1月30日から長々と書いてきた「順不同の大阪&奈良旅行記」シリーズも、ようやく最終回にたどり着けました。
「その9」で書いたように春日大社といえば燈籠なら、奈良といえば鹿でしょう
そして、奈良名物は、
「鹿の飛び出し 注意」の交通標識かもしれません。
左のような注意標識だけではなく、路側に立っているポールの先端に取り付けられている反射板(デリニェーター=視線誘導標というらしい。参考サイト)も、鹿をアピールしていました。
しかも、この「デリニェーター」とやらの数がハンパありません
道路沿いにズラリ
なんとなく、大阪のこちら(記事)とかこちら(記事)を思い出すねっちこさです。
でも、(財)奈良の鹿愛護会のHPによると、年間150頭の鹿が交通事故に遭っているのだとか。
これはただ事ではありません
私がたらたらと歩くそば、他県ナンバー(奈良以外のナンバー)のクルマがビュンビュン走っていきます。
確かに、よほどの自然にあふれた地域で暮らしていない限り、交差点でもないところで道路に飛び出してくるのは子どもかノラネコくらいのもので、その頻度も高いものではありません。
ところが、奈良公園界隈の鹿は、まちなかのノラネコとは比べものにならないほど、多い
わんさかわんさかいます。
う~む…です
考えてみれば、これほどたくさんの野生の鹿が生息していて、見ず知らずの観光客と戯れている
なんて、奈良以外のどこにこんな場所があるのでしょうか?
鹿というのは、深山に踏み入って、一所懸命に探して、ようやく、いたぁ~
というのが世界的な常識ではないかと思うのですが・・・。
![]() |
ディア・ハンター [Blu-ray] 価格:¥ 1,980(税込) 発売日:2012-04-13 |
奈良国立博物館の敷地内、南東隅にかなり気になる建物があります。5年前に、登大路側から撮ったその建物の写真がこちら。
何と形容したら良いのでしょうか?
少なくとも、日本にしかあり得ない形ではあります。
今回の旅行で、この建物を間近からしげしげと拝見することができました。
建物の正面は登大路とは反対側、三条通側にありました。
正面から見ると、ますます奇妙な建物です
私の見立としては、一見和風なんだけど洋風っぽさが加わっている気配からして、「一見洋風なんだけど和風っぽさが加わっている」建物が多く建てられたという明治初期から時代を下って、奈良ホテル(1909年開業)と近い時期の建物か?
建物の近くに立てられていた説明板によりますと、「重要文化財 旧奈良県物産陳列所」だそうで、
この建物は、奈良県物産陳列所として明治35年(1902)3月に竣工したもので、設計は建築史家、関野貞(1867-1935・工学博士)である。洋風を加味した木像桟瓦葺、外観は正面に唐破風の車寄せを付け、全体のプランを京都・宇治平等院の鳳凰堂になぞらえ、名勝奈良公園との景観の調和を図った、和風様式の貴重な遺構である。
その後、奈良県商工陳列所、奈良県商工館と名称を変え、昭和26(1951)国に移管され、昭和55年(1980)まで奈良国立文化財研究所の庁舎であった。
昭和58(1983)年1月重要文化財に指定され、現在は当館(徒然煙草注:奈良博)の仏教美術資料研究センターとして活用している。
とのこと。
う~む、「全体のプランを京都・宇治平等院の鳳凰堂になぞらえ」ねぇ~
ところで、設計者の関野さん、上にリンクを貼ったWikipediaの記述には、
また、1889年に平城宮址を発見した。
とあるのですが、この「定説」を覆す発見があったという話をこちらの記事で紹介しましたっけ…。
また、このブログの記事を検索したところ、もう一度、関野さんの名前が登場していました。
東京国立博物館(東博)で特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」を観た感想を書いたこちらの記事です。
私の場合、帰り際に本館地下のミュージアムショップで買った「清朝末期の光景~小川一眞・早崎稉吉・関野貞が撮影した中国写真」の図録(600円
)で充分だった気がします。
と書いていました。(すっかり忘れていた…)
それはさておき「旧奈良県物産陳列所」、好みの建物ではありませんが、重要文化財として保存に値する建物だとは思います。
というわけで、「順不同の大阪&奈良旅行記」シリーズも全巻の終わりであります、、、と、この写真を載っけておかなければ
美味しいです