エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

宗教 スピリチュアルで知的な世界

2013-11-07 03:20:10 | エリクソンの発達臨床心理

 

 言葉が真実である、ということがいかに精神分析でも大事かが分かりましたね。それは、あらゆる人間関係において、言葉が真実であることが、信頼関係を育むための絶対条件、必須事項だからです。看板に、「一流(ホテル、レストラン、デパート、ブランド…)」、「三大(バンク、商社、企業…)」、「お上(国や地方自治体)」と称しているものが、その看板とは裏腹に、平気でウソを言っていたなら、まるで「バレなければ、いいや」ということだとしたら、信頼などできないですよね。

 

 

 

 

 

 他方、宗教は、たとえハッキリとはしていなくても、「これは本物だ」と感じることを詳しく述べます。宗教が大切な言葉やイメージ、そして、記号に翻訳するのは、人間の実存を取り巻く抱えきれないほどの暗闇ですし、それから、あらゆる賞罰と理解を超えて、暗闇に漲る光です。しかしながら、この本は、一冊の歴史の本ですから、宗教が私どもの関心を引くのは、もっぱら、自分を確かにする道(アイデンティティ)を求める人にとっての、価値選択の源としての宗教です。1人の偉人の「若い時期の」自分を確かにする道探し(アイデンティティ確立のための闘い)を描くとき、私が関心を持つのは、彼に服従することを求めた教義の妥当性でもなければ、彼の体系的な思考に影響を与えた哲学の妥当性でもありません。むしろ、私が関心をもつのは、彼の時代のいろんな主義(このような主義が宗教的であるはずです)が、彼が熱烈に、自分を確かにする道を探すのに応じた、スピリチュアルで、しかも、知的な世界に対してです。

 

 

 

 

 

 エリクソンの関心は抑制的ですね。エリクソンは、宗教のヌミノースの側面、今日の翻訳箇所の言葉で申し上げれば、「闇の中に漲る光」のことをハッキリと感じ、意識していただろうと思います。しかし、そのことを、ルターを通して直接的に語るのではなくて、自分を確かにする道探しに応じた、スピリチュアルで知的な世界に、今ここで関心を限定しているのです。臨床家であると同時に、エリクソンは一級の学者でもあったのです。

 ただし、この「一級」は本物、真実な意味においてそうです。

コメント
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