抽象 (部分)
「文字の形とか筆の勢いとか墨色の美しさとか、そんなものが目につくような書は本物ではない」
井上有一 のことば。
ならば、どんな書が本物なのか。。
自分では書けなくても、せめてそれを見つけられる心と目を持てたら・・
そしてまた、こんなことばも井上有一は残している。
「筆を執って古典を習うことも、結局は古人の精神に触れて自己の精神を高めるためである。」
書は臨書をして、ただ文字を美しく書くために学ぶのではなくて、
古典を習うことで、感受する心を養うもの・・と。
まずは、自分の感性のアンテナを広げて、色々な作品を拝見することも大事かなと。
そう、何でも響き合い。
何の道も果てしないけど、心のアンテナはいつも全開で![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en2.gif)
「文字の形とか筆の勢いとか墨色の美しさとか、そんなものが目につくような書は本物ではない」
井上有一 のことば。
ならば、どんな書が本物なのか。。
自分では書けなくても、せめてそれを見つけられる心と目を持てたら・・
そしてまた、こんなことばも井上有一は残している。
「筆を執って古典を習うことも、結局は古人の精神に触れて自己の精神を高めるためである。」
書は臨書をして、ただ文字を美しく書くために学ぶのではなくて、
古典を習うことで、感受する心を養うもの・・と。
まずは、自分の感性のアンテナを広げて、色々な作品を拝見することも大事かなと。
そう、何でも響き合い。
何の道も果てしないけど、心のアンテナはいつも全開で
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