どうしてこうなるんだろうと思います。偶然にしてはあまりにも間が良過ぎる。
というか、悪過ぎる。
昨日、一か月に一回しか行かない横浜へ行くとき、それも私が電車に乗る時間に合わせるようにして停電事故があったのです。
五月、六月と外国からの荷物が多かった反動か。七月は一度の入荷もなく、八月も後半になって久しぶりの入荷がありました。
というわけで、久しぶりの横浜行でした。
船賃を払うのと通関書類をもらうために向かったのは、今回も関内にある海運会社です。十一時半までに着けばいいので、いつもどおりの電車に乗りました。
京浜東北線の乗り換え駅(秋葉原)で電車を待っていると、着いた電車からドッと客が降りてきて、車内は見る見るガラガラになりました。ラッキー、坐れる……と思ったのも束の間。なんたるアンラッキー !!
客が降りてしまうのも当たり前。「品川-大井町間で停電のため、当駅で運転を見合わせます」との車内アナウンスが流されていました。
山手線で東京駅まで行き、東海道線に乗ろうかと思いましたが、こちらも停電の巻き添えを食って、動いていない様子です。横須賀線は動いているようでしたが、横浜から先はまた京浜東北線に乗り換えなければならないので一緒です。
渋谷まで行って東横線に乗り、直通のみなとみらい線で行くことも考えましたが、切符ではなく、スイカで乗車していましたから、すでに改札を通ったあとでは他社線は無料扱いにはなりません。
それにこういうときはバタバタと走り回っているうちに電車が動き出し、結局じっと待っていたほうが早かったということになりがちです。
しかし、この日はバタバタと走り回ったほうが早かったようです。東海道線は十一時前に運転再開しましたが、京浜東北線は十一時過ぎと遅れて、関内に着いたときは十一時半を過ぎてしまいました。海運会社の昼休みは十一時半から一時まで。タクシーを飛ばしても間に合いません。
山下公園近くのジョナサンで早めの昼食を取って、一時まで近隣を散策することにしました。
関内の横浜市役所前にある港町魚市場跡の記念碑。
1874年(明治七年)、高島嘉右衛門が船便の良いここに、魚、青果、肉類の生鮮食品を扱う市場を開設したところです。
シルクセンター前にある「絹と女」の像。像を取り囲んでいる緑は桑の木なのです。
開港記念広場。
安政元年(1854年)三月三日に締結された日米和親条約を記念するモニュメントがあります。
禁煙にはエキセントリックなほど神経を尖らせている神奈川県と横浜市。罰則課徴金2000円也の標示がいろんなところに……。
私はここでこっそりと紫煙をくゆらせます。もちろん携帯灰皿持参。
横浜開港資料館。
幕末・開港期から昭和初期までの横浜の歴史に関する資料が公開されていますが、私はいつも前を通るだけ。
横浜市開港記念会館。
大正六年(1917年)創建。いまは中区公会堂です。
開港記念会館前にある横濱會所跡の記念碑。
明治七年(1874年)に町會所が建てられ、居留地の外国人や貿易商らの諸手続きや交流の場となって賑わったようです。
この日の予定はガタガタ。いつもなら二時過ぎには勤め先に戻るのですが、四時近くになってしまいました。
厄日かと思われた昨日、ドラゴンズは横浜に大勝しましたが、今夜は一日遅れの厄日だったようです。