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●武田砂鉄さん《小田嶋隆さん…予言めいたもの…〈日本学術会議から学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか〉》

2020年12月14日 00時00分42秒 | Weblog

[※ ↑【夕食会5年間900万円分の領収書破棄か 安倍前首相の政治団体宛てに発行<桜を見る会問題>】(東京新聞 2020年11月26日)]



リテラの対談、前後半【『災間の唄』出版記念 小田嶋隆武田砂鉄対談 前編/小田嶋隆はツイッターで安倍政権とどう向き合ったか? 武田砂鉄が選んだ傑作ツイートで振り返る“政治と言論の劣化”】(https://lite-ra.com/2020/11/post-5704.html)と、
【『災間の唄』出版記念 小田嶋隆武田砂鉄対談 後編/糸井重里と松本人志を小田嶋隆・武田砂鉄が改めて語る「“機嫌の悪い人って嫌だよね”で糸井村のムードに」「松本に笑いが上納されている」】(https://lite-ra.com/2020/11/post-5705.html)。

 《毎日ニュースが駆け巡り、炎上が起こり、侃々諤々の議論が繰り広げられているTwitter。その140文字の世界で、直球・変化球、時に暴投と角度を変えて球を放り込み、日々起こる事象に切り込んでいるコラムニストの小田嶋隆氏。》
 《2011年の東日本大震災にはじまり、今年のコロナ禍にいたるまでを“災間”と位置づけ、稀代のコラムニスト・小田嶋隆氏の10年分のツイートを気鋭のライター・武田砂鉄氏が選り抜き、この時代を読み解いた異色作『災間の唄』が発売された》

   『●小田嶋隆さん《行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、
     安倍晋三氏とその追随者たちは…この8年の間に完膚なきまでに破壊》
   『●アベ様案件…(武田砂鉄さん)《近場から放たれる「病人なんだから」
       という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》?

 武田砂鉄さんは《近場から放たれる「病人なんだから」という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》と? 一方、小田嶋隆さんは《類を見ない「言葉」の空疎さと不誠実さ》と。さらに、以前、小田嶋隆さんは《行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、安倍晋三氏とその追随者たちは…この8年の間に完膚なきまでに破壊》とも。 

   『●アベ様《国会でも「事務所側が補填したという事実はまったくない」
     「後援会としての収入、支出は一切ない」…やはりあれは真っ赤な嘘》
   『●《秘書のミスとして収支報告書の修正、最悪でも秘書が起訴されるだけ。
         告発に対しての検察のポーズで捜査の体裁を取っただけ》!?

 大好きなお二人のコンビによる本が出版されるそうだ。

   『●アベ様案件…(武田砂鉄さん)《近場から放たれる「病人なんだから」
       という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》?
    「【安倍政権が残したもの/類を見ない「言葉」の空疎さと不誠実さ
     小田嶋隆さんが見た7年8カ月】…《コロナ対応などでは適切な判断を
     する自信がないのに、後継者選びに関しては判断ができる、というのは
     矛盾しています。つまり、次にどんな政権ができて、自分をどう断罪する
     のかを見極める余力を残しての辞任だったということです》」

 今回の対談では、《小田嶋さんのツイートには予言めいたものもたくさんあります。たとえば、これとか。日本学術会議から学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか。〉》《最後から2番目にあるツイートも予見的でした。〈次からは首相もパソナからの派遣でまかなうことにしたら良いのではないか。〉(2020年8月29日)》《小田嶋 まさか竹中平蔵が表舞台に復活するとは思っていなかったですよねえ。菅さんの油断ならないところは、あいつを引っ張り出してくるってところですよ》。

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https://lite-ra.com/2020/11/post-5704.html

『災間の唄』出版記念 小田嶋隆・武田砂鉄対談 前編
小田嶋隆はツイッターで安倍政権とどう向き合ったか? 武田砂鉄が選んだ傑作ツイートで振り返る“政治と言論の劣化”
2020.11.22 11:00

