(半紙1/2)
禅語の「廓然無聖」(かくねんむしょう)
達磨さんと武帝の問答から。
廓然とは、広々として澄みきった様子のこと。
そして廓然無聖とは、ちっぽけな価値判断に捕らわれないで
聖だの凡だのと執着することのない「無」の境地に到達する世界のこと、とある。
年を重ねるごとに、なかなか他の意見を聞き入れにくくなるものらしく
自分が正しいのだ~という執着というか思い込みも強くなり。。
こだわりや執着も、にんげんだもの・・って思うけど、
それで苦しくなるのは自分なんだしなぁ・・って思ったり。
なるべくならば、いいんじゃな~いって心のゆとりを袂に置いて
過ごしたいものでごじゃいます
頭ん中にイライラ虫とか、ごちゃごちゃ虫がやってきたら、
この廓然無聖ってことばを呪文のように唱えてみておくんなさいましし~
禅語の「廓然無聖」(かくねんむしょう)
達磨さんと武帝の問答から。
廓然とは、広々として澄みきった様子のこと。
そして廓然無聖とは、ちっぽけな価値判断に捕らわれないで
聖だの凡だのと執着することのない「無」の境地に到達する世界のこと、とある。
年を重ねるごとに、なかなか他の意見を聞き入れにくくなるものらしく
自分が正しいのだ~という執着というか思い込みも強くなり。。
こだわりや執着も、にんげんだもの・・って思うけど、
それで苦しくなるのは自分なんだしなぁ・・って思ったり。
なるべくならば、いいんじゃな~いって心のゆとりを袂に置いて
過ごしたいものでごじゃいます
頭ん中にイライラ虫とか、ごちゃごちゃ虫がやってきたら、
この廓然無聖ってことばを呪文のように唱えてみておくんなさいましし~