我が庵からそれほど遠くないところに、医王寺というお寺があるのを地図で見つけたので、昨日曜日、散策を兼ねて訪ねることにしました。
朝のうちは陽射しが出ましたが、いつの間にか雲が低く垂れ込めるようになっていました。近場(といっても小一時間を要しますが)で、一つだけ將門関係の遺跡を訪ね漏らしていたのに気づいていたので、行こうかと考えていたのですが、愚図愚図している間に昼を過ぎてしまいました。
天気も思わしくなさそうなので、歩いて行ける廣徳寺と医王寺だけを巡ろうと出かけることにしたのです。
新坂川で草の蔭に川鵜(カワウ)が隠れているのを見つけました。泳いでいる姿、飛んでいる姿を見たことはありますが、佇んでいる姿は初めて見ました。
本当は白鳥を見るか、紫雲たなびくのを見なければ意味はないのですが、あまり見ない鳥を見て、幸先が佳いような気分になりました。
五月の連休中に一度訪ねたことのある金龍山廣徳寺です。我が宗旨・曹洞宗のお寺です。
寛正三年(1462年)、 高城胤忠(たねただ)によって栗ヶ沢に創建されましたが、天文六年(1537年)、高城氏が大谷口城を築いて移ると、城の鬼門に当たる現在の場所に移されました。
この寺に着くころから雲行きが怪しくなって、傘は要らない程度ながらも雨になりました。これが川鵜のお告げだったのか。
医王寺。
廣徳寺の裏手にある真言宗のお寺です。背後を坂川が流れているので、かなり急峻な台地の上に建っています。
本尊は不動明王。
江戸時代初期の寛永のころ、越後国から一人の法師が不動明王の分身を供奉してこの地にきました。村の人々は挙げて帰依しましたが、高木治右衛門吉久という人はことに崇敬すること篤く、現在の境内地を寄進して、一宇を建立したのが寺の始まりといわれています。
この不動明王は田螺(たにし)不動とも、姿見不動ともいわれています。
田螺不動と呼ばれるようになったのは、落雷で祠が焼けたとき、本尊も焼けてしまったと思われたのですが、なぜか田螺がビッシリと張りついて、焼けるのを免れたという言い伝えからきています。
また姿見不動というのは、病で目の見えなくなった村の娘がこのお不動様に願をかけ、毎日不動滝の水で目を浄めていたという言い伝えです。
今日が満願という日、いつものように目を浄めていると、水面にお不動様のお姿が現われました。驚いた娘が滝壺を見ると、そこにお不動様が立っておられた。お不動様が見えたということは、娘の目は見えるようになっていたのです。娘は喜んで、生涯お詣りを欠かさなかったそうです。
医王寺境内に祀られている松戸七福神の一つ毘沙門天。
濡れるほどではありませんが、雨は熄みません。
訪ね漏らしていた遺跡の一つ-守谷市の海禅寺へ行くのは完全に諦めて、代わりに本土寺へ行ってみることにしました。医王寺からならわずか1キロという距離です。
長谷山本土寺の山門(仁王門)です。
阿吽の両像はガラスで囲われているので、上手く撮影することができませんでした。
寺域は「源氏の名門」平賀家の屋敷跡と伝えられ、建治三年(1277年)、当時の領主・曽谷教信が領内にあった地蔵堂を移して法華堂とし、日蓮聖人から長谷山本土寺と寺号を授かったのに始まる、とあります。
しかし、「源氏の名門」という形容詞がつく平賀氏といえば、私が知る限り、信濃佐久を本拠とした平賀氏しかなく、その平賀氏であれば、主に京で活躍しているのですから、いまの千葉県に屋敷があったという話は信憑性に欠けるところがあります。
本土寺五重塔。
平成三年に建立されたばかり。塔内にはインドからの真仏舎利が納められているそうです。
本土寺境内の受付。これより先は有料(500円也)。
私がこの受付まできたのは二度目。地図で見ると、この奥はかなり広大で、本堂、開山門(建治三年以来の門)、宝蔵、その他見どころは多いようですが、なぜか私は入るのを躊躇してしまいます。
やはり二度行ったことのある野火止の平林寺も入山料は同じ500円なのに、二度とも抵抗なく入らせてもらったのですが……。
すでに季節の終わった紫陽花、もう少しすると紅葉で名高いお寺ですが、人がいっぱいくると思うと、その季節にわざわざこようという気にはなりません。
本土寺参道その1。
北小金駅に近い入口の石塔から山門まで、参道は約500メートルあります。楠の大木に混じって椎や杉の並木。水戸光圀が寄進したそうです。
本土寺参道その2。
参道にある漬物屋さん。
長い参道沿いには、この他、日本料理屋、カフェ、蕎麦屋などがあります。
山門から北小金駅までは徒歩十分。駅に着くころには雨は熄み、西の空も幾分明るくなったようなので、思い直して平將門と將門の影武者七人の供養塔があるという海禅寺まで脚を延ばすことにしました。
取手から関東鉄道のディーゼルカーに乗って十三分。私の中ではすっかりお馴染みとなった稲戸井駅を過ぎ、南守谷駅で下車。
目指す海禅寺へは真っ直ぐに行ける道がありません。地図の上ではクネクネと道を辿りながら約2キロの行程です。
車の排気ガスに追い立てられながら歩くのも嫌なので、回り道になるのと道に迷う危険を覚悟の上、できるだけ静かな道を歩こうと思いました。
坂東市を訪れて田圃道を歩き、私に驚く蛙たちがズボズボと水の中に飛び込む音を愉しんだのはほんの十日前のことですが、守谷の稲田ではすでに水を止めていました。
写真に撮るとわからなくなってしまいましたが、あちこちに小さな竜巻の舞った跡がありました。稲穂がなぎ倒され、竜巻が天空に消えたと思われる中心は「♪サ・ガ・ケンーッ」のはなわくんの髪型のようになっていました。
この稲田は向こうに見える台地(けやき台)と海禅寺のある台地に挟まれて盆地状になっているので、風の悪戯が起きるのでしょう。
松戸では小雨が降ったというのに、南守谷の駅を降りたときには強い西日が射すようになっていました。田圃道では陽射しを遮ってくれるものがありません。またまた汗だくです。
このあと、海禅寺と二度目になる守谷城趾を訪ねますが、そのブログは明日。
↓今回の参考マップを載せました。
http://chizuz.com/map/map56180.html