     (『災間の唄』を発売した小田嶋隆氏と武田砂鉄氏(写真/尾藤能暢))

 毎日ニュースが駆け巡り、炎上が起こり、侃々諤々の議論が繰り広げられているTwitter。その140文字の世界で、直球・変化球、時に暴投と角度を変えて球を放り込み、日々起こる事象に切り込んでいるコラムニストの小田嶋隆氏。「プロの文筆家」たる氏は、「私はこの十年間、寝ても醒めてもツイッターにどんな言葉を書き込んだらウケるのかということばかりを考えてきた」という。
 そんな小田嶋氏の10年分のツイートが、厳選の上、このたび一冊の本にまとめられた。ツイートを選り抜いたのは、文芸誌からファッション誌まで幅広く連載を多数抱え、「80年代雑誌文化のラストランナー」と小田嶋氏が評するライターの武田砂鉄氏だ。
 しかも、本のタイトルは『災間の唄』。2011年の東日本大震災にはじまり、今年のコロナ禍にいたるまでを“災間”と位置づけ、この10年を小田嶋氏のツイートから読み解こうというのである。
 安倍政権の誕生と終わり、東京オリンピックに向かう狂騒、震災からコロナ禍まで強まっていった同調圧力──。本書が浮かび上がらせるのは、この10年の日本の社会・政治は同じ問題を繰り返しつづけ、悪化していっているという事実だ
 今回、巷にあふれる「Twitter本」とは一線を画したまったく新しい時事評論を生み出した小田嶋氏・武田氏のふたりに、この10年とは何だったのか、本書に収められたツイートを振り返りながら語ってもらった。前後編の2回にわたって公開する。


──今回、小田嶋隆さんのツイート10年分を一冊にまとめるという大仕事を任されたわけですが、武田砂鉄さんに白羽の矢が立った経緯というのは何だったんですか?

武田 おそらく「小田嶋さんに作業を任せていたらいつまでも終わらない」と編集者が考えたのでしょう。これまで、小田嶋さんと何度かお話する機会もあったし、自分自身、小田嶋さんのコラムやTwitterを以前から読んできました。そういう第三者が選ぶほうが本になるまでの時間が短くなるだろう、と。

小田嶋 武田さんの元編集者として培われた悪文耐性の賜物でしょうね。応募作の下読みとかをずっとされてきた方ですから。本になったのは全体の2.5%だって言うじゃないですか。400万字を4万字ですよ。完成品の40冊分くらいの量を読み込んで、クズの山からこうやって拾ってくださったというのは、なかなかできることじゃないですよ。

武田 堪能してしまいそうになるところを、編集者の目線でやりました。つまり、残酷な選別作業です。「なんだこれ、こんなのいらねえ、こんなのいらねえ」って(笑)。そうしないと終わらないですから。

──本のタイトルにある「災間」というのは、2011年の東日本大震災から今年の新型コロナという意味合いだと思うんですが、もうひとつ、本を読み通して浮かび上がってくるのは、安倍政権のはじまりから終わりまでという意味合いです。

小田嶋 狙ったわけではまったくないんですよ。ほんとうはもっと早くに出るはずが、私があとがきを全然書かなかっただけです。それで刊行時期が延びたら、その間に安倍さんがやめちゃったという。

武田 結果、「災いの間」という感じがより強調されました。これで終わるかな、と思いきや、また新たな災いが始まった感じがありますけども。


「小田嶋さんの頭の中に浮かんだ言葉遊びに、実際の出来事が追いついちゃった」

──たしかに、小田嶋さんのツイートを10年分、本を通して振り返ると、同じことを繰り返していることに気付かされます。たとえば、このツイートとか。

〈「対案」を出せという言い方は、改革に反対する側に挙証責任があるかのように見せかける議論のすり替えです。政治的な決断によって何かを変える場合、変えようとする側の人間が、メンバーの一人一人を説得しなければなりません。〉(2012年2月22日)

