今日から11月です。
今年もあと2ヶ月で終わりですか・・・。
昨日は寒くて寒くて、
午前中はなんとかリハビリのメニューも家事もこなしましたが、
午後は寝込んでしまいました。
心臓が苦しく、午後は動けませんでした。
こんな日もあります。
それでも、ブラッドパッチ前とは比べものにならないぐらい、
体は楽です。
さて、本題に入ります。
脳脊髄液減少症は
不定愁訴病です。
つまり、原因不明のさまざな症状ばかりを訴える病です。
さまざまな症状に基づいて
内科医、神経内科医、整形外科医、脳外科医、などが検査をしてくれても、
それが「脳脊髄液減少症」を意識しない、
医師の指示による一般的な検査なら、
どんな精密検査をしても、
すべて「異常なし」と言われます。
あるいは偶然、検査に何かの異常がひっかかれば、
そのせいにされて、違う病名がついたりします。
激しい頭痛、めまい、半身のシビレ、
手足の脱力が出て、
一時は脳疾患を疑った脳外科医が深刻な表情で向き合ってくれても、
脳脊髄液減少症を知らない医師の指示書に基づいて、
頭のMRIを撮っても、
MRAを撮っても、
CTを撮っても、
「異常なし」と言われます。
異常なしであれば、医師の態度は豹変し、
表情の深刻さは消え、
以後、患者の必死の訴えを、真剣に聞かなくなります。
それゆえ、それでも症状をしつこく訴え続ければ
自立神経失調症、起立性調節障害、など不定愁訴の症状につけられる病名をつけられるか、
慢性疲労症候群や、線維筋痛症など、まだ未解明の病名を
つけられるか、
仮面うつ病、身体表現性疾患、
パニック障害、過呼吸症候群など、
精神的な病とされてしまいます。
このように、脳脊髄液減少症とは、
医師も本人も、症状の原因病を見ぬくことが
非常に困難な病なのです。
ましてや、症状が比較的軽く、
めまいとか、肩こりとか、目の奥が痛いとか、あくびがとまらないとか、
まるで、過労のような症状が主な症状なら、
「脳脊髄液減少症」なんて難しそうな病名と、
自分のささいな症状との因果関係に
素人の患者が気づけるはずがありません。
私も初期には、ごくごくありふれた比較的軽い
身体的不定愁訴ばかりでした。
そのうちにだんだんと症状も増え、重く激しくなっていき、
さまざまな精神症状も出てきました。
あまりにありふれた身体的不定愁訴ばかりの時は、
身体各部に現れた症状に
医師も患者も目を奪われて、振り回されて、
他の病態と誤診されたり、
混同されたり、
他の病名と間違われて診断されて、治療されたりします。
精神的症状が出てくると、精神疾患かと思われはじめます。
でも、今振り返ると、
私の不定愁訴の症状のひとつひとつも、
精神症状も、
独立した別々の疾患だったわけではなく、
脳脊髄液減少症という病態が、
それらすべての症状の根っこにあったのです。
つまり、精神も、身体も
脳という根っこでつながっているため、
脳が不調になれば、
精神症状も、身体症状もいろいろ出現するというあたりまえのことに、
私自身も医師も気づかなかったのです。
いえ、正確に言えば、脳に異常があるのではないか?というところまでは
医師も患者の私も気づいたのですが、
脳自体ばかり調べていて、
その脳の周りの脳脊髄液量が、正常な状態か、
正常より減っているのではないか?なんていうことまでは、気づかなかったのです。
脳脊髄液減少症は、脳を浮かべている脳脊髄液の減少ですから、
いくら脳だけを調べても、異常が見つかるわけがありません。
こんなたとえで説明してみます。
「子供がスイミングをしていて、
泳げない、泳げない、体が思うように動かない~
前に進めない~助けて~
と騒いでいる時に、
親もコーチも医師も、
その子の体に異常があるのではないかと
その子供の体にばかり目がいっているようなものです。
その子の体をいくら詳しく検査してみても「異常なし」で、
実は、プールの水が抜けていて、
水が少なくなって底が見えているから、
子供が思うように動けない、泳げない状態であることに、誰も気付かないようなものです。」
実際のプールは人の目に見えるから
現実にはこんなことはおこりませんが、
脳の浮かぶ脳脊髄液のプールは
頭骸骨に囲まれていて、直接目にできませんから、
脳の浮かんでいる脳脊髄液のプールの水面の位置が
いつもより下がっているかなんてことには
誰も気づくことができなかったのです。
脳が元気に働くためには、
脳の浮かぶ、脳脊髄液のプールの水が充分なければ
ならないようです。
それは、多すぎても、少なすぎても、
脳にとっては、不都合なようです。
このように、視点を変えないと
