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●浜岡原発〝一時〟停止のみでいいのか?

2011年05月30日 00時00分44秒 | Weblog


東京新聞の記事3連発。

 まず、社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011051002000055.html)。「一時的に」停止した浜岡原発以外の原発の検証について。菅首相や政府や電力会社は全く検討するつもりは無いようですけど。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011051002000055.html

「浜岡」停止 他の原発も検証したい
                                                             2011510

  中部電力が、首相の要請による浜岡原発の全面停止を受け入れた。五十四基の商業炉のうち三基が二年は止まる。だが、浜岡だけが本当に特殊な原発か。説明も検証も、まだ足りない。
 枝野幸男官房長官は、浜岡原発の停止要請は、大規模地震発生の確率が圧倒的に高いという特殊事情によるもので、原子力発電に関する基本政策に変わりはない、との見解を示した。
 「最も危険」と言われる浜岡原発を止める判断は、福島第一原発の危険な状態が続く中、首都圏や中京圏にも及ぶ住民の不安を思えば無理もない。
 だが、あまりにも唐突な要請だった。浜岡さえ止めればそれでよし、あとは今までのままで、将来の危険回避は本当に可能なのか。浜岡への停止要請も、その場しのぎと見られても仕方ない。
 日本は地震国である。どこで暮らしていようと、大地震への備えが必要な国である。近年、宮城県の女川原発や新潟県の柏崎刈羽原発も、想定を大きく超える揺れに見舞われ、そのたびに押っ取り刀で耐震強化や耐震基準の改定が図られた。この国で地震と原発が共存していくための根本的な安全策は、まだ見つかっていない。
 耐震性だけならば、浜岡3~5号機は三年前、国の審査指針を上回る地震の加速度に耐えられるよう、補強工事を終えている。
 東日本大震災のあと、各電力事業者は、津波対策に乗り出した。だが、それで本当に安全かどうか、国民にはよく分からない。
 浜岡の場合も、問題にされているのは津波対策だけである。十五メートル以上の防波壁を築くなど、今示されている対策が終われば、本当に今度こそ安全は盤石だと、政府と電力事業者が、地元はもちろん、国民が納得できるように説明しないと、安心は得られない。
 「関西も九州もいつ津波が来るか分からない。なぜ浜岡だけなのか」と、浜岡原発のある静岡県御前崎市の石原茂雄市長は、問いかける。
 電源立地交付金は減額しない方針だ。だが、協力企業も含め約千二百人という原発従事者の暮らしはどうするか、商店街など地域経済への影響はどうするかなど、国策に翻弄される地元への対応策は、明らかになっていない。
 原発を含むエネルギー政策は国民的課題であり、議論はようやく始まったばかりである。議論を前へ進めるには、まず政府の具体的な説明が不可欠だ。
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 次に、同日の「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011051002000041.html)。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011051002000041.html

筆洗
                                        2011510

 それ以前に行われた主張や発言が「3・11」を境に、一気に浮世離れしたものになった感じがするケースは、少なくないこれなど、その最たるものだろう。今年二月に出た電気事業連合会の冊子『原子力発電四季報・冬号/2011』の特集。海外への原発輸出戦略を扱い、タイトルは高らかに「日本の原子力技術が世界から注目されています」その後、福島第一原発で起きたこと、それへの東京電力などの対処のお粗末さを考えると、哀(かな)しくさえある。記事の趣旨とは正反対の不安な視線で「日本の原子力技術は世界から注目され」たのだから浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止を求めた菅首相の要請を受け入れると、昨日、中部電力が発表した。いつ起きてもおかしくない東海地震の想定震源域の真上にあるということは、福島のような事態がいつ起きてもおかしくない、ともいえる。管内の産業や生活への影響は小さくないが、賢明な判断だ津波対策の安全性が確認されるまでの措置で、他原発にも波及させないというのが政権の姿勢らしい。だが、もっと広く、エネルギー利用のありかた全体を問い直す端緒とすべきだ省エネや節電、再生可能エネルギーの開発。そんな分野に日本の力を傾注し、それで「世界から注目され」るようになってこそ、本当に福島の経験から学んだということになるだろう。

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 さらに、前日の「私説・論説室から」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2011050902000047.html)。年間20ミリシーベルトへの疑念。ようやく文科省が重い重い腰を上げたようですが・・・。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2011050902000047.html

【私説・論説室から】
 「20ミリシーベルト」は本当に安全か

 福島県内の学校では、被ばく線量の暫定的な上限を年間二〇ミリシーベルトと設定している。この線引きに強い懸念を示し、涙ながらに「内閣官房参与」を辞任したのが、小佐古敏荘(としそう)東大大学院教授(放射線安全学)だ。専門家の抗議の辞任だけに、あらためて二〇ミリシーベルトという基準を考えてみたい。
 静岡県にある中部電力・浜岡原発の下請け労働者が一九九一年に骨髄性白血病で亡くなった。二十九歳の若さだった。原発で働いたのは八一年三月から八九年十二月までの八年十カ月。炉心下部にある計測器の保守などを担当していた。
 この青年が働いていた間に受けた被ばく量は、五〇・六三ミリシーベルトだった。単純に年単位で割り算してみると五・七ミリシーベルトである。実は青年の死は九四年に労災認定された。つまり、骨髄性白血病と放射線被ばくとは因果関係があると労働基準監督署が判断したわけだ。
 被ばくが原因で白血病などのがんを発症し、労災認定を受けた原発労働者は、七六年以降で十人いる。累積被ばく線量は最大一二九・八ミリシーベルト、最小で五・二ミリシーベルトである。
 これらの事実を知れば、子どもが通う学校で、二〇ミリシーベルトを基準に考えて大丈夫なのかと、本当に心配になる。小佐古氏は「ヒューマニズムからも受け入れがたい」と政府を批判した。
 とくに子どもは放射性物質の影響を受けやすい。二〇ミリシーベルトの許容は楽観的すぎる。 (桐山桂一)
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コメント
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