──小田嶋さんのこのツイートは当時、大阪市長だった橋下徹氏が〈批判をするのであれば、対案を示すべきです。職員基本条例、教育基本条例が悪いと言うのであれば、ではどうしたら良いのか?どのコメンテーターも対案は絶対に示しません〉とつぶやいたことに対するものだったわけですが、その後も、安倍政権による安保法制でも同じ主張を自民党だとか維新だとかの政治家、松本人志などの安倍応援団コメンテーターたちが「対案を出せ」と合唱し、事あるごとに繰り返されています。

小田嶋 似たようなことがずっと繰り返されてきたというのは、この10年の印象ですよね。

武田 たとえば、2014年くらいのツイートを写メでもしてTwitterに上げたら、最近のものだと思う人は多いはず。選んでいたときも、とにかく反復しているな、と。あまりにも繰り返されると、読み物として面白くなくなるかな、と思いながらも、実際に起こっていたのが同じことの繰り返しだったので、途中からは意識的に選んでいきました。

──なるほど。でも、同じことを繰り返しながら状態は悪化していっていると感じます。たとえば、「政治的」という言葉について、小田嶋さんは2015年に〈「政治的に色のついていない人」が歓迎される風潮が蔓延し、それゆえに「支持政党無し層」が国民の半数以上を占めている現状は、「何か大きなアクシデントが勃発した時に一夜にして政治的な態度を変える人々」によって国策の将来が握られているということで、これはコワいことなのかもしれない。〉とつぶやいていましたが、2019年のツイートはこうです。

〈この5年ほどの間に「政治的」という言葉は、もっぱら「反政府的」という意味でのみ使用され、解釈され、警戒され、忌避されるようになった。政権に対して親和的な態度は「政治的」とは見なされず、単に「公共的」な振る舞い方として扱われている。なんとも薄気味の悪い時代になったものだ。〉(2019年6月11日)

小田嶋 「芸能人とかスポーツ選手は政治的発言をするな」と言われちゃうようになったという。

武田 つるの剛士さんの発言は「政治的発言」にはならないですもんね。あと、小田嶋さんのツイートには予言めいたものもたくさんあります。たとえば、これとか。

日本学術会議から学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか。〉(2017年12月30日)

武田 これツイートしたの、2017年ですからね。こういう小田嶋さんの頭の中に浮かんだ言葉遊びに、実際の出来事が追いついちゃうという。

──小田嶋さんはほかにも、こう言及されていました。

〈自分より教養の高い人と話をすることに喜びを感じるためには、ある程度の教養が必要なのだと思う。〉〈で、思うのだが、人文系の学部をつぶそうとしているのは、教養のある人間と交流することに苦痛を感じるタイプの人たちなんではなかろうか。〉(2015年6月14日)
〈インテリ層をひとくくりにして敵視しようとする時代思潮みたいなものが形成されはじめている。〉(2012年7月2日)

武田 2012年の段階から、こうした流れが生まれていたということですよね。本に収録した、最後から2番目にあるツイートも予見的でした。

〈次からは首相もパソナからの派遣でまかなうことにしたら良いのではないか。〉(2020年8月29日)

小田嶋 まさか竹中平蔵が表舞台に復活するとは思っていなかったですよねえ。菅さんの油断ならないところは、あいつを引っ張り出してくるってところですよ。


■「志らくってバカだよねっていちばん言いたいんだけど、それはツイートしないで紙に書く」

武田 この本の巻末インタビューでもお話しされていましたけど、小田嶋さんは、ひとつのツイートをするのにやたらと時間をかけて、入念に振り絞っていますよね。

小田嶋 いちばん素朴な感想のどうでもいいものは、なんとか書かないように努力しているんですよ。たとえば「志らくってほんとバカだよね」みたいなベタな雑感とか。その工夫のなさが許せないから「毎朝目覚めて俺は自分が志らくじゃないことに安心する」とか、せめてその程度には書きたい。

