Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●『別丁 石川真澄 という人がいた』読了(2/3)

2008年11月13日 07時55分49秒 | Weblog
【筑紫哲也編集、『別丁 石川真澄 という人がいた』
石川さんは九工大機械工学科出身で、選挙結果や世論調査の分析のち密さや、守旧派といわれながらも小選挙区制の危険さや欠陥の指摘に孤軍奮闘した姿、そこに理系新聞記者の血が見て取れる。「政治を科学した」(p.36)。「絶対得票率」の提案も。「・・・小選挙区制。結果は死票累々、投票率急降下。そして「絶対投票率三〇%足らずの政党が、わが物顔でイラク派兵から憲法改定へ踏み込もうとしている」(p.44)。「日本国憲法が民衆にとってどんなに素晴らしいものだったか・・・書いてある」(p.61)。『JANJAN』の選挙データベースの構築の際に、竹内さんから石川さんは相談を受けていたそう (p.46)。朝日新聞の死亡記事にも、「政治報道に数量的分析を導入。九〇年代の政治改革論議では『死票を大量に生む小選挙区制では民意を国会に反映できない』などと、小選挙区制導入に反対の論陣を張った」 (p.65131)

「渡邉恒雄氏 (2) は理想的な政記者像か」という対談で、「「政記者よりも真の政記者に」の志を貫いた石川さんには、だから呵責なし批判を期待したのだが、そう単純ではなかった。・・・「ただの政工作者でなく、理屈にも強いところが、しゃくなんだね」という。逆に渡邉氏からは「お前みたいな、数字をいじくれるやつが俺のところにもほしいんだよ」と言われたこともあった。・・・さすが「ただもの」でない者同士か・・・」(p.72)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『別丁 石川真澄 という人がいた』読了(3/3)

2008年11月13日 07時53分45秒 | Weblog
【筑紫哲也編集、『別丁 石川真澄 という人がいた』】
黒川さんは「・・・一九五七年、朝日新聞社に一緒に入った。この年・・・足切りの常識テストがなく、例年より変わり種が多いといううわさだった。・・・二年後・・・も常識テストなしだったが、本多勝一とか筑紫哲也とか変わり過ぎが入ってきたので、以後常識テストなしはやめになったとか聞いた」(p.36)

ある時、誘い出し役の辻元さんとともに、石川さんは、筑紫さんに都知事選に出るように熱心に口説いたそう。筑紫さんがそれを受けていたら、あんな酷い状態にはならなかったかも。

本多さんによる最後の電話インタビューでは、「やはり一番問題なのは「表現の自由」」とし、『週刊文春』によるある政治家の娘の離婚問題掲載記事販売差し止めの件について。「あのとき僕はつくづく思ったんだけど、みんな表現の自由を問題にし、応援したくもないクソッタレ文春を弁護しなけりゃならないことにウンザリしながらやってました。それ自体はまあ正しいとしても、その副作用として「表現の自由すなわちメディアの自由」と強調されすぎた。・・・自分の気持ちを個人として素直に表現できる自由、そのことの大事さ。しかしあの事件は、メディアの自由、自分たちの商売道具を大事にするために言ってるんだと、一般の人たちに思われたでしょ。・・・「メディアの自由」と思われたらメディア側の負け(p.66)。本多さんが石川さんに最後にお会いしたのは疋田桂一郎さん (3) を偲ぶ会だったそう。「とりわけ日本に、惜しい政治記者を失った。・・・石川氏の連載「現代史ウォッチング」(『朝日新聞』一九九三年秋) を再読してみると、現在の日本をことごとく予見している」(p.67)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『福島瑞穂的弁護士生活ノート』読了

2008年11月12日 07時52分31秒 | Weblog

『福島瑞穂的 () 弁護士生活ノート』、10月に読了。福島瑞穂著。自由国民社。19986月刊。

政治家・党首になる前の著書。弁護士になる理由や経緯、司法試験受験時の苦労。夫婦別姓選択制や婚外子差別の撤廃など。

「取り調べ修習拒否! (p.54)

