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人は仰いで鳥を見るとき、その背景の空を見落とさないであろうか。
三好達治 「鳥鶏」
大学の頃に出会った、好きなことばです。
人は何かに集中している時、その周りにある物が目に入らなくなって
しまうことがありますよね。
たとえば悩み事があると、そのことばかり考えて暗闇から抜けられなくなったり。
でも、誰かにポンって背中を叩かれたり、ちょっとした一言で救われることも
あるのです。
結局、人は一人なんだと、ある友はいいます。
それは事実であるかもしれないけれど、寂しん坊の私はどこかで願っています。
人の、命の最小単位は、二人、二対であると。
それは男女に限らず、人も自然も生命も、与え合って響きあって育つものだと
思うからです。
たとえば美味しい、嬉しい、悲しい・・そして自分という人間、
そのどれをとっても、凡人の私なんかは一人では気づかないこともあります。
美味しくないものの味を知っているから、美味しいものもわかる。
誰かと一緒に食べるから、美味しく食べられる。
自分と違うタイプの人と向き合うから、自分が見えてくる。
全ては、響き合うことから悦びも生まれる。
人間一人だと思っていると、誰かが背中を押してくれたことさえ気づかない
こともあるかもしれない。
出会いとは、水面に何かが落ちた時に、幾重にも輪を描いて広がる波紋の如し。
そして人生、波紋の繰り返し。
波紋を楽しみたかったら、まず自分が波動しなければね。
もし今、寂しかったら、小さくても波を起こしてみてくださいね。