武田 そのアレンジが、非常に小田嶋さんっぽいですね(笑)。でも、どうでもいいことを言いたい欲はあるわけですよね。テレビ観ていて、勢い任せに言いたくなる、っていう。

小田嶋 「志らくってほんとバカだよね」っていうのはそのとおりだし、いちばん言いたくなるのはそれなんですけどね。だから、俺は絵を描くためにいつも白い紙を置いてあるんですけど、「志らくってバカだよね」っていうのはツイートするのではなくて手書きで紙に書く。

武田 自分のためだけに書く。

小田嶋 うん。それで丸めて捨てる。

武田 今、政治の世界で起きている事象が半ばコメディと化している。なので、コラムの芸として茶化したり、突っ込んだりすることができず、あっちがコメディだから、こっちがついつい真面目に書いてしまう、って難しさがありますよね。

小田嶋 政治がいじる対象ではなく説教をする対象になっている。「違う角度から見るとこうだよね」というのがコラム芸としてのいじりなんだけど、向こうがグダグダだから説教しにいっている。説教をするタイプじゃないんだけど、「それは違うだろ。建前はこうだろ」みたいなことを上から「総合的・俯瞰的」に言わなくちゃいけない。それは本来自分の立ち位置じゃないんですけどね。これは政治の側がひどすぎるんですよ

武田 安倍さんにしろ菅さんにしろ、話していることの土台や背骨ってほとんどない。ぐにゃぐにゃしながら辛うじて立っている、みたいな感じ。むしろ、投じる側が土台を整えてあげる。「えっと、これこれこうだけど、こうですよね?」っていうときの「これこれ」を説明するのに140字では足りない。日本学術会議の105人のリストを菅さんは「見ていない」と言っていたのに、続いて、加藤官房長官に「詳しくは見ていないということです」と切り替えられちゃった場合、こっちからツッコむというのは難しいですよね。

小田嶋 難しい。難しいというか突っ込みどころがありすぎて。本来ツッコむという芸は、相手がストロングスタイルで、こちらはヒールとして足をひっかけにいったりとか変な技をかけられるんだけど、相手がぐにゃぐにゃ横になっている。

武田 本来、スーツをピシッと着こんで立っている人の鼻毛が出ていたらそれを指摘するのが面白かったんだけど、ほとんど全裸で寝そべっているような状況の時にこっちが何を突っ込めるかと言えば、「パンツを穿いてください」ですよね。でもこれって、突っ込みではなく、アドバイスとか説教とか、そういうものですよね。

小田嶋 「きちんとしなさい」としか言えないですからね。本来、建前を言っているはずの政治家が「だってしょうがないじゃん」みたいなことを言っているから、こっちが建前論を言わなくちゃいけなくなる。それがこの時代の不幸なんじゃないかなと。


■「森友と桜が逃げ切ったのは、ツッコミどころがありすぎたから」「まだやってるの?っていう話になる」

武田 説教を面白く読ませる、個性を打ち出しながら説教するって、なかなか大変なことですよね。直近の政治的な事象に反応してツイートしているだけでは、ただ文句言っているだけの人になってしまう。自分のツイートをスクロールしながら振り返っていると、やたらと怒っている人に思えてきて、自分はしないけど、「ずっと怒っている自分に見られたくないな」と、動物の動画を挟んだりしてバランスをとっている人は少なからずいると思うんです。

小田嶋 もふもふ動画を挟む人とか。

武田 「菅さんおかしい!」「菅さんおかしい!」「菅さんおかしい!」「もふもふ動画」「菅さんおかしい!」っていう。でも、「菅さんおかしい!」を4連投するときに、どのようにおかしいかを伝えていけばいいのか、なかなか難しい。

小田嶋 これだけ社会が直接的にとんでもないことが起きていると、技が求められるんですよね。たとえば、安倍さんの相手をするのも難しかったですよね。「アベガー」という言い方、あったでしょう? 

