石川さんは九工大機械工学科出身で、選挙結果や世論調査の分析のち密さや、”守旧派”といわれながらも小選挙区制の危険さや欠陥の指摘に孤軍奮闘した姿、そこに理系新聞記者の血が見て取れる。「政治を科学した」(p.36)。「絶対得票率」の提案も。「・・・小選挙区制。結果は死票累々、投票率急降下。そして「絶対投票率」三〇%足らずの政党が、わが物顔でイラク派兵から憲法改定へ踏み込もうとしている」(p.44)。「日本国憲法が民衆にとってどんなに素晴らしいものだったか・・・書いてある」(p.61)。『JANJAN』の選挙データベースの構築の際に、竹内さんから石川さんは相談を受けていたそう (p.46)。朝日新聞の死亡記事にも、「政治報道に数量的分析を導入。九〇年代の政治改革論議では『死票を大量に生む小選挙区制では民意を国会に反映できない』などと、小選挙区制導入に反対の論陣を張った」 (p.65、131)。
「渡邉恒雄氏 (※2) は理想的な政治記者像か」という対談で、「「政界記者よりも真の政治記者に」の志を貫いた石川さんには、だから呵責なし批判を期待したのだが、そう単純ではなかった。・・・「ただの政界工作者でなく、理屈にも強いところが、しゃくなんだね」という。逆に渡邉氏からは「お前みたいな、数字をいじくれるやつが俺のところにもほしいんだよ」と言われたこともあった。・・・さすが「ただもの」でない者同士か・・・」(p.72)。