「2018年最初の関西旅行 #1-4」のつづきです。
「日本万国博覧会世界民族資料調査収集団」(EEM)は、のべつ幕無く資料を収集したわけではなくて、「仮面」「神像」「その他」の3つのカテゴリーに分かれていて、
集められた資料は、太陽の塔の地下に、「根源の世界」というテーマで展示された。進歩を象徴する空中、調和を象徴する地上が、大阪万博の表のテーマであるならば、地下に集った世界の資料は、万博の文字どおりのアングラなテーマを担った。(フライヤーより)
だそうな。
#1-4で転記したEEMの活動や民族学博物館の設立に反対する声明文
の
人類の過去を展示するために低開発諸国に<収集団>を派遣し、仮面をはじめ各種の生活用具をあつめて来る計画
という表現は、全然わかっちゃいない と思うんだな…
「根源の世界」というテーマは、時間軸を巻き戻して昔を見せようというのではなく、人間の心や精神の奥底に入り込んで、日常生活には表れないモノを見せようという企画だったのではないかと思います。
ですから、そこには低開発国と先進国との違いは無いし、今・昔の違いもないのではなかろうか。
またまた堅苦しい話になってしまいました。
特別展「太陽の塔からみんぱくへ-70年万博収集資料」の展示は、まず収集した地域ごとに展示した上で、最後の方には世界各地の彫像を集めたコーナー、世界各地の仮面を集めたコーナーという流れでした。
というわけで、最初は日本の展示です。
これは「田の神(タノカンサァ)」というもので、
田の神(タノカンサァ)は、田を守り、豊穣を約束する神様である。春に山から下りてきて田の神になり、秋に収穫が終わると山に戻り、山の神となる。田の神の信仰そのものは、稲作が盛んな日本の農村において広く分布するが、田の神の石像は南九州独特の形態である。
だそうな。
かなぁ~りステキな神像なんですが、横に展示されていたパネル
がなかなか衝撃的
でした。
「主要農業機械の普及台数 及び 専業農家数の推移」のグラフなんですが、これによれば、1945年に3274万戸だった専業農家は、1950~1955年の5年間に30%も減少し、さらに1960~1965年の5年間に40%減少
しています。
つまり、1950~1965年の15年間では専業農家数が半減以下になったということ。
そしてその後はジワジワと専業農家が減り続けています。
それにしても、1950~1955年の5年間と1960~1965年の5年間の2段階の激減の原因は何だったのでしょう?
いわゆる高度経済成長は1954年12月から始まったといわれていますから、1950~1955年の5年間の変化は高度経済成長によるものとは思えません。
逆に、専業農家の激減が、高度経済成長に労働力
を潤沢に供給することになったと考えるのが自然かと思われます。
一方、1960~1965年の5年間の方は、このグラフに顕著な変化が示されています。
それは「歩行用トラクター」の数で、1960年の514台から1965年には2940台へとほぼ6倍増
その後、田植機とか乗用トラクターとか自脱式コンバイン(刈り取りと脱穀を一緒にやってしまうコンバイン)が普及して、専業農家は減る
一方…。
日本の農業が非効率だという主張はよく耳にするのですが、このグラフを見ると、機械化=効率化は着々と進められてきた気がします。
もっとも、専業農家数の減少と同比率またはそれ以上に食料の自給率が低下していれば、この見方も根拠を失うのですけど…。
それにしてもみんぱくの見聞録、どうしてこうも理屈っぽくなってしまうのか、我ながら不思議です。
そんなわけで、#1-6以降はもうちょいと感覚的な記事にしていきたいと思っておりまして、その「渡り」として、「日本」の隣に展示されていた「韓国・台湾」コーナーから2枚の写真を載せておきましょう。
日本と韓国・台湾とはすぐお隣で、東アジア周辺以外に住む人たち以外にとっては、それぞれ違う国だと知っていても、文化・民俗的な違いはよく判らないことと思います。
ところが日本人にしてみれば、韓国の仮面を見るだけでも、全然違うし、
台湾の神像を見ると、これまた全然違う
このあと、世界各地から集められた仮面がどっかぁ~ん と展示された「仮面」コーナーで日本の仮面と韓国の仮面が並んでいるところを観ると、
右側(韓国)の仮面にはう~む…とならざるを得なかった一方、左側(日本)の仮面には安心感
を覚えるというか何というか…。
距離が近いから文化・民俗的にも近いはずと考えるのは、単純な思い込み、あるいは、「願望」みたいなものではないでしょうかねぇ
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