武田 あと「アベノセイダーズ」と。

──リテラがまさにそう言われています(苦笑)。

小田嶋 でも、傍観者から見ているとそう見えるんですよ。「この人、安倍さんに粘着しているストーカーだな」「あ、この人『アベガー』の人だ」っていうふうに思われちゃうのが大きなリスクで。だから安倍さんのことを言うために、しばらく迂回してから戻ってくるくらいのことをしないといけなかった。
 でも、「森友」と「桜」が逃げ切ったのは、ツッコミどころがありすぎたからじゃないかな。あまりにも露骨なツッコミどころが多すぎて、みんな同じところをツッコんでいる状態が3カ月とか続くと「まだやってるの?」っていう話になる

武田 あれは、よく出来た仕組みだなと思うんですよね。問題解決しないで、時間が経過し、「いつまでやってるの?」って言い方を始める。すると、なぜか、未解決のまま、次のステップに移行できるっていう。

小田嶋 「まだ桜って言ってるの? もう秋だよ」っていう。「あー、俺も桜、桜ってもう半年も言っていたのか」と自分で情けなくなっちゃう。そうすると相手の勝ちになる。時間切れで。

武田 日本学術会議も、このままのらりくらりとやりすごし、「コロナ対応を優先しなければいけないのに、まだ野党は学術会議か!」と言われて同じことになるんじゃないかと。小田嶋さんは〈「あまりにもバカすぎて反論する気にならない」ようなご意見にこそ、根気よく反論をぶつけて行かなければならない。でないと、あまりにもバカすぎるご意見はあまりにもバカすぎるがゆえに、ある日気がつくと世間の常識に化けていたりする。〉(2018年6月13日)と書かれていましたが、やっぱり根気よく反論をぶつけていくってことをやっていかないといけないですよね。
(後編に続く)

(構成=編集部)
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https://lite-ra.com/2020/11/post-5705.html

『災間の唄』出版記念 小田嶋隆・武田砂鉄対談 後編
糸井重里と松本人志を小田嶋隆・武田砂鉄が改めて語る「“機嫌の悪い人って嫌だよね”で糸井村のムードに」「松本に笑いが上納されている」
2020.11.23 11:00

     (『災間の唄』(小田嶋隆/武田 砂鉄 サイゾー刊))

 2011年の東日本大震災にはじまり、今年のコロナ禍にいたるまでを“災間”と位置づけ、稀代のコラムニスト・小田嶋隆氏の10年分のツイートを気鋭のライター・武田砂鉄氏が選り抜き、この時代を読み解いた異色作『災間の唄』が発売された。
 その発売を記念しておこなった小田嶋氏✕武田氏の対談前編では、いかにこの10年が同じ問題を繰り返してきたのか、建前さえも語らなくなった政治に対してツッコむことの難しさなどについて語っていただいた。
 そして、今回お届けする後編では、柔らかな言葉で人びとの「怒り」を抑圧しようと機能してきた糸井重里氏の問題や、松本人志をはじめとするいまの「笑い」が孕む権力性、さらには菅義偉首相がスローガンに掲げる「絆」まで、話題は多岐にわたることに。通底するのは、「同調圧力」という問題だ。前編に続いて、後編もお楽しみいただきたい。


──安倍政権下で問題が反復されてきたというのもそうなんですが、もうひとつ『災間の唄』を読んで印象的だったのは、糸井重里氏に対する言及です。小田嶋さんはツイートでも、2011年に出版された自著の『その「正義」が危ない。』というタイトルを後悔されていますよね。

〈2011年11月出版の拙著「その正義があぶない」(日経BP社刊)のタイトルについて、後悔している旨を何度か表明しているのだが、理由は、それがイトイ村の周辺から提案された書名だったからだ。考えの浅かった当時のオレは「それもそうだなあ」と了承しまった。とても後悔している。〉
〈糸井重里氏とその周辺の人々は、震災&原発事故以来、人々が「正義」を語ることや、政治的にふるまうことを時にはあからさまに時にはやんわりと攻撃し続けている。私はその立場にいつも強い違和感を抱いている。正直な話、卑怯な態度だと思っている。ま、オレがそう思っているというだけの話だけど。〉(2020年3月8日)