なかなか気づきにくいのが脳脊髄液減少症なのです。
また、
「ダンボール箱の中に陶器をつめて送るときに
陶器が割れないように、発泡スチロールや
空気の入った緩衝材で、包んで守って送ります」が、
脳脊髄液のプールは、
どうやら、外からの衝撃から
脳を守る役目も果たしているようです。
なぜなら、
私は、今まで、人の運転する車のブレーキ操作だけで、
首が前後に振れるだけで、
ムカムカと気持ちが悪くなり、酔ってしまいがちでしたが、最近は大丈夫になったからです。
今まで、脳の緩衝材である、脳脊髄液が減っていたために、ちょっとのゆれでも、脳が刺激を受けて、
酔いやすかったのではないかと思います。
現在は、車のブレーキごときのささいな揺れは
平気になりました。
私の場合は、
脳の必死の、
痛みやだるさというSOS信号にもかかわらず、
私自身も医師も、脳の浮かぶプールの水が
抜けつづけていることには気づかないまま、
何年も放置され続け、
体は脳と命を守るために、
毎日毎日必死で脳脊髄液を作り出し、供給し、
でも、脳脊髄液をつくってもつくっても、供給しても供給しても、補充しても補充しても、漏れていたから、正常量を保つことができないから、
正常な毎日の、
脳脊髄液の生産と吸収のバランスに戻れないから、
いつもいつも具合が悪く、症状が出たり消えたりして、
終わることなく、体調不良に悩まされたのだと思います。
私はあの交通事故のせいで、
今までの人生のほどんどが
不調の体で終わってしまいました。
脳脊髄液の減少は、脳を苦しめ続け、
多彩な原因不明の不定愁訴症状を
精神やら身体やらにさまざまな組み合わせで出現させて、長年私を悩ませ続けていたのです。
当時は、誰も「脳脊髄液減少症」などという病態を発見していませんでしたから、
脳脊髄液減少症に気づけなくてもしかたがないことで、
誰を恨むこともできませんが、
もっと早く気づけていたら、と残念でなりません。
せめてS医師が病名発見後の、
2000年以後の交通事故であったなら、まだよかったのに、
なんであんなに昔に
交通事故にあってしまったのかと悔しくてなりません。
私にこんな大怪我を負わせた相手を、
起訴さえできないのです。
事故から数年以内にこの病名にたどりついた
幸運な患者さんが非常にうらやましく思います。
どれくらい幸運かということには、
私たち昔の患者の悲惨な体験に声に耳を傾けないと、気づけないかもしれません。
脳脊髄液減少症という病名がある時代に事故に遭った被害者の方や、
事故にあって、数年以内に、脳脊髄液減少症という病名が発見されて認知されつつある時代がきた患者さんは、
それだけで、幸運すぎるほど、幸運です。
病名判明しただけで、幸運です。
病人として向き合ってくれる医師がいるだけで、幸運です。
そのことを、もっと感じてほしいです。
そして、
早期発見早期治療で、社会復帰も果たした幸運な患者さんたちは
声をあげることもできない昔の交通事故被害者の分まで、
もっともっと声上げてほしいです。
でも、脳脊髄液減少症が認知されつつある今も、
ブラッドパッチ治療で治った患者もいる現在でも、
医師も患者もなかなか脳脊髄液減少症に気づけないのでは、
現在も
昔の患者の私と同じあやまちが繰り返されることになってしまいます。
過去の交通事故での脳脊髄液減少症患者の
悲惨な体験が今後に生かされないのでは、
私たちの体験そのものが無駄になってしまいます。
それでは昔の患者はますます浮かばれません。
これでは、死んでも死に切れません。
だから、こうして伝え続けているのです。
今、私はここまで症状が消えてみて、
脳脊髄液減少症は、
つくづく、恐るべき不定愁訴病だと
改めて思いました。
体のパーツごと、症状ごとに
医師に病名をつけさせたり、
患者が訴える症状に、医師が振り回されて、
どんどん病名が増え、
それに伴い処方される薬も増え、
患者はその医師の診断や処方を信じ、
治りたい一心で薬づけになってしまって、
よけいに健康を害する方向へ進んでしまったり、
原因不明や、精神的なものと思われ続けたまま、
患者本人も、医師も、
真の原因から目をそらせられ続けたりと、
脳脊髄液減少症は、まるで、
全国指名手配されているのに、なかなかつかまらない
犯人のようでもあります。
日常生活に犯人が紛れ込んでいるのに、
あまりに自然に日常にまぎれていて、
身近にいる犯人の存在に、多くの人が気付けないのと
同じです。
脳脊髄液減少症とはそんな病です。
あまりに恐ろしい後遺症です。
その不定愁訴とはどんなものか、
具体的な症状に少しずつ触れていきたいと思います。