(半紙1/2)
禅語の「無事是貴人」(ぶじこれきにん)
お正月の掛け軸にも好まれる言葉に「無事」がある。
でも禅語の「無事」は、普段使う、無事でありますようにとか、
平穏無事などとはちょっと意味が違って、救いや幸福を、
自分の外に求めなくてもいいんだということに気づいた境地のこと。
自分の外・・たとえば、この人じゃない人と結婚していたらとか、
別の会社に就職していたら、別の家に生まれていたら・・とか、
自分の内なる純粋な魂に目を向けず、外にばかり幸せを探していると、
実は大事なものは遠くへ行ってしまいますよ~ってこと。
欲張らず、自分ができることを日常の中でこなしていく処に「無事」があり
幸せが待ってますよんってことかな
そして「貴人」とは、そういう安心、悟りを得た人のこと。
今もイスラエルをはじめ、世界のどこかで戦争や紛争がある中、
無事是貴人という境地がどれほどの救いとなるものなのか、
今の私にはどこかしっくりこないけれど
ちっぽけな私は、目の前の日常の中で、自分ができることをがんばろうって
思うこと位しかできないけれど
禅語の「無事是貴人」(ぶじこれきにん)
お正月の掛け軸にも好まれる言葉に「無事」がある。
でも禅語の「無事」は、普段使う、無事でありますようにとか、
平穏無事などとはちょっと意味が違って、救いや幸福を、
自分の外に求めなくてもいいんだということに気づいた境地のこと。
自分の外・・たとえば、この人じゃない人と結婚していたらとか、
別の会社に就職していたら、別の家に生まれていたら・・とか、
自分の内なる純粋な魂に目を向けず、外にばかり幸せを探していると、
実は大事なものは遠くへ行ってしまいますよ~ってこと。
欲張らず、自分ができることを日常の中でこなしていく処に「無事」があり
幸せが待ってますよんってことかな

そして「貴人」とは、そういう安心、悟りを得た人のこと。
今もイスラエルをはじめ、世界のどこかで戦争や紛争がある中、
無事是貴人という境地がどれほどの救いとなるものなのか、
今の私にはどこかしっくりこないけれど

ちっぽけな私は、目の前の日常の中で、自分ができることをがんばろうって
思うこと位しかできないけれど