「姓を変えない」(p.65) 理由としてぴったりなのが、「そうしたかったからそうした」。

「東京高等裁判所は、民法の婚外子の法定相続分を婚内子の二分の一と規定する法律は、憲法違反であるという判断を出している」(p.92)

党勢が上がらないのが不思議・・・、多くは語るまい・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『手塚治虫 原画の秘密』読了

2008年11月11日 07時50分08秒 | Weblog

『手塚治虫 原画の秘密』、10月に読了。手塚プロダクション編。新潮社。20069月刊。

本の帯に、「門外不出の「ナマ原画」「ボツ原稿」でたどる、漫画の神様の苦闘の痕跡! ・・・ワンカットを完成させるために、ここまで描き直しを繰り返していたとは・・・・・・拡大や透過光撮影でこそ判明した数々の修正過程。手塚漫画は「修正」の歴史でもあった」。

2章「色彩の魔術師」の「手塚治虫の原点」としての肉筆『昆虫標本画』・肉筆本『原色甲蟲図譜』(pp.28-29) がすごい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『テレビ救急箱』読了 (1/2)

2008年11月10日 19時15分16秒 | Weblog

『テレビ救急箱』、10月に読了。小田嶋隆著。中公新書ラクレ。20084月刊。

『テレビ標本箱』に続く、テレビ批評コラム集第二弾。なんで救急箱なのか? 各章のタイトル中に、「傷だらけ」・「ホスピス」・「患者」・「胃もたれ」・「めまいや耳鳴り」といった言葉がちりばめられている。

コメディアンの100キロマラソンの「悪夢みたいな映像」(p.27)

[首長の]「いけ好かない威張り屋揃いのあの家の男たち」(p.77)

「オカルト番組の跳梁跋扈は、ありゃ何だ?(p.102)、「問題なのは、オカルトだ」(p.106)、「オカルト物件を解毒すべく」ジャニタレとの「抱き合わせで処理する。ヘロインの売人がブツを砂糖紙に包んで売るみたいな調子で」、「かくして、江原に・・・国分が・・・細木数子には・・・滝沢が供物として捧げられている」(p.111) (1)

「「世間」は被害を受けたわけではない。不愉快な思いをしただけだ。だから誰も「謝罪」など要求していない。一般のアンチ亀田の視聴者は、ただただ「消滅」を願っているのみだ。つまり、二度と目の前に出て来ないでくれ、と」(p.126)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『テレビ救急箱』読了(2/2)

2008年11月10日 19時13分14秒 | Weblog
【小田嶋隆著、『テレビ救急箱』】
[コムスンの介護問題を受けて] 「みのもんたの叱責 (←あんたは何様なんだ? 不二家にはちゃんとスジを通したのか?) を見るにつけ、テレビの増長は、来るところまで来ている。悔悟不能。救いようなし、と」(p.174)

「司会者が暴力事件を起こした法律バラエティーは、高視聴率を記録しつつ、・・・生き残っている」(p.220)。その番組出身の大阪府知事の教育行政や、光市母子殺人事件弁護団に対する弁護士にあるまじき批判や態度 (近々、安田好弘さんの本を紹介予定)、マスコミ (というか、朝日) 批判など、酷過ぎる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『野中広務 差別と権力』読了(1/3)

2008年11月07日 08時04分18秒 | Weblog

『野中広務 差別と権力』、10月に読了。魚住昭著。講談社文庫。20065月刊。解説は佐高信さんで、「柔和な風貌の中に硬骨の芯を秘めている魚住の本を、是非多くの読者に耽読してほしい」(p.430)

差別に対峙しつつ伸し上っていく前半と、権力に上り詰めて頂点にあと一歩の後半・・・。「この国の歴史で・・・の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢にまでたどり着いた人間は野中しかいない」(p.393)

「・・・戦争に巻き込まれるようなことだけは命がけで止めなきゃいけない・・・」(p.56)。一方、小渕政権 (1) でやったことは? 国旗・国歌法案でも「・・・教育現場に義務付けを行うことは考えていない」(p.373) と答弁していたにもかかわらず、結局、「教育現場の管理・統制は一気に強化され・・・「現場の犠牲者」を出さないための法律が新たな犠牲者を大量に生み、教師や子供たちの内面の自由を確実に奪っていった」(p.373)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『野中広務 差別と権力』読了(2/3)

