東京新聞の大西隆氏のコラム【【私説・論説室から】生きて「在る」という活躍】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017022202000144.html)。
《ならば、重度障害者の存在価値を見いだし、育んでいくのも周りの人々。それは社会の価値観を豊かに広げるだろう。重度障害者は、地域に生きて「在る」だけで「活躍」しているといえるのではないか》。
『●どちらの国に生まれた子どもが幸せだろうか?』
『●教育再生: 喜んで戦場に行ける子供たち、
「搾取会社」で喜んで働く「歯車」となる学生を育てたいらしい』
《【私説・論説室から】
「幸福度」高める教育こそ …
成熟社会の景色を眺めれば、「強い日本」ではなく「幸せな日本」を
目指したい。国家より人間本位の教育こそが重要だと思う。…
近年の幸福研究では、衣食住が足りていれば、お金、物、地位、
名誉ではさして幸福度は高まらない。人との助け合い、
地域のつながり、自分らしさを大切にする生き方がカギを握るという。
子どもの「幸福力」を培う教育への転換を考えるべき時代だ。(大西隆)》
《都女性活躍推進大賞…当の本人は不思議な気持ちになった。いったい「活躍」とは何なのか》?、という問い。コラムの云う一つの答えは、《地域に生きて「在る」だけで「活躍」しているといえるのではないか》。人の「内在的価値」といった意味でしょうか。
『●『松下竜一未刊行著作集4/環境権の過程』読了(2/8)』
《若者の流出に対する志布志の人たちの考えは面白い。若者が都会に
働きに出て送金して来るのはやむをえないじゃないか。
その若者たちが時折帰郷するときのために、あくまでも美しく静かな町を
残しておくのだという》
《「あなたの息子さんが疲れて帰郷して来るとき、せめて憩いを与えるような
美しい故郷を守り通すのが、われわれの務めではないでしょうか」…
今までの開発論議で常に欠落していたのは、自然愛好的心情論であった》
《…漁業者が放棄したのは漁業権にすぎない。埋め立て海域で漁業を営む
権利を放棄したに過ぎない。しかして、海は厳然として残るはずである。
海そのものを売買する権利などは誰にもありえない。
魚業権の放棄されたあとの海は、誰のものなのか。それは誰のものでも
あるまいし、同時に誰もの共有物だろう。私企業が、漁業権を買い上げた
からといって、それがあたかも海そのものまで買い上げたかの如く
専横に海を埋め立てることが許されるとは呆れ果てるばかりである》
《漁業権さえ買い上げれば海を占有できるなどということが許され続けて来た
こと自体、不思議なほどである。…今の社会機構が、「物の生産高計算」
でしか評価基準を持たぬゆえ…。/海というものの評価の中で、実は
生産高での計算はもっとも矮小な評価でしかなく、万人が来て海を楽しむ
価値は、計算を超えて巨大なはず、その楽しみは万人がもつ権利であり、
それこそが環境権なのである(私は安易に、海を楽しむ価値と書いて
しまったが、それではまだ卑小ないいかただという気がする。
海がそこに存在する、その存在自体の価値というべきか)》
『●東京電力原発人災で失われた内在的価値』
この歪んだ社会・デンデン王国ニッポンに…。
『●「容疑者の“弱者を排除すべし”という主張は
現在の日本社会において決して特殊なものではない」』
『●アベ様参院選公約「子育て…」: 「3歳児、おなかすいて盗んだ」
…アベ様のニッポン、病んでいないか?』
『●差別主義者を東京「ト」知事にできる、
そんなニッポンの社会そのものが歪んでいる』
『●2016年報道の自由度ランキング72位:
「メディアは二流ならば社会も二流」、アベ政治も…粗悪』
《森達也監督…政治が一流だけど、メディアは三流なんて国はありません。
メディアは二流ならば社会も二流なんです。相互作用ですから。
「国境なき記者団」が発表する「報道の自由度ランキング」でも、
上位に位置するノルウェーやデンマーク、スウェーデンは、僕から見れば
確かに政治も一流だし、社会も成熟していると感じます。
2010年に自由度11位だった日本のメディアが、2016年には72位にまで
下落しました。ならばメディアだけではなくて政治も国民も、同じように下落
したということです。今のこの国のレベルは途上国以下》
『●政治家の浅ましさ、政治の貧困:
「あたかも完璧な貧困者でないと許さないかのような社会」は病んでいる』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017022202000144.html】
【私説・論説室から】
生きて「在る」という活躍
2017年2月22日
東京都の小池百合子知事からはナシのつぶて、という。ひと月ほど前に手紙をしたためた東大和市の海老原宏美さん(39)。どうしても尋ねてみたいことがあったらしい。
地域の障害者の自立生活を一意専心で支えてきた。彼女自身も難病の脊髄性筋萎縮症を患い、人工呼吸器で命をつなぐ重度障害者。
その取り組みが評価され、さる一月、本年度の都女性活躍推進大賞に輝いた。喜ばしい話なのだが、当の本人は不思議な気持ちになった。いったい「活躍」とは何なのか。スポーツや芸術、企業活動にしろ、業績を上げ、感銘を与え、世間の脚光を浴びることか。
そうだとすれば、人工呼吸や経管栄養が欠かせない人、意思疎通ができない人、意識の有無さえはっきりしない人、そういう重度障害者が「活躍」するのは難しい。
彼女は言う。縄文杉はただの木でしかないのに、富士山は盛り上がった土の塊にすぎないのに、人々は感動し、すがすがしい気持ちになる。そこに価値を創造し、また発見する力が、人々の心に備わっているから、と。
ならば、重度障害者の存在価値を見いだし、育んでいくのも周りの人々。それは社会の価値観を豊かに広げるだろう。重度障害者は、地域に生きて「在る」だけで「活躍」しているといえるのではないか。
賞の贈呈式で、そう問いかけた手紙を知事宛てに託した。届いているか。 (大西隆)
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