(2024年12月13日[金])
冤罪で死刑執行されてしまった「福岡事件」西武雄さん《無実の罪の吾が身に涙のにじむのである》《叫びたし寒満月(かんまんげつ)の割れるほど》。
『●『冤罪File(2010年3月号)』読了』
「2008年10月28日、無実を訴えながら死刑執行された
久間三千年(くまみちとし)さんに対する「殺人問題」、
取り返しのつかない、その手遅れな再審にも重大な影響」
「池添徳明氏「コラム/「福岡事件」題材に裁判員裁判劇/
関東学院大生ら無罪評決」(pp.68-69)。博多駅近く。
一審段階で戦後初めて死刑判決が言い渡された事件。
射殺を認めた石井氏は1975年に恩赦で無期懲役に減刑、その後、
仮釈放。西武雄さんは「一貫して容疑を否認し無罪を主張したが、
石井さんに恩赦減刑の決定が伝えられた同じ日に、
死刑が執行された」。熊本県玉名市の生命山シュバイツァー寺、
古川龍樹代表」
『●それは、職業裁判官の怠慢にすぎない』
「…など職業裁判官の怠慢の例は
数え上げたらきりがありません。ましてや、福岡事件の西武雄さんや
飯塚事件の久間三千年さんといった無罪な人を死刑・私刑にして
しまった可能性(控え目に表現しています)さえあります。村木厚子さん
や志布志事件の裁判結果などは極々稀な例です」
『●東電OL殺人事件元被告マイナリさん、冤罪15年間への償いはできるのか?』
「▼〈叫びたし寒満月(かんまんげつ)の割れるほど〉の一句を思い出す。
無実を訴えながら死刑を執行された西武雄さんが獄中で詠んだ」
『●初めての死刑執行後の再審請求「福岡事件」…《無実を訴えながら死刑を
執行された西武雄さんが獄中で詠んだ》〈叫びたし寒満月の割れるほど〉』
(『ドキュメント九州』)【その月が割れるまで ~福岡事件・再審請求
の行方~】(テレビ熊本TKU)《警察は計画的強盗殺人事件として
捜査し、取引の手付金を手にしていた西武雄さん(当時32)を主犯、
2人を撃った石井健治郎さん(当時30)を実行犯、5人の男を
共犯として逮捕した。西さんは関与を否定し…。…石井さんは
西さんを含め冤罪を主張し、2005年5月に福岡高等裁判所に
6度目の再審請求をした。日本の裁判史上初めての死刑執行後の
再審請求である。しかし、石井さんは去年11月に死亡。この
西さんと石井さんの名誉回復のため、
『叫びたし寒満月の割れるほど』という西さんが獄中で
詠んだ句を合い言葉に》
神戸金史報道局解説委員長による、RKBオンラインの記事【「私は無実だ」えん罪を訴えるも死刑に処せられた男性「福岡事件」50回忌】(https://rkb.jp/contents/202406/189677/)、《1. 「福岡事件」とは》《2. 神道・仏教・キリスト教が集う50回忌》《3. 「無実の罪の我が身に、涙のにじむ」》《4. 父から引き継いだ思い》。
飯塚事件の久間三千年さんは、最早、自分の口で無罪を訴えることも出来ない、冤罪なのに死刑にしてしまったから…。同様に、《「飯塚事件」より45年も前の1947年》、(これも福岡…)《「福岡事件」で冤罪を訴えながら1975年に処刑された西武雄さん》…〈叫びたし寒満月(かんまんげつ)の割れるほど〉、《無実を訴えながら死刑を執行された西武雄さんが獄中で詠んだ》(天声人語)そうだ。《西さんは「事件とは無関係」として一貫して無罪を…主張したが、1956年にともに最高裁で死刑が確定した。…「現場にいなかった」と訴える西さん》…。《日本の裁判史上初めての死刑執行後の再審請求》。最早、関係者も亡くなり、再審請求も出来ない。
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【https://rkb.jp/contents/202406/189677/】
「私は無実だ」えん罪を訴えるも死刑に処せられた男性「福岡事件」50回忌
2024/06/19 11:10
神戸金史 報道局解説委員長
目次
1. 「福岡事件」とは
2. 神道・仏教・キリスト教が集う50回忌
3. 「無実の罪の我が身に、涙のにじむ」
4. 父から引き継いだ思い
radiko podcastで聴く