小田嶋 2011年に原発事故が起こったときに「原発いけないじゃないか」っていう正義の声が湧き上がったわけですよね。そして「自分が正義だと思ったときに人間は残酷になるんだよ」っていうのが反原発のカウンターとして出てきた。それを主導したのが糸井さんだと思っていて。

──糸井氏の、あの有名なツイートですね。〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。〉(2011年4月25日)という。

小田嶋 あれに全部乗っかって、福島への風評被害を責めるみたいな空気が生まれた。彼らが原発ムラからの誘導でやっているんだとは思わないし、原発を免罪するために言っていたんだとも思わないけれど、正義の言説をまっすぐに言うことの居心地の悪さをうまく利用されたんですよ。反原発というのを「お前ら正義ぶってねえか?」って言って打ち消す、相対化する動きで「怒ってる人ってダメだよね」って。「みんな許そうよ」というような空気にしていくための言説として、あの言葉はすごく使われました。だから、『その「正義」が危ない。』というタイトルが「アンチ反原発」にうまく利用されるところに着地しちゃったことが、自分のなかで釈然としないわけです。

武田 小田嶋さん、やたらと恨んでいますよね、そのタイトルを。

小田嶋 本自体は悪いものではないんですけどね。

──ただ、小田嶋さんが危惧されたように、「正義を疑う」とか「怒っている人ってダメだよね」という糸井的な価値観が、不満を抑圧することにつながる状況をつくり出したと。たとえば、小田嶋さんのこれらのツイートが現状を言い表していますよね。

〈参考意見として「よりスキャンダラスでないほう」「より脅かしてないほう」「より失礼でないほう」「よりユーモアのあるほう」を選ぶのはかまわない。ただ、「より正義を語らないほう」を無条件に選ぶと、結果として「より現体制維持に好都合な言説」を選ぶことになると思う。〉(2019年4月28日)
〈この30〜40年の間に、日本人が失った(あるいは「表明することを許されなくなった」)感情があるとすれば、それはなによりも「怒り」だ。怒りには大きな副作用があるし、社会の前提を破壊しかねないものでもある。でも、怒りを抑圧した社会は、それはそれで、うすら寒いディストピアだと思う。〉(2020年5月16日)


小田嶋 たとえば、良き人であろうとすることと糸井重里になっちゃうことというのは、表裏一体なんですよ。そこで良き人であろうと思っていることを、「みんな良き人であろうね」って呼びかけをはじめちゃうと糸井への道が生まれる。「みんな我慢しようよ」「みんなニコニコしていようよ」「機嫌の悪い人っていやだよね」ってことになっちゃうと、糸井村のムードになっちゃうんですよね。


■「松本人志は、織田信長が「あっぱれじゃ」と言うと「ほほー」みたいな世界に入っちゃっている」

──糸井氏の「ユーモアが大事だよね」ということともつながりますが、この本のなかで小田嶋さんはユーモアや笑いが持つ暴力性も繰り返し指摘されています。その代表格こそ松本人志ではないかと。

〈笑いは権力に抵抗するための有効な手段だと言われている。もちろんそういう側面もあるのだろう。でも、テレビ経由で流れているお笑いネタの大半は、強い者が弱い者をナブる時に起こるアクシデントを笑うパターン芸で、むしろ権力の作用そのものだったりする。〉(2017年10月17日)

