新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

順不同の大阪&奈良旅行記(その7)

2012-02-10 23:22:23 | 旅行記

順不同の大阪&奈良旅行記(その1)」にも書きましたように、春日大社新薬師寺と同様、私が訪ねるのは今回が初めてでした。
でも、本・雑誌やTVなどで、春日大社の社殿の外観は知っていました。
そして、実際に間近で観ても、ふ~ん、そのまんまだ… と、初めて観たにしては、かなり醒めた気分でした。よく使う感嘆詞の「ほわぁ~」が出てこない…。


120210_1_01


どうも、竜宮城を連想させる派手な雰囲気とか、のような派手さが、合わないんですな。
とりわけ、中門唐破風(龍のヒゲみたい)が苦手です


唐破風が苦手といえば、こちらもそう


120210_1_02


東大寺大仏殿も、せっかくの威風堂々たる大伽藍が、唐破風のおかげで、空威張りいているというか、しなを作っているような印象を与えています。

私は決して唐破風すべてが嫌いなわけではないのですが、春日大社中門東大寺大仏殿の唐破風には違和感を覚えます。


もっとも、東大寺大仏殿の唐破風は、元禄時代に再建されたときに採用された意匠で、奈良時代(天平期)に建てられて平安時代末期に戦火で焼け落ちた初代大仏殿にも、鎌倉時代に再建されて戦国時代に再び戦火で焼け落ちた二代目大仏殿にも、唐破風はなかったことは知っていました。


一方の春日大社中門の唐破風は、今回の旅行記を書くべく、春日大社のHPの、


中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。


という説明を読んで、初めてその由来を知りました。


いったいどんな意図で、明治時代になってから唐破風なんぞを取り付けようと思い立ったものなのでしょうかねぇ

明治時代(初期)は、藤原氏ゆかりの興福寺こちらの記事をご参照方)と春日大社にとって、痛い時代だったようです。と、書いたものの、春日大社中門に唐破風が取り付けられたのが明治時代のいつ頃のことなのか判らない… (そのうちに調べておきます


   


さて、東大寺大仏殿の内部には、初代大仏殿(と伽藍全体)二代目大仏殿の想像模型、そして三代目=現在の大仏殿の模型が展示されています。


まず、創建当時の伽藍(の模型)がこちら。


120210_1_03


これぞ奈良時代といった感じです

説明書きを転記しますと、


この模型は、創建当初の伽藍の様子を50分の1に縮小・復原したものである。天沼俊一工学博士を中心とする各位が『東大寺要録』や『正倉院文書』などの古文献を基にして大正年間に製作された。大仏殿は現在のものに比べて東西(左右)に大きく、、また100メートルに達する東・西両塔がそびえていたことが分かる。


だそうで、なんともとてつもないスケールの超特大伽藍
一度、生で観たかったぁ~」と、ムダなこととは知りつつも、深く深く思います


120210_1_07


そして、二代目大仏殿の模型がこちら。


120210_1_04


初代に比べて棟(のき)が短くなっていますが、これはこれでオリジナルの偉容を伝えつつ、日本美術のルネッサンス(と思っています)鎌倉時代の息吹をまぶした風情で、かなりいい感じ


ちなみに、こちらの説明書きも転記しますと、


重源が大勧進となって、建久6年(1195年)に供養されたのが鎌倉再建大仏殿である。規模は創建時とほぼ同じで、様式は天竺様(大仏様)と考えられている。鎌倉再建大仏殿は永録(ママ:正しくは永禄)10年(1567年)兵火で焼失した。ここに展示してある大仏殿は、奈良少年刑務所において作成し、平成16年度全国矯正展に出品され、法務事務次官賞を受賞した鎌倉再建大仏殿である。主な部材として吉野の檜を使用した白木作りとなっており、紫尾(ママ:正しくは鴟尾、だと思う)には金箔を貼ってるあるが、それ以外には余分な着色を施さず、白木の良さを生かした作りとしてある。縮尺50分の1で作成しており、平成14年度奈良少年刑務所作成の江戸再建大仏殿と対比することによって、創建時の大仏殿の規模を想像することが出来る。

平成16年12月吉日
奈良少年刑務所

だそうで、少年刑務所(の受刑者)の作品(二代目・三代目大仏殿の模型作成に関わった受刑者の皆さんが、大仏様の御利益を得て、立派に更生されていることを願っています


同じく奈良少年刑務所作成による「江戸再建大仏殿(=現在の大仏殿)」の模型はこちら。


120210_1_05


Wikipediaの記述によりますと、


東大寺の伽藍の中央に位置し、境内で最大の建物である。現存する大仏殿は、正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。奥行きと高さは創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっている。


だそうで、初代・二代目と見比べると、唐破風がなかったとしても、腰高で、荘厳さに劣る気がします。

でも、初代・二代目と見比べなければ、悪くはないっつうか、一見の価値のある建物だと思います。


120210_1_06


でもでも、やはり、唐破風が惜しいなぁ…


つづき:2012/02/13 順不同の大阪&奈良旅行記(その8)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする