[LOFT(http://www.loft-prj.co.jp/schedule/wp-content/uploads/2018/06/0603_Okinawa_Spy_Talk-548x775.jpg)↑]
マガジン9の鈴木耕さんのコラム【言葉の海へ/第32回:『沖縄スパイ戦史』、すごい映画を観た!】(http://maga9.jp/180516-6/)。
《『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代 共同監督)…この「護郷隊」の実態は、これまでほとんど明らかにされてこなかった。それはなぜなのか。三上監督は、研ぎ澄まされたジャーナリストの嗅覚で、「護郷隊」の実態に迫っていく。この過程が凄まじいほどの迫力に満ちているのだ…今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された》。
[(http://www.loft-prj.co.jp/schedule/wp-content/uploads/2018/06/0603_Okinawa_Spy_Talk-548x775.jp)
LOFT(http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/88018http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/88018)
【三上智恵・大矢英代 共同監督『沖縄スパイ戦史』公開記念トーク
「沖縄を再び犠牲にしないために」
—南西諸島の今と映画『沖縄スパイ戦史』から考える—】]
共同監督の大矢英代さんについては、以前のマガジン9のコラムで読んでいました。《戦争のためにカメラを回しません。戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません…》という言葉が印象に残っています。
『●「戦争のためにカメラを回しません。
戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」』
「マガジン9…【マガ9備忘録/その145)「沖縄のマスコミは“民”のもの」
高江で語ったQAB大矢記者の心】」
《沖縄のマスコミは、皆さん県民のものです。
“民(たみ)”のものです。
私たちには武器もありませんし、権力もありません。
でも、伝え続けることはできます。抗い続けることはできます。
その一歩一歩が、沖縄の歴史、そして本当の意味で
この国の、この日本の民主主義を勝ち得る手段と信じて、
これからも一生懸命、伝え続けていきたいと思っています。》
《「スパイリスト」…そのリストによって、何かが起きた…。歪んだ論理が生み出す殺人》、《「戦争の悲惨」とは、単に肉体の破壊だけではない。人間同士の関係性の破壊。住民同士の疑心暗鬼。そこから必然的に生み出される、地獄の光景》。そこまでの激しさではないとしても、いま、アベ様や最低の官房長官が「森」を殺し、「美ら海」を殺し続け、沖縄の人々を分断し続けている。
《沖縄戦は「日本軍という組織と、それに虐げられた住民」という構図で語られることが多いけれど、ほんとうにそれだけなのか?》…映画『沖縄スパイ戦史』…全く知りませんでした。あの壮絶な戦場を経験した沖縄…「スパイリスト」に載ることの意味を知る人々の心の中に、《記憶の澱》として、こびりついているのでしょうか…。
『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」』
「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
…心の奥底にまるで「澱」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
その両方が存在しました》」
==================================================================================
【http://maga9.jp/180516-6/】
言葉の海へ
第32回:『沖縄スパイ戦史』、すごい映画を観た! (鈴木耕)
By 鈴木耕 2018年5月16日
5月14日、映画の試写会へ行ってきた。『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代 共同監督)という映画だ。
ものすごく重い映画だった。だが、どうしても目が離せない。30人を超す証言者が画面に現れる。声高に激するわけではない。怒りをあらわにする場面も少ない。ほとんどが、自分の見聞きしたこと、激しい沖縄戦での経験を淡々と語る。それが、観る者の耳について離れないのだ。
沖縄戦、「護郷隊」と呼ばれる少年兵たちで組織された部隊があった。彼らはほとんどが15、6歳。中にはもっと幼い子どももいたという。彼らは身を賭して、圧倒的な物量を誇る米軍への悲劇的なゲリラ戦に突入した。いや、突入させられたのだ。
ぼくは大田昌秀元沖縄県知事のお話をよく聞いていた。大田さんが徴兵されたのは「鉄血勤皇隊」という。だから「鉄血勤皇隊」に関しては、若干の知識があったのだが、この「護郷隊」については、ほとんど何も知らなかった。
この「護郷隊」を組織したのは、陸軍中野学校でスパイ教育を受けた若い将校たちだったという。正規戦が終結した後、山野に隠れ潜み、米軍を奇襲するというゲリラ戦を展開する。そのための少年ゲリラ兵たちを組織する。それが、中野学校出の若き将校たちに与えられた任務だった。
だが、この「護郷隊」の実態は、これまでほとんど明らかにされてこなかった。それはなぜなのか。三上監督は、研ぎ澄まされたジャーナリストの嗅覚で、「護郷隊」の実態に迫っていく。この過程が凄まじいほどの迫力に満ちているのだ。
大声も激高もない。多くの経験者たちの証言を、まるで網目模様を編むように小刻みにつなげながら、実相に近づいていく。これまでの三上監督の映画がそうだったように、その手つきは穏やかだけれど、まことに見事だ。これほどの重いテーマなのに、観る者の目を逸らさせず、耳を塞がせず、最後まで引きつけていく。
今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された。
日本軍の命令による、マラリア地獄への住民強制移住という事実の掘り起こしである。1944年暮れのある日突然、山下虎雄と名乗る若い男が、青年指導員という肩書で波照間国民学校へ赴任してくる。しかし、山下は実は教員などではなく、やはり陸軍中野学校出の工作員だった。島民には慕われていたという山下だが、やがてその正体を現す。彼が行ったことは、波照間島民たちの西表島への「疎開という名の強制移住」だった。
西表島は今でこそ明るい観光地になってはいるが、当時は「マラリア地獄」と呼ばれるような死病の蔓延する島だった。強制された移住先で何が起こったか。大矢監督の前で、この映画で唯一「あの野郎は殺してやりたい」と怒りを露わにする島民の証言が描かれる。ほんとうに、唯一の怒りの表白である。いったい何人の波照間島民が、熱に震えながら死んでいったことか。浜辺が死体でいっぱいになったという。
なぜそんな理不尽な移住が、日本軍によって強制されたのか。その理由も次第に明らかにされていく。
悲惨な映像が重なる。ふつうなら、大きなスクリーンで目のあたりにはしたくない映像だ。けれど、この映画には必然の画像。戦争の実相とは、いったいどんなものか。目を背けてはいけない。それはふたりの監督の決意でもあろう。
やがて、映画は暗いクライマックスへ進んでいく。この映画のタイトルにもなっている「スパイ」についての証言だ。
沖縄戦は「日本軍という組織と、それに虐げられた住民」という構図で語られることが多いけれど、ほんとうにそれだけなのか?
実は、語られたことのない闇が「住民と住民の間」に存在していたというのだ。さまざまな書類や証言から、その語られざる闇を、監督たちは静かに掘り起こしていく。それがこの映画の白眉である。ぼくは試写室の暗がりの中で、椅子の肘掛けを、汗ばむほどに握りしめていた。
「スパイリスト」なるものが存在した。米軍に内通する者がいれば自分たちも殺される。そうであれば、内通者(スパイ)は殺さなければならない、という論理。そう疑われた者たちの名が乗せられたリスト。そのリストによって、何かが起きた…。歪んだ論理が生み出す殺人。一度スパイの嫌疑をかけられた者は、疑惑の蜘蛛の巣の、粘つく網にからめとられて逃げ出せない…。
その件にかかわったらしい証言者が力説する。スパイを殺さなければ自分たちみんなが米兵によって殺される。あの時は、ああするしかなかった。それが間違っていたとでも言うのか! あんたはそれを否定できるのか!
戦争は、すべてを敵か味方かに分別する。一度敵だと疑われたら、もはやどんな言い訳も通用しない。それは「過去の戦争の論理」ということではなく、もし「現代の戦争」が起きたなら、多分、同じことが繰り返されるだろう恐ろしさを秘めている。ナレーションはそうは語らないけれど、あの証言者の力説はそれを物語っている。
試写室の空調の効いた暗がりの中でスクリーンを見つめているぼくに、その論理を否定するだけのもうひとつの論理はあるのか。
「戦争の悲惨」とは、単に肉体の破壊だけではない。人間同士の関係性の破壊。住民同士の疑心暗鬼。そこから必然的に生み出される、地獄の光景。
この映画は、事実の積み重ねで、闇の中の事実に光を当てようとする。証言者たちの淡々とした語り口が、よけいに切なく響く。
ただ、最後の救いの場面が美しい。大宜味村の小さな山に、瑞慶覧良光さん(89歳)が、黙々と寒緋桜を植えていく。その数は69本。死んだ彼の戦友たちの数だという。そして、その1本1本に、良光さんは戦友の名前を付けていくのだ。
映画の終わり、美しい桜の1本に、ある人の名前が付けられる。その人が、どんな死を迎えたか。
死んだ少年兵の弟と、良光さんが硬く手を握り合う。この映画のもっとも美しい、けれどもっとも切ない場面である。
試写会では珍しく、上映終了時に拍手が起きた。かなりの観客がいたのだが、それぞれはどんな思いで拍手したのだったろうか?
本作は、7月28日より、東京・ポレポレ東中野を皮切りに、順次全国で公開していくという。ぼくはもう一度、劇場で観ようと思う。
なお、この映画をめぐる「トーク・ライブ」が、6月3日(日)12時~16時に、東京・渋谷の「LOFT9 Shibuya」で行われる。三上智恵・大矢英代両監督のほか、井筒高雄さんのお話もある。なぜかぼくも、進行役として参加する。
この模様は、「マガジン9」と「デモクラシータイムス」でも配信する予定になっている。
主催:新宿西口反戦意思表示・有志 http://seiko-jiro.net
(トークイベントのチラシです…)
鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
==================================================================================