ルターは修道院にはいった20代の前半、ないし、中ごろに、憑き物につかれように発作があったといいます。いまでも、「ちょっとこの人変!」と思われただろう人物だったろう、と想像します。
当時、マルティンがドイツ語やラテン語でうめいていたかどうかを知ることは面白いことでしょう。 この記録を残した人たちが一致してどうしていることは、ルターがひどく動揺した場面に関してだけです。Christ's ejecto a surdo et muto daeminio キリストは、口をきけなくさせる悪魔に取りつかれた一人の男を癒した。これは、マルコによる福音書第九章17節に触れただけかもしれません。すなわち、「群衆の中の1人が答えて言った『主よ、私はあなた様のところに私の息子を連れてまいりやした。この子は口がきけないんです」。年代史家が考えたことは、若いころ、ルターは悪魔憑きだったということでした(中世においては、宗教的なボーダーラインのケースか、精神科的なボーダーラインのケース)。それから、年代歴史家が考えもう一つのことは、ルターは大声で否定しようとしても、自分が悪魔憑きであることを示した、ということです。「私じゃあない」と言っても、1つの名を呼んできた人や、忌まわしい形容詞が特色の人に対して、子どものように駄々をこねることになったでしょうね。その忌まわしい形容詞とは、ここでは、「口がきけない」、「言葉が出ない」、「悪魔憑き」、です。
ルターは、今ではボーダーラインのケースの相当するような人だったといいます。 「口がきけない」、「言葉が出ない」、「悪魔憑き」、等と呼ばれ、散々ですね。そのルターが、宗教改革化になるに至るまでの心の過程が楽しみですね。