土曜日の就寝時。また深川へ行こうと考えていました。
眠る前に読んだ本で田中平八(1834-84年)のことを識りました。「天下の糸平」という異名は識っていましたが、詳しい人となりについては何も知りませんでした。
面白い男だなと思いました。伊藤博文が揮毫した石碑が東京・向島の木母寺にあると識って、深川はまたの日にして向島へ行こうと予定を変えました。
されど、金曜日は一か月ぶりに午前様をやらかしていました。寝たのが午前二時半という時刻だったのに、六時半に目が覚めていました。翌土曜日は早い時間に床に就いたのですが、日曜日、目を覚ましたのはすでに陽が高い時間でした。
ここ二日間は肌寒かったものの、急に暑くなっていたのに、冬服しかありません。
月曜からまた出勤、と考えると、休みのうちに衣替えをして、冬物の洗濯もしなくてはなりません。用を済ませてから向島くんだりまで行った日には、お天道様があるうちに帰れるかどうか覚束ない。予定はまた変更です。
私にとっては不愉快な風ながら、洗濯物には恵みの強い風があったおかげで、三時ごろにはとりあえず格好はついたので、近隣の散策に出ました。
散策といっても、近場なら大勝院というお寺しかありません。このお寺の山桜(樹齢七百五十年だそうです)を見に行こうと思いながら行かないうちに、花はすっかり散っていました。
山桜と並んで境内に聳えるイチョウ(公孫樹)の樹を撮影しました。樹齢は定かではありませんが、これも充分に古木です。
一週間前、北小金の内田さんという靴の修理屋さんに修理をお願いした靴が土曜日のうちに、新品のようになって戻っていました。
踵が片減りしたチャッカブーツ二足、デザートブーツ、ドライビングシューズ、ウォーキングシューズ計五足を直してもらったのです。
お蔵入りにしてから、ときおり陰干しをして、手入れはしていましたが、どれも四~五年履かないままでした。
気に入っていた靴ばかりですから、全部試し履きしたいのですが、二本脚では一足しか履けません。どれから試してみるかと頭を悩ませた揚げ句、ウォーキングシューズで出ることにしました。
踵が減って歩きづらいと感じるようになるまで、毎日のように履いていた靴です。それなのに、久しぶりに履いてみると、足に馴染まないし、すごく重く感じるのです。
我が庵から大勝院までは1・5キロ。
途中からずっと上り坂になりますが、二十分もあれば行ける距離です。
しかし、坂の途中で靴の重さに疲れてしまいました。大学生のころなら十五分で歩いたな、と無意味なことを思いながら、寺をあとにし、北小金駅の通路を通り抜けて南口に出ました。
駅南口のサティに喫茶店があったので、コーヒーを飲んで帰ろうと思っていましたが、そのころには靴が少し馴染んできました。
コーヒーを飲むのはやめて、東漸寺まで足を延ばしました。
枝垂れ桜の名所ということですが、もちろんすでに花はありません。代わりに松の枝が風にそよぐ音の他にはなんともありがたい静寂がありました。
かつては広大であったらしい寺領は、両側をそぎ取られたようになっていて、木立の間から学校の校舎が見えたり、マンションが見えたりするのがいささか興醒めですが、長い参道は風情があります。
深川はもちろん、東京でこれだけの参道に恵まれたお寺は滅多にありません。
僧侶にとってはどうだかわかりませんが、門外漢にとって参道はその寺のイノチに近いものだと思います。ろくなことは考えていないのですが、適当な長さの参道があると、本堂に到るまで、なにがしか考える時間を与えてくれます。
写真の仁王門(東漸寺では山門)をくぐると、前方に本堂が見えてきます。入口付近には二組の参詣客、というより私と同じような観光客がいましたが、本堂近くはまったくの無人……。日曜日で付属の幼稚園も隣の小学校も休みなので、物音一つしません。
久しぶりにお寺らしいお寺に詣でさせてもらった、という思いがしました。
↓大勝院~東漸寺位置関係図
http://chizuz.com/map/map56538.html
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