死刑が執行されてしまったのに、えん罪の可能性がある。そんな問題をはらむ事件が、福岡には「飯塚事件」のほかにもう一つある。死刑執行から数えて50回忌を迎えた「福岡事件」だ。RKB神戸金史解説委員長が6月18日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、元死刑囚の法要のもようを伝えた。
■「福岡事件」とは
先日(4月30日)この番組で「飯塚事件」についてお伝えしました。1992年、福岡県飯塚市の小学1年生の女の子2人が殺害され、実行犯とされた男性が死刑に処せられた事件です。「えん罪だ」と主張する遺族が裁判のやり直し=再審を求めていました。死刑が執行された事件で再審が認められていれば、史上初めてのことでしたが、6月5日に棄却されました(遺族は抗告)。
女児を殺したのは本当に死刑囚だった? 映画『正義の行方』の“真実”
https://news.radiko.jp/article/station/RKB/106888/
実は同じような事件があります。「飯塚事件」より45年も前の1947年、終戦直後に福岡市で起きた「福岡事件」です。
今から77年前の敗戦直後の混乱の中、現在の福岡市博多区堅粕で、軍服のヤミ取引の最中に、中国人と日本人の商人2人が射殺され、現金が持ち去られました。警察は強盗殺人事件と断定して捜査し、西武雄さん(32)らを逮捕しました。
西さんは、取引の手付金として現金を持ち帰ったことは認めた一方、事件とは無関係だと全面否認しました。被害者2人を射殺した30歳の男性も逮捕されていますが「抗争相手と誤って撃ってしまった」と、強盗目的であることは否定しました。しかし2人は、強盗殺人罪で死刑が確定しました。
(祭壇に飾られた西武雄さんの写真)
2人を射殺した男性が、恩赦で無期懲役に減刑されたのが1975年6月17日。罪を認めていなかった西さんには恩赦が認められず、同じ日に死刑が執行されました。獄中28年、えん罪を信じて支援してきた方もたくさんいた事件です。
■神道・仏教・キリスト教が集う50回忌
それから49年が経った今年6月15日、西武雄さんの50回忌の法要が「生命山シュバイツァー寺」(熊本県玉名市立願寺)で開かれました。ノーベル平和賞を受賞したシュバイツァー医師の遺髪を本尊としている寺院です。
先代の住職、古川泰龍さんが西さんのえん罪を信じて、再審を開くため全国を奔走してきた経緯があります。仏教のお寺で開かれた50回忌ですが、神道・仏教・キリスト教の3宗派でそれぞれの弔いが行われました。
(カトリック、大本など50回忌の参列者)
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大本:(かしわ手)謹みかしこみ、かしこみ申す。福岡事件に関わる無実の罪にて、福岡刑務所に…
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まず、神道の宗派・大本(おおもと)教です。「大本」は死刑廃止運動を続けています。
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神父:わたしを、あなたの平和の道具として、お使いください。
(讃美歌)♪主は われらの 牧者
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キリスト教の讃美歌と祈りに続いて、最後は仏教です。
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(鉦に続いて読経)仏説 阿弥陀経…
僧侶・古川龍衍さん: 顧みれば、西武雄さんは無実を訴えながらも、獄中28年の苦吟の果てに処刑されし方なり。西さんのえん罪を晴らさんとする積年の悲願、道半ばなれど、確かに受け継がれ、今に至る。このような悲劇が二度と繰り返されぬよう、その実現に尽力せんことを誓う。
「叫びたし寒満月の割れるほど」
西武雄さんの魂の叫び、時空を超えて、世界に響き渡らんことを。
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(寺の前に掲示された西さんの句「叫びたし寒万月の割れるほど」)
