週間新潮 11月20号の
「迷惑メールは誰が出す。?」というワイド特集の中の
5番目に、
興味深い事が書いてありますので、ご覧ください。
最新号なので、詳しい内容を書くことは
今は差し控えたいと思いますが、
私の直感から、かねてから
「適応障害ではなく、脳脊髄液減少症なのではないか?」と
とても気になっているM子様について
とある医師の自論が書いてあります。
その医師のお考えは、
「頚」というところに着目した点、ある意味、
いい視点、いい線まで、いっているとは私も思います。
しかし、
あまりにも自論にこだわっていて、
同じような症状が出る、脳脊髄液減少症については常に全く触れず、
無視を決め込んでいることが、
以前から非常に違和感を感じていました。
本当にその方を治したいと心底願うなら、
似た症状のすべてをひとつひとつ検討するべきだと
私は思います。
今回の主張も、病名と病態のとらえ方が
あまりにも自論のみで、
他の可能性については全く触れていないようで、
非常に残念に思いました。
でも、この医師の主張により、
他の多くの医師たちや、マスコミの方や、国民の皆様たちが、
「あのお方の症状が、脳脊髄液減少症にも非常に似ている」ことに、
気づいてくれるかもしれないという期待もわきました。
そういう意味では、
この医師の発表は、ありがたい主張になるかもしれないと思いました。
でも、その医師に私は言いたい。
「センセ、自信満々なようですが、
もしかしたら、
そのご自分の見立てすらも、間違っているのかもしれませんよ・・・。」と。
『それぐらい、不定愁訴の症状から「本当の病名」を見抜くことが、難しい病態もあるのですよ。』と。
もちろん、素人の私のみたても間違っている可能性が高いですが・・・。
似た症状の患者を多く診ている医師でも、自ら症状を経験したわけではないですから、
実際に似た症状を体験し、いろいろと誤診された経験のある患者の直感の方が
案外当たっていることもあると思います。
医師たちが本当に、患者を苦しみから救おうという、
純粋な気持ちがあるのなら、
常に、「似ている症状の、まったく別の病態の可能性について、」
いつも意識しながら、患者を診てほしいものです。
これは、
慢性疲労症候群の「疲労」にこだわる医師にも、
線維筋痛症治療に取り組む「痛み」にこだわる医師にも、
「頚性筋症候群」の病名にこだわる医師にも
「自律神経失調症」や「起立性調節障害」や「非定型うつ病」や
「パニック障害」など、不定愁訴を伴う病の治療や研究に取り組む医師にも、
言えることだと思います。
人間はひとつです。
心も体も、体のあちこちの部分も、すべて脳でつながっていることを
どうか忘れないでください。
お願いですから、
医師の皆さんのところに、さまざまな原因不明の不定愁訴を抱えて
やってくる患者さんを診察する際には、
いつも頭の片隅に、
「脳脊髄液減少症」という病態を置いて診てほしいと思います。
そうでなければ、必ず脳脊髄液減少症は見逃します。
そして、もし、治療の途中でも、脳脊髄液減少症の可能性を感じたら、
どうか、その患者さんに、
「脳脊髄液減少症の可能性もある」と率直に教えてあげてほしいのです。
そのためには、
いつまでも、脳脊髄液減少症という病態を無視していないで、
自分の専門領域にこだわっていないで、
脳脊髄液減少症について、学んでほしいです。
病名の変更や、治療方針の転換は
今までのご自分の判断の間違いを認めることでもあり、
かなり勇気のある行為だと思いますが、
患者を治すためには、
時にはどんな医師にも必要な決断だと思います。
自分を正当化しようとして、最初の診断を貫いて患者を治らないままにすることは
罪なことです。
もしかしたら、違う病名かも?と感じたら、
すかさず、そのことを患者に伝えることは、
医師としての義務なのではないでしょうか?
患者を救うためには、時には自分のプライドも捨てられる、
自分の間違いも認めることもできる医師こそが、
本当のいい医師なのではないでしょうか?
一番大切なことは、
「病名が何か」ではなく、
「患者が治ること」だと私は思います。
医師のプライドや、
自分の専門分野にこだわるあまり、
自分の診断した病名にこだわるあまり、
患者を手元から放そうとせず、
自分の治療方針も変えようとしない医師は
問題だと思います。
患者がいつまでも治らないのは、
最初の診断や、
病態の捕らえ方や、
治療法など、
何かが間違っている可能性だってあると思います。
それを認める勇気や、決断も、
いい医師には必要ではないでしょうか?
時には、
別の医師の意見に耳を傾けることや、
他の医師に患者をゆだねることも、
忘れないでほしいと思います。
治る可能性のある患者を
治らないままにしておくのは罪なことだと思います。
治る可能性のある病態は、治せる方向へ患者を導くのも
医師の重要な役目ではないかと、
私は思います。
どうか、
慢性的な不定愁訴に苦しんでいる患者さんたちを、
ひとりでