
現世考: 発達トラウマ障害(DTD) と 過労自殺

ヴァン・デ・コーク教授が、震災前から、今のニッポンの子ども達の状況を言い当てていました! 「全会一致が当たり前」と「全会一致は無効」のあ......
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Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,Speciation and Ritualization 人間を上下に分けて見ること と 日常生活を礼拝にすること の p.82,第5パラグラフから。
以上のことが物語っていますが,ハッキリとさせなくてはならないことは,日常生活を礼拝にすることは,エゴが時空の中で光が昇る東向きになり不動にされる心の習慣と,1つの社会の中で支配的な(競い合っている)世の中を見る見方を繋げる主要な絆になっている,ということです。精神病理学では,しかしながら,私どもが学ぶことができるのは(同時に,学ぶべきは),日常生活を礼拝にすることで生き方が不動にされることがバラバラになり,人々は孤独になり,一人ぼっちで悩むことになる道です。そういう時には,私どもは日常生活を治療的に礼拝することを創造することができますが,日常生活を治療的に礼拝することは,人が人と息がピッタリ一致することに対して,新たな内省と気付きをもたらしてくれます。しかし,毎日の生活の中で「生きた」日常生活の礼拝に没頭して初めて学べることは,様々な人と様々な世代間の争いが,世代が繋がるパターンの中で,いかに,互いにピッタリ時に叶った目的を見出すことができるのか,ということですし,本物の日常生活を礼拝にすることが失われたり,ウソとゴマカシに堕落したりすれば,いかに社会病理が蔓延するか,ということです。
日常生活を礼拝にすることは,光を感じて生きること。
親子の争いや嫁と姑の争いも,本当は,両者がお互いに人として成長するという,時に叶った目的があります。
日常生活を礼拝にすることが,ウソとゴマカシだらけになると,人は孤独になり,一人ぼっちで悩むことになります。赤ちゃん,幼い子ども,お年寄り,特に認知症のお年寄りが,ホッタラカシにされて,一人ぼっちにされているのが,今のニッポンの闇,病みです。