桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

休日出勤

2009年08月10日 12時53分18秒 | のんびり散策

 昨日曜日、EMS(国際郵便)で外国から貨物が入ることになっており、それにちょっとした細工を施して出荷しなければならなかったので、また休日出勤です。
 郵便物が届けられる時間は午後二時~三時と幅がありましたが、一時前にくる可能性もあったので、配達人を待たせぬように出勤しました。



 六月の終わり、咲いていることに気づいた路端の桔梗はとうに花期は終わっていると思ったのに、まだ花を咲かせていました。



 貨物が届けられたのは二時。一時間半ほどかけて細工を施し、近くのクロネコの集配所まで持って行って、休日出勤は終わりです。
 クロネコへ行くと、市川大野の駅までは、いつもとは違う道を経由するほうが近道です。その道は、かつて大野城があった丘を切り開いた道で、初めて歩きます。
 この中学校の校庭に大野城の本郭跡があります。夏休み中でもあり、入ることはできないだろうと思って、入口だけ。



 中学校先にあった浄光寺の二王門です。
 両脇に高さ24・3センチという小さな二王像があるそうですが、小さいのと暗いのとで、肉眼ではよくわかりません。地面からは見上げるような高さにあるので、写真を撮るとしたら、足場が必要です。

 この二王像は乳首がないことで知られています。
 伝説によると、鎌倉時代の仏師・運慶がこの地にきて、死んだ母の菩提を弔うべく刻んでいたのですが、完成間近になって母の姿が現われたので、つい誤って乳をそぎ落としてしまったのだそうです。
 失敗したと思って、壊そうとしましたが、母がこの地の安産の護りとせよ、と告げたので、そのまま完成させた、という伝承が遺っています。



 浄光寺本堂。
 運慶が関東に下り、先の無乳二王金剛力神を彫刻して、当寺多聞院に安置したのは承久年間(1219年-21年)という言い伝えがあるので、開創はそれ以前ということになりますが、いまのところはっきりした年代はわかりません。宗派不明(いまのところ)→日蓮宗→真言宗→日蓮宗と改められて現在に到る。



 境内にある毘沙門天像。
 浄光寺では「たまんぼう」と呼んでいるそうです。由来は不明ですが、毘沙門天は四方を鎮護する四天王の一つ多聞天のことです。「多聞天→多聞坊→たまんぼう」となったのではないかと推測されています。
 旧大野城北方に祀られ、城郭の守護神でしたが、秀吉の小田原の役後、大野城の廃城とともになくなって、「たまんぼう」という名前だけが遺りました。
 後年再建されて、いまは市川七福神の一つです。

↓参考マップです。
http://chizuz.com/map/map55578.html

コメント
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