小田嶋 私が若いころに面白かった人といえばだいたい左側の人で、野坂昭如とか青島幸男とか、あるいは橋本治とか。右側の人たちは喚いてばかりいて、いつも興奮していて、およそユーモアのない人たちだったんです。それで私自身は思想的に左だったわけじゃないけど、左側の人たちのほうが柔らかみや余裕なんかがあってかっこいいよねと思っていたわけです。ところが、吉本が笑いの中心になってから、批評的な笑いが一切消えて、後輩をいびってみんなで笑うような、ほもソーシャルのなかの笑いが主流になってしまった。松本人志はそのチャンピオンでしたからね。松本は地頭が良くて、教室の後ろのほうでときどき面白いことを言って混ぜっ返すタイプ。それが力を持ってしまったということが、なんていうのかな、真面目に考えることをバカバカしくしちゃう空気をつくり出したんじゃないのかな。

──2019年にも〈松本人志がヤンキーのヒーローたり得たのは、勉強漬けのインテリの知的武装をワンフレーズのボケで無効化してしまうその地頭の良さにあったわけなんだけど、この20年ほどのていたらくを見ていると、「勉強しない地頭」の劣化サンプルみたいなことになっている。〉とツイートされていましたよね。

小田嶋 松本人志がすごく面白かった時期は、とにかく不思議なアドリブの冴えがあったんですけど、でも、あそこから何も成長していない。

武田 たぶん、いまの小田嶋さんのたとえで言うと、これまで、教室の後ろでやんややんや騒いでいた人たちが、いまはもう、教壇に立っているわけですよね。で、その教壇から生徒に対して何を求めるかといえば、同調です。教壇でやっていること、言っていることの面白さに気付けとか、あるいは、いい感じに揺さぶってみろと迫る。僕はナンシー関さんのコラムが大好きでしたが、ナンシー関さんは生前、松本さんのことを高く評価されていた。それは、業界の仕組みに突っかかっていく一匹狼的なところへの評価だったはず。いま彼を見て一匹狼と思う人はいないでしょう。一匹狼ではなく、群れの長です。

小田嶋 それはビートたけしも同じで、軍団つくっちゃったでしょう? たけしがすごくつまんなくてもみんな笑う。松本周辺に起きている笑いも同じ。いつもパターンが一緒なんですけど、同じことを混ぜっ返すだけなのにすごく笑いをとるんです。ある若手芸人が「これ美味しくないですね」って言ったとすると、「それ『美味しくないですね』か?」って言うだけなんですよ。オウム返しするだけで笑いがとれる。あれはなぜ笑いがとれるかと言えば、その立場にいるからなんですよ。

──教壇に立っているから、と。

小田嶋 中小企業の社長がなんか言うとどっと受けるとか、織田信長が「あっぱれじゃ」と言うと「ほほー」みたいな。その世界に入っちゃっている。お笑いの世界じたいがそういうピラミッド構造のなかで、下の者は「私は笑っていますよ」というサインを出す。あれは権力関係の笑い。笑いが上納されているんですよ。

──視聴者もそこに組み込まれていますよね。

小田嶋 これを笑わないと笑いのセンスがないって言われてしまうことへの同調のなかで笑うという動作が発生している。

武田 EXILEグループの皆さんは、一斉に笑いながら、手を叩いて立ち上がります。全体で同意しているぞ、というのを作る、見せる、というのが大事なんでしょうかね。

小田嶋 彼らはTRIBEって言っていますからね。「部族」「種族」ですよ。


■「10年前は『絆』をからかえなかった」「一周回って今年『自助、共助、公助、そして絆』って言う人が」

──EXILEとかならまだましですけど、維新や安倍政権・菅政権も同じ構造になっています。

小田嶋 TRIBEの構造ですよ。同調圧力という言葉が流行りすぎて最近はあまり使いたくなくなっちゃったんですけど、でも、ある同調のなかで全員が一致してゆくんだっていうのは、2011年の「絆」の問題でもありますよね。2011年の震災から立ち直る段階で「絆」という言葉がクローズアップされて、それがオリンピックにつながっていく。この『災間の唄』という本は、武田さんが「絆」関連のところを少しずつ縫いながらよく拾ってくれたなと思っているんです。

