ルター研究は、精神分析に新たな地平をもたらすものだと言います。
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精神分析と宗教との大きな違いについて、私はケンカ腰の人の様に2つの違いを論じたくありません。精神分析が確立したいと努力しているのは、人間の行動にあるハッキリした真実とは何か、ということですし、そこには、そのような行動には、人間にとって真実に思われたり、真実に感じたりすることとはこういうことです、と表明するものがともに含まれています。私が精神分析の用語を用いて解釈しようとしていることは、臨床的な経験と精神分析の考え方によって、私が認識する現象はどんなものでも、人間のハッキリした心の構えに依存している、ということです。これこそ1人の臨床家として、また、1人の教師として、私の仕事です。つまりは、(これまでご指摘してきましたように)歴史的理由から精神分析は、ハッキリ真実であることと、真実であると感じることとの境界線上にあることが多い、という自覚を含んだ仕事です。精神分析的研究に、新たに新鮮な気持ちで着目するなら、私どもが実際言葉にしていることは、はたして私どもが意図していることなのかどうか、私どもは自問せざるを得なくなります。批評家よろしく私どもに義務を負わせるのは、精神分析を重んじることと精神分析を区別することに対してですし、私どもの仕事は、専門家の中で認められた唯一の専門であるばかりではなくて、世間という鋳型工によって今様に操作されることに従っている、一つの考え方にすぎない、ということを認めることに対してです。私どもの成功そのものが示しているのは、私どもの党派心にはあんがい分別がある、ということです。
言葉とイメージと出来事が一致することは非常に大切です。それは、心の統一性、心の健康、心の豊かさのためには不可欠だからです。それがここでエリクソンが言う真実です。しかし、「一流ホテル」、「一流デパート」、「三大バンク」などと呼ばれる組織や、ほとんどの行政機関がウソのかたまりでしかないことがハッキリした今の日本では、言葉にしていることが真実であることがいかに貴重なことかが、改めて示されていると強く感じますね。