青年期の人が「退行」しているように見えることにも、新しいものの芽生えがあり、その意味では、創造過程、適応過程の一部とみなしうるものです。
1人の人間のライフサイクルを包み込むことができるとすれば、それは、その観察している人間が舞台(段階)を1つずつ踏んで、1つのやり取りのある世界に入るまで成長する、という事実を説明できるようになって初めて出来ることです。このやり取りのある世界は、いつでも、よかれあしかれ、その人に対して、少しずつ外側に広がる世界を一つ一つ準備するようになります。この外側に広がる世界は、人間の伝統と習慣からできているのですが、この伝統と習慣は、その人の発達する力を利用し養い、その人の衝動を魅了し修正し、また、人間の恐怖と空想に応え範囲を定め、さらには、その人にその人の心理社会的な持ち味にふさわしい人生の立ち位置を割り当てるのです。私どもが1人の人間の存在を包み込むことができるとすれば、それは、その人のライフサイクルのそれぞれの舞台(段階)に対して、社会的影響力と伝統的な習慣を示して初めて出来ることなのです。この社会的影響力と伝統的な習慣こそが、1人の人が、自分が赤ちゃんだったころの過去と自分が大人になってからの未来に対する見方を決定するものなのです。この意味では、私どもがクライアントである「受苦的存在」から学べるとしたら、それは、治療の場面でクライアントが言ったりやったりしたことが、治療者とクライアントの間の、双方が必ず守る約束(契約)に基づいたものであり、一般的な人間の条件に当てはめる前に、注意深く形を変えてられているはずだ、ということを私どもが(そのクライアントが)理解できる範囲において、初めて出来ることなのですね。だからこそ、ばらばらな、ケースの歴史や精神分析の解釈が、私どものたくさんな新聞や雑誌に、パタパタと跳び回りながら、昼間のコウモリよろしく失われたように見えるのです。
治療において根源的に大事なのは、そこで交わされる約束なのです。約束が信頼と安心をもたらしてくれるからです。