新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

TOMJSQを振り返る前に

2012-02-25 16:50:34 | MISIA

2月19日の記事「SOUL QUESTツアーが終了しました」で、


TOMJSQGF2012ファイナルの詳しい感想とか、TOMJSQの一年を通じて感じたこと・考えたことは後日書くことにしまして


なんて書きましたが、これはちょいと置いておきまして横浜ファイナルの開演前のこと。
決して聞き耳を立てていたわけではありませんけれど、私の後ろに陣取ったグループの会話が耳に入ってきました。
その内容は、その前日の記事「TOMJSQGF2012横浜初日に行ってきました」で取り上げたこちらの花についてでした。


120225_2_01


清史郎くんから花が届いていたねぇ。MISIAって、清史郎くんが出たドラマの主題歌を歌ったっけ?」なんてネ。


確かに、MISIA清史郎くんの共演作「故郷(ふるさと)環境省による生物多様性普及映像」、現物を観たことのある人はあまり多くないでしょう。
ライヴ会場では、生物多様性コーナーでビデオが上映されていたのですが、目立ってなかったですし…


私は、昨年11月末の記事「ずいぶんと階段を昇った日」で書いたように、銀座のソニービル OPUSで行われた「MISIA ミュージックビデオ上映会@OPUS」で、このビデオを高画質&大画面&高音質で楽しんできました


このビデオは、「国連生物多様性の10年×MISIAプロジェクト」ホームページMOVIEをクリック)の他、YouTube「UN Decade on Biodiversity(国連生物多様性の10年)チャンネル」でも観られます。



なぁ~んともステキな歌声です

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MISIAがMisiaだった頃のライブレポート

2012-02-25 11:11:42 | MISIA

3年ちょっと前、ある古い新聞記事の縮刷版又はマイクロフィルムの所在をネットで探した結果、埼玉県立浦和図書館マイクロフィルムで保管していることを知り、さっそくに出かけてきました。
A5サイズほどのシートに何枚もの画像が焼き付けられているマイクロフィッシュは会社で扱ったことがありましたが、映画のフィルムのように長ぁ~くリールに巻き付けられたマイクロフィルムマイクロフィルムリーダーに装填して見たのはこれが初めて 早送りするときには、千切れたらどうしようとヒヤヒヤでした。
それでも無事に目的の記事を見つけ、ハードコピーをとってきて、自宅でそれをスキャンしてPDF化しました。

それが、こちら

120225_1_01

1998年7月10日付け産経新聞夕刊(当時は首都圏でも産経の夕刊が発行されていました)に載った、

これは、衝撃です。今年2月にデビューした歌手、Misia(ミーシャ)。5オクターブのパワフルな歌声。大変な実力派ボーカリストです。歌はやはり聞いてみなければわかりませんが、3ページにわたって、その20歳の素顔に迫ってみます。R&Bなんて知らない-という世代の方々もご注目を。

というMISIA(当時はMisia)の特集記事

MISIAへのインタビューの他、年譜(といっても、97年4月の大学入学から翌年7月7日の「アルバムMFBSの販売が100万枚突破」までの1年3か月だけ)とか、名前の由来とか、関係者の証言とか盛りだくさんで、「Misiaって誰だ」と謎が熱く語られていた当時の雰囲気が伝わってくる貴重な特集になっています。

Mother Father Brother Sister Mother Father Brother Sister
価格:¥ 3,059(税込)
発売日:1998-06-24

この中でも特に面白かったのが、98年7月3日に行われた「CLUB SUMMIT 1998」仙台公演のレポート
長くなりますが転記しましょう。

120225_1_02 こんなに盛り上がっていいんですか。いーーんです
全国主要都市のクラブをツアー中のMisia。そのしょっぱなは仙台市の「イベントホール松栄」。JR仙台駅東口前にある駐車場ビル六階の貸し切りスペースを改造した“急造”クラブに、千人以上の若者が詰め掛けた。
午後8時の開場から2時間以上かかって客入れ、600㎡以上あるホールは、人でびっしりだ。ステージ近くの聴衆はDJのスクラッチにリズムを合わせて踊り続ける。
<中略>
「ウオーッ」。総立ち、大歓声。いやほとんど悲鳴だ。恐らく、この場にいる全員が知っているファーストアルバム収録曲『K.I.T』。日付も変わった午前零時半、ようやくMisiaがステージに立ったのだ。
<中略>
『K.I.T』から始まるメドレー。そしてセカンドシングル『陽のあたる場所』では会場が大合唱に。歌の合間に短いトーク、Misiaが「みんな元気ーっ、こっちも元気ーっ」と声をかけると、また歓声。そしtなぜか唐突な「ニッポン」コール
『Never gonna cry!』の後、アンコールの連呼もむなしく、ラップグループが登場。聴衆がホールから帰りかけるが、いきなりファーストシングル『つつみ込むように…』が流れ、まるでパニック状態に。
またまた会場全体で大合唱だ。ヤバイっす、タイヘンです!ステージ前の床が揺れている。ホールびっしりの人数が両手を挙げてゆらゆらダンスをしていたためだ。まさに床も抜けんばかりの盛り上がり。熱狂的な30分だった。 (水野拓昌)

開場が午後8時で、客入れに2時間以上かかって、ようやく午前0時半にMISIAが登場したかと思ったら30分でお終い、とか、まさしく隔世の感がいたします。
でも、ライヴの熱さが伝わってきます

ところで、この「CLUB SUMMIT 1998」仙台公演の会場になったイベントホール松栄のことは、3年前の記事「MISIA in Sendai(その1)」で書きました。

120225_1_03

昨年12月のTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST仙台公演(記事はこちらほか)の際、仙台駅東口を出て会場の仙台サンプラザホールへ向かう途中にこの「イベントホール松栄」の前を通った人が多かったと思いますが、そのうちどれくらいの人がこの「駐車場ビル」13年前にMISIAがライヴをやったことを知っていたのでしょうか?

私は「イベントホール松栄」「MISIA遺産」に推薦したいデス

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