2008年11月07日 08時02分52秒 | Weblog
【魚住昭著、『野中広務 差別と権力』】
「永田町ほど差別意識の強い世界」(2) はなく、「総裁選の最中にある有力代議士は・・・「・・・総理になれるような種類の人間じゃないんだ」 (p.385) と言ったそう。さらに、最近、ネット上で話題になっていた部分。当時、「総裁選に立候補した元経企庁長官」 (であり現総理) の「麻生太郎は・・・「あんな・・・を日本の総理にはできないわなあ」と言い放った」(p.385) そうである。20039月、野中は、最後の自民党総務会に臨み、当時の小泉総裁や麻生政調会長を前に発言を求めた。「・・・私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます・・・政調会長。あなたは『野中のような・・・を総理にはできないわなあ』とおっしゃった。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」、野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった」(pp.391-392)。

「手柄は小泉にとられた形になってしまったが、ハンセン病訴訟の元患者や弁護団が最も頼りにしたのが野中だった」し、「松本サリン事件で警察とマスコミに犯人扱いされた河野義行に、国家公安委員長として率直に謝罪したのも野中だった」(p.427)(先日、とうとう、河野さんの奥さんが亡くなられた・・・。今、安田好弘さんの視線で見たオウム事件の真相について読書中。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『野中広務 差別と権力』読了(3/3)

2008年11月07日 08時00分46秒 | Weblog
【魚住昭著、『野中広務 差別と権力』】
20039月、小泉が再選を目指す自民党総裁選のさなか、政界引退を決意。日本外国特派員協会にて、「・・・日本の国の内外を問わず危険な道をひた走っている・・・絶対に! [景気は] 良くなっておりません。今も一日百人の日本人が自分の意思で自らの命を絶っている。ホームレスや失業者が街にあふれています・・・日本は戦前の道をいま歩もうとしているのです。そこまで言わなければ気がつかないのか・・・人間として本当に悲しくなります」(pp.389-390)

野中は「うっすらと涙をにじませた目で私を睨みつけながら・・・「君 [魚住さんのこと] が・・・書いたことで、私の家族がどれほどつらい思いをしているか・・・そうなることが分かっていて、書いたのか」」と何度も詰問され、著者は絞り出すように「ご家族には本当に申し訳ないと思っています。誠心誠意書いたつもりですが・・・・・・これは私の [ごう] なんです」(p.390p.423) と答えている (34)。「私の業とは、心の奥底から湧き上がってくる、知りたい、書きたいという取材者としての衝動」(p.390) である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『ルポ 改憲潮流』読了(1/3)

2008年11月05日 08時08分49秒 | Weblog

『ルポ 改憲潮流』、9月に読了。斎藤貴男著。岩波新書。20065月刊。

改憲派だった「小林節教授が変節した最大の理由」(p.62) は意外だった。「小泉政治の傲慢さと軽さに耐えられなくなりました」(p.42)。大臣にまでなった新自由主義信奉者の経済学者とは一味違う模様。

「過去の非道、罪責に向き合おうとすることさえ、この国の権力は拒否」(p.V)。例えば、横浜事件 (先日1030日、横浜地裁で再審開始が決定。無罪を言い渡すべき新証拠が見つかったとの判断。遺族による4回目の請求でようやく開始)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『ルポ 改憲潮流』読了(2/3)

2008年11月05日 08時07分16秒 | Weblog
【斎藤貴男著、『ルポ 改憲潮流』

超監視社会や加害の忘却 (靖国参拝など)、新自由主義の跳梁跋扈、新憲法への奔流とジャーリズムの劣化 (朝日と読売の接近、「自作自演」・「自己責任」の罵声 (12345)NHK番組改編問題(p.155、魚住昭) (67))、アメリカ侵略主義と日本「自衛軍」など、『改憲潮流』へ着々と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『ルポ 改憲潮流』読了(3/3)