こうして3宗派の祈りが捧げられました。「叫びたし寒満月の割れるほど」は、獄中で西武雄さんが読んだ句です。西さんは死刑確定後も、仏の絵を描き、写経を続け、無実を訴え続けました。
■「無実の罪の我が身に、涙のにじむ」
再審請求を続けてきた古川泰龍さんの「生命山シュバイツァー寺」は今、息子の龍樹さんが住職を務めています。50回忌に当たり、龍樹さんは西武雄さんが書き残した日記を読み上げました。
(西さんが書いた仏画を紹介する古川龍樹さん)
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(西武雄さんが1961年に書いた獄中句日記より)
無実の罪の吾が身に涙のにじむのである。この生ける屍と耐えることの苦痛は誰がしろう。ある人はいう、それは宿業なりと。しかし宿業なりというだけでこの苦悩をはかり越えることは不可能であろう。
一日のうちで一時間だけ獄庭に出て日光に立てるうれしさ。しかし、しみじみと思うのである。冤罪で十四年、生きがたい人生であることに号泣したい思いである。
自殺を何度考えたことか――自殺したあとで冤罪の晴れてくれればいいが、これさいわいとして闇から闇に扱われるのがおちだろうと思うと、死ねない。
俺は生きながらの仏鬼となって自らを見守りたいと思う。誰も信ずる必要はない。私は私を信じているしそれだけが安らぎである。口先の、ていさいのいい慰めや励みなどは悲しみが深い。念仏のみである。
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■父から引き継いだ思い
ヤミ商人2人を射殺した男性は89年に仮釈放された後、涙ながらに、死刑が執行されてしまった西さんは「その場には一切いなかった」と訴え、先代・古川泰龍さんとともに再審を求め続けましたが、2009年までに事件の関係者は全員が亡くなり、再審請求は終了しました。今、えん罪を晴らす術は失われている状態です。
戦後まもなくの混乱期に起きた事件でした。被害者の1人は中国人ですが、当時の日本は敗戦国で占領下にあり、被害者は戦勝国・中国の国民なんです。そういうこともあって、裁判では戦勝国への忖度が働いたのではないかと、えん罪を訴えてきた人たちは主張していました。
古川龍樹さんは、人生をかけてずっと運動を続けてきた父・泰龍さんの言葉を紹介しました。
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古川龍樹さん: えん罪で、身に覚えのないような破廉恥罪の強盗殺人の濡れ衣を着せられて死刑になるという不幸、つらさ、悲しさがあるだろうか、「こういう不幸はもう私だけでやめにしてほしい」と西さんが言っていたことは耳の底に残っている、と。
古川龍樹さん: こんな無残な死に方をさせていいものか。国家公権力によって力の弱い者が蹂躙(じゅうりん)されることが許されていいのか。そういう世の中、そういう日本に生きていることが、私は情けない感じがする。15年間も努力してついに通らなかったけれども、このままではやっぱり済まされない、という気持ちがあった、という風に最後に父が話しています。「このままでは済まされない」という言葉は、私の耳にも残っています。
古川龍樹さん: 「まだ何でやるんですか」「福岡事件て何の意味があるんですか」と言われるんですね。西さんのこの無念をもっと世の中に問いたい、知ってもらいたい。前はやっぱり司法に対しての戦いのような気もしていたけど、これはそうじゃない。西さんのことを知ってもらうことは、社会に対する問いかけとして考えていかなきゃいけないんじゃないかなと思っています。
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多くの警察官、検察官が真剣に事件を捜査して「真実を明らかにしたい」と思っていることは間違いありませんが、時に誤りもあるかもしれません。だから死刑制度そのものに対する疑問や問題点もあるわけです。起きてはいけないことが起こらないようにするために、「福岡事件」を語り継ぎ、再審請求運動を続ける人たちがいる、ということをお伝えしたいと思って取材しました。
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