論文・短答問わず,答練の成績を記録しない,短答の過去問の点数を記録しない,というのは正直理解できない。自己の勉強の「工程管理」ができていないから,受験する年の2月3月辺りになっていきなり「短答が全然できないどうしよう!」なんて泣き言を言う羽目に陥るのである。
2回連続基準点未満の人に顕著に見られる傾向は,全く同じ失敗を繰り返す,と言う点である。過去問やって,肢別本でもやって,で済ますというミスを連続でやってのけるのである。いつも不思議だったのは,どこか途中で「このままでは駄目ではないか」と何故気がつかないままに直前期まで来てしまうのか,という点だった。
普通なら,「このままでは拙い」と感じたら手を打つはずである。にも拘らず,手を打たずに無為無策で突き進むのは何故なのか,と思っていたのだが,最近,「ひょっとして,自分自身の状況を把握できていないのではないか」ということに気がついた。「過去問題をやった」,という人はいるが,「時間を計ってやった」人がどれだけいるのか,という話である。できない人に共通する現象は,「自分の点が言えない」,というものである。論文も同様である。自分の受けた答練の自分の点数が言えない,平均点が言えない。過去問で何点とれるか言えない(科目別に把握するのは当然のことである)。一番驚くのは,「今年基準点に届きませんでした」「何点だったの?」「・・・えっと,○○○点くらいかと」。
どれだけ自分に興味が無いのか,と言う話である。「くらい」って何なんでしょうか。科目別に何点取れているのかくらい自分で調べようと思わないのであろうか。そんなことだからまともな受験対策を取れないのである。何故なら現状を把握できていないのだから,適切な手など打てるわけないからだ。病院にいって「頭が何となく痛い」といっても,適切な治療など到底期待できないであろう。風邪なのか,脳梗塞の前兆なのか,肩こりから来るものなのか,偏頭痛なのか,ストレスから来たものなのか,色々頭痛には原因がある。この程度の情報だけでは,どんな名医でも治療の仕様が無いであろう。
それと同じことをやっているのである。自分の人生にかかった極めて重要な試験において。旧司法試験の受験生は,自分の受けた答練の点数を把握していたし(というかきちんと記録していた人が非常に多い。そのため合格体験記にはその人の受験した全答練の点数一覧とかよく載っていた。しかも数年分のものが,である),答練の自分の科目別平均点も計算していたし,とにかく数値化して自分の状況を把握していたと思う。ところがこの「受験文化」が完全に失われてしまったように思える。
こう言っては何だが,直前期になるまで自分のやばさ加減に気が付かないなんてありえないし,何を寝ぼけているのか,と言われても反論できないのではないか,と思う。恐らく「漠然とした不安感」だけはあるのだろうが,具体的には自分の「やばさ加減」をまるで認識できていないのである。もう少し,自分自身に興味を持つべきだと思うのだが,皆さん如何であろうか。