ルターが破局的な決断をすることになるというのは、歴史の教科書にも出てくる95の意見を述べた「95カ条の論題(提題)」なのでしょうか。ルターはこれによって、ローマカトリックと決定的に対立するという、当時としては空恐ろしい戦いに突入することになります。並大抵の覚悟と勇気ではおぼつかなかっただろう、と想像しますよね。
ペーマーは、私が同じ学派だと申し上げたいのですが、事情は承知しているのに、あの大学教授に比べて、より穏やかですし、いっそう洞察力に満ちています。ところが、彼にとっても、ルターの父親は、厳しい人ですが、断然いい意味で、不屈で、健全な質です。ただし、ルターが修道院に入るとなった時には、突然、何の警句もなしに、「狂人のように」振る舞います。このように子どもっぽい爆発は、ドイツ人の父親の特権でしたし、心理学の検証を超えているものであるかのように、ペーマーは振る舞います。
シェールの本は、ルター派の歴史書の2つの傾向を第一次大戦後に受け継ぐ本です。この2つの傾向は、2人の人によってはじめられ、他によって凌がれたためしのないものです。すなわち、1つは、偉大なフォン・ランケの普遍主義的歴史傾向です。彼は、聖職者のような歴史家で、歴史的に折り合いがつかずにいる力の中に、「神の聖なる文字」を見付け出すのが、彼の仕事でした。他方の、歴史哲学の傾向(哲学と宗教を、時にはまぜこぜにし、時には鋭く分ける)は、年上のハルナックによりはじめられました。私どもがこの究極的な視点に戻ってくることになるのは、私どもがルター神学にたどり着く時です。
厳しさも、優しさに通じるものもあるので、良い意味もあるのでしょう。普遍主義と歴史哲学の闘いも、カソリックとプロテスタントの闘いに加えて、始まりそうですね。