エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「悪いのは、ルターだ」という見方

2013-11-19 03:33:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

 <イメージ・話し言葉・出来事>の結びつきが、また出てきましたね。こうも繰り返されるのは、なぜなんでしょうか?

 

 

 

 

 

 しかし、ここで、他の専門家集団も見ておきましょう。ルターの非常に熱心な研究者、デンマークの精神科医、ポール・J・ライターが明快に確信したのは、この聖歌隊での発作は、重篤な精神病だということです。せいぜい、彼はこの出来事を、良性のヒステリーの症例だと彼は見ることを厭いません。その場合でも、彼はこれを、安定しているけれども、無慈悲な、「内因性の病状」の1つの症状である、と評価します。この「内因性の病状」は、ルターは40台半ばに、明確な精神疾患となって頂点に達します。「内因性」とは、実際には生物学的、という意味です。ライターが感じていたのは、ルターの発作が「一連の、意義深い心理学的発達の」一環である、などと見ることは、「どんなに善意的に見ても」、到底あり得ない、ということです。神経系の不規則な不調でしかないルターの異常に、天からの「メッセージ」だとか、内心からの「メッセージ」だとかを見つけだそうとしても、虚しいばかりだったのでしょう。

 

 

 

 

 

 ライターは、非常にドライに、ルターの発作を神経の病気と見たのでした。不安障害だと。エリクソンは、以前の箇所で、魂の次元のことを「生物学的に診断する医者」が困り者だといいました。その実例がライターなのでしょう。

 しかし、これはエリクソンがこれを書いた時代だけのものではないのです。今現在の日本においても、不登校や、クラスに馴染まない子どもがいれば、「ADHDじゃないですか?」、「親の養育能力がない家庭なんです」、「学校は忙しいし、そこまでやり切れません」などと、スビリチャアルな次元に事欠くことが非常に多いのです。

 私どもはどうすれば、この事態を突き抜けることができるのでしょうか?

コメント
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