2008年11月05日 08時01分56秒 | Weblog

【斎藤貴男著、『ルポ 改憲潮流』】
中曽根元首相が加速し、小泉元首相が止めを。安倍元首相もその流れだし、現麻生首相も例外ではないでしょう。「立憲主義
(近代立憲主義) とは、ともすれば暴走して国民の人権を侵害しがちな国家権力に縛りをかけるための憲法」、「これぞ近代憲法の原理原則であり、グローバル・スタンダード」(p.35)、「憲法の基本は、国家がしてはならないことを定めている」 はずなのに。また、戦時中、そして、戦後、現首相の実家は炭鉱で何をやっていたのでしょうか? 当時の中小炭鉱の悲惨さは目を覆うばかりであったことを、最近、知りました (上野英信さん (8) の『追われゆく坑夫』を先週読了)。では、現首相の実家がかかわったような大きな鉱山はそんなことはなく、夢のような楽園・労働環境だったのでしょうか・・・。

「戦後六十年以上もの間、・・・ハードルの高さゆえではなかった。・・・戦争だけは二度とごめんだという国民一人ひとりの意識が、安易な改憲への取り組みそのものを許さなかったのだと信じたい」(p.131) (9)

「ゲルニカ―重慶―東京や大阪の大空襲―ヒロシマ・ナガサキ―朝鮮半島―ベトナム―アフガニスタン―ファルージャ。だからこそ、日本がまたしても同じ蛮行を再現し始めかねない可能性が日に日に高まってきている」(p.221)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『渡邉恒雄 権力とメディア』読了(1/2)

2008年11月04日 07時57分52秒 | Weblog

『渡邉恒雄 権力とメディア』、9月に読了。魚住昭著。講談社文庫。20038月刊。

ある人の発言、「・・・天皇制を打倒したくて共産党に入ったのに、党の『徳田天皇』制的体質に反発して脱党し、結局最後は自分がマスコミの天皇に・・・」(p.57)

この新聞社にもこういう時代はあった。退職後、『不当逮捕』や『誘拐』を書いた本田靖春さん。読売社会部での「黄色い血」追放キャンペーンで「戦後ジャーナリズム史にその名をとどめる」(p.190)。本田さんが当時を振り返り、「・・・反権力の気風がみなぎっていて、・・・無告の民を代表しているんだという誇りを持っていた」(p.190)

九頭竜ダム事件。「・・・「[渡邉ら読売新聞が] こんな事件に深入りしなかった我々の判断は正しかったと思う」、これは論点の巧妙なすり替え・・・渡邉の行為がジャーナリストとして正当だったかどうかだ。・・・「我々新聞記者は・・・大切なのは、取材対象に対する主体的批判力を失わぬことである」と、大見得を切った。・・・カネがらみの裏工作に加担するのを取材とは言わない。むしろ記者と取材対象という関係の限度を超えた癒着と言ったほうが適切だ」(p.215)。真のジャーナリストとして、魚住さんの適切な指摘。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『渡邉恒雄 権力とメディア』読了(2/2)

2008年11月04日 07時56分36秒 | Weblog
【魚住昭著、『渡邉恒雄 権力とメディア』】
押し紙問題
(1) について。「[務台は]・・・読者獲得のために無代紙 (無料の新聞) の配布を始めようというのである。そうなると無代紙の分も仕入れ代金を納めなければならない。事実上、本社が販売店に余計な新聞を押しつける「押し紙」をやることになる」(p.392)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『オトナのアソビ』読了

2008年11月02日 21時08分10秒 | Weblog

『オトナのアソビ』、9月に読了。大田垣晴子画文。MF (メディアファクトリー) 文庫。2007年1月刊 (オリジナルは1998年)。

「バーをたのしむ」、「ケッコンをたのしもう」、「サクラサクラ」など、14話の『オトナのアソビ』。1話10頁の構成で、表紙に続き、画文や2コマ漫画、4コマ漫画など。

K (ないしはT) 文庫にて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする