1弾として,「新司法試験過去問検討から見えてくる 論文答案の合格要件」をやったばかりですが,今度は第2弾短答編として,「夏の無料公開講座 新司法試験過去問分析から見えてくる 短答基準点突破法」を8月2日月曜日15時~17時という時間帯で行います。

新司法試験の短答式試験ほど扱いに困ると言うか,対処に困る試験もありません。7科目もあり,しかも出題範囲に全く遠慮が感じられない(笑)。合否判断資料としては,対論文比で1対8と比重が軽くなったものの,落ちたら元も子もない,という性質は変わっていません。しかも短答式試験は同時に「論文基礎力」も兼ねている為,実際に高得点がとれないとしても「潜在的には」そこそこの点を取りうるだけの「底力」はつけておかなくてはいけない。そして結局一言で言えば「面倒くさい」って結論になります(笑)。

実際未修者の人などは「どこからどう手をつけていいものやら」「いつからやれば間に合うものなのだろうか」という点で先が見えない感が強いのではないでしょうか。実際に一振りしてしまった人なども「結局最後まで伸び悩んだ,どうすればいいのか」という悩みを持っている人が多いな,という印象もあります。

そんなわけで,じっくり短答式試験対策について腰を据えて考えてみました。今回は改めて第5回の試験の全問題を順番に解きながら肢レベルで分析してみました。普通に大変でしたが(苦笑),各科目の性格,難易度の「質」を実感できました。

是非ご参加下さいませ。もう2週間切っているんだなぁ~。早いや。

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遂に!!!

2010-07-21 19:50:00 | 雑感
吉野の講師紹介の写真が変わりますた!ねぇさぁん事件です!

東京校の公開講座告知用ポスターの写真は斜に構えていますが(笑),こっちはふんわか系に仕上がっております(笑)。

まじめそうです。
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予備試験組行政法学習作法

2010-07-21 13:00:00 | 予備試験関連
来年予備試験を受けようと言う方は,今夏は行政法から勉強するのが良いのではないか,と言う話を以前しました。

「行政法」という法律は存在しませんが,試験的に重要な「行政法」としては,行政事件訴訟法,行政手続法が2トップです。これに続くのが,行政不服審査法,国家賠償法,行政代執行法,情報公開法,個人情報保護法です。これらの条文の読み込みは当然のこと,関連する判例・論点等の学習をする,というのが「行政法」の勉強スタイル,ということになります。また実体法の整備度が低い法律にありがちな,「判例の重要性の高さ」は,行政法は半端ではありません。百選2冊+直近の重要判例集は必須です。

定義が非常に重要で,例えば,行政指導って何だろうかと。行政手続法2条6号に定義規定があります。この定義規定を元に考えます。問題文で行政機関が,国民に対し何か「指導」していると。この「指導」に行政手続法の適用があるかという問題が出たりします。「一定の行政目的を実現するため」なのかどうか,「特定の者に」対するものになっているかどうか,「一定の作為または不作為」を求めているかどうか,などの検討を求められます。「特定の者」ではなく,結局不特定多数の者に対する「メッセージ」になっていれば,それは行政手続法上の「行政指導」ではない,ということになります。

論文試験でも,取消違法があるかどうかという場面で,行政手続法違反の違法事由があるかもしれない,という手続違法アプローチは定番です。例えばその場合,まずそもそも本問における「行政の行為」が,「不利益処分」なのかどうか,という当てはめをしなければいけません。そして「不利益処分」だとしたら行政手続法第三章の適用対象となりますから,第三章規定の手続をとっていなければ手続違法がある,という処理になります。このように定義規定のあてはめという作業を頻繁に行う事になります。言葉のイメージから「何となく」判断するような事は無いようにしましょう。行政法は変な思い込みに引っ張られやすい科目なので,「定義規定は無いか?」という姿勢を持つようにしましょう。

ちなみに「仕組み解釈」という言葉がやたらめったら出てくると思いますが,それは新司法試験対策段階になってから本格的に学習すれば大丈夫です。ケースメソッド論文マスター行政法でこれでもか!とたっぷりやりますからご安心をば。まずは基礎固めです。
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夏がいっぱい

2010-07-20 17:55:19 | 雑感
全国的に海の日3連休でした。初日の17日に例年より早く関東地方は梅雨明けしました。

我輩,よく週間天気予報を見ているのですが,笑ってしまうのが同じ日の予報なのに日に日に最高気温等が上がっていく事です。例えば21日は,最初の頃は最高気温32度くらいだったのが気がついたら35度になっていたりしました。34度に下がったりもしますが。あれなんなんすかね(笑)。

海の日ってーくらいですから海に行きました。海の日に海に行く,まぁ,国民の義務といえましょう。

場所は地元定番の房総半島は城崎海岸です。俺はここにこの20年間で何回来てるんだろうか。50回は軽くオーバーしている。そして穴場であることは今年も変わらない。永遠の穴場だろうな,ここ。まだ水は(かなり)冷たいです。去年の6月の海水温に近い感じがしました。これがね8月中旬過ぎとかになると夕方になっても微温湯みたいで気持ちが良くなるから不思議。この時期は当然の如く海も浜も大変綺麗です。まだ「夏疲れ」していません。こういうのがいい。

ちなみにここ5日ほど喉の調子が悪いです。端的に言えば風邪を引いていますが,自分では引いていない事にしていまして,振る舞いも元気であることを大前提に振舞っております。だから中々治りません。嗚呼,夏だね。
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法科大学院入試シーズン

2010-07-20 13:10:47 | 法科大学院関連
そして法科大学院入試です。いよいよ私立ロー入試が視界に入ってきた頃合ですね。中央,慶應,早稲田辺りを併願すると言う人は多そうです。ロー入試の過去問題というのは,解答が分からなかったり,不十分な面がありますが,慶應・中央LS突破ゼミ ,LS論文シミュレーションゼミ,慶應択一対策小教室なども利用してみて下さい。

まずは,過去問題を時間を計って実際に解いてみましょう。論文は実際に書いてみるのが良いかなと思います。これで受験校のスタイルを体感しましょう。

旧司法試験論文受験組は実力的にはピーク状態だと思うのでそれを落とさないように注意する事が大事です。後は,試験時間に対応しましょう。論文は60分と言うのがこびりついていますからまずこの修正。択一試験はこれこそ過去問題を解かないと,「憲民刑はまぁ,大丈夫だろ」と油断しかねません。各校癖があるのでまず過去問題を解いて敵を知るようにしましょう。結構面倒くさいです。あとは判明した自分にとって足りない部分を補う勉強をひと夏すれば良いと思います。慶應や中央の全額免除目指して頑張りましょう。こいつは意外に狙えます。問題研究をガッツリマスターすれば大丈夫です。経験者が言うんだから間違いない。

在学生の方で法科大学院入試を考えている人は,論文・択一共に従来通りの勉強を進めれば大丈夫です。特に論文を書き慣れていない人は,答練などを集中受講して書く経験を積むようにしましょう。答練を「ヤマ当て」目的で受けるのはやめてください。「書くことに慣れる」と言うことが何よりも重要なのです。ここで書き慣れておかないと,既修者であっても,論文経験値で有利,ということにはなりません。特に旧司法試験受験経験の無い人はこの点を肝に銘じましょう。

↓そして吉野唯一のロー入試対策講座が,こいつです(笑)↓
http://www.itojuku.co.jp/41shinshihou/kouza_ichiran/13188.html
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