武田 オリンピックの問題は、2010年代にずっと横たわっています。2013年、オリンピック招致運動の際に、「今、ニッポンには、この夢の力が必要だ。」というスローガンが出てきた。あまりに貧相でした。

──「今、ニッポンには、この夢の力が必要だ。」というスローガンについては、繰り返し言及されていますね。

〈「今、ニッポンには、この夢の力が必要だ」だとかいう恥ずかしいスローガンに乗っかって走り回った連中が責任とれよ。オレにはそんな夢はまるで必要なかったし、この先も他人と一緒に夢を見るつもりはまったくない。〉(2015年6月30日)
〈「民族には物語が必要だ」という百田尚樹の発言を見て思い出したのは2012年に「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」が、招致のために打ち出した「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」というスローガンだ。そっくりだよ。なにもかもが。〉(2019年6月2日)

小田嶋 「絆」という言葉が持て囃されたとき、僕はからかえなかったんです。いまでも覚えているけど、フジテレビが「ひとつになろう日本」ってキャッチコピーを女子アナに拳を握るポーズで連呼させていたんですよ。「うわ、すごいことになっちゃったな」と思って。あれをからかおうと原稿を書こうとしたんだけど、これをやっつけちゃうと俺のライター生命にかかわるかなと思ってやめたんです。

武田 当時、それぐらいの緊迫感があったんですね。2011年から約10年かけて、もう「絆」って連呼するのはちょっとね、という感じになってきたのに、今年、「自助、共助、公助、そして絆」って言う人が出てきた。一周回っちゃった。「まさかここで『絆』を使うのか」と多くの人が思ったはずですが、菅さん自身は表情変えずに、どうやら本気で言っている。この無力感、同じところを回っている感じというのは、今回の本を読むとよくわかると思うんです。政治が、とにかくずっとぐるぐる回っているんです。それが実証された本なんじゃないですかね。

小田嶋 「災間」という字もぐるぐる回っている感じがありますよね。はじめはピンとこなかったんだけど、いま思うと結果的に良いタイトルに着地しているなと思います。行ったり来たりしている、そのサイクルのなかに我々はいるという。

武田  そして、再び災いがはじまったと。『災間の唄 〜そして絆〜』というサブタイトルが欲しいですね。

(構成=編集部)
『災間の唄』出版記念 小田嶋隆・武田砂鉄対談 前編はこちら


【プロフィール】

小田嶋隆
1956年、東京都生まれ。一年足らずの食品メーカー営業マンを経てテクニカルライターの草分けとなる。国内では稀有となったコラムニストの一人。著書に『小田嶋隆のコラム道』『上を向いてアルコール』『小田嶋隆のコラムの切り口』(以上、ミシマ社)、『ポエムに万歳! 』(新潮文庫)、『地雷を踏む勇気』(技術評論社)、『ザ、コラム』(晶文社)、『友達リクエストが来ない午後』(太田出版)、『ア・ピース・オブ・警句』『超・反知性主義入門』(以上、日経BP)、『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房)など多数。

武田砂鉄
1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て2014年からフリーライターに。2015年、『紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。そのほかの著書に『芸能人寛容論―テレビの中のわだかまり』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』(晶文社)、『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)など。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアでの連載を多数執筆するほか、『アシタノカレッジ』(TBSラジオ)金曜パーソナリティを務める。


『災間の唄』小田嶋隆・著/武田砂鉄・撰(サイゾー)
2011年の東日本大震災(福島原発事故)から2020年のコロナ禍までを“災間”とし、この間、誰から求められることもないのに日々魂の叫びともいえる熱い言葉をツイッターにはき続けた日本最強のコラムニスト・小田嶋隆のツイート10年分を、日本最強のフリーライター・武田砂鉄が選びに選び抜いた1冊。横書き・縦スクロールのツイートを縦書きで紙に落とし込み、10年で大きく変わっていった世界と現代の正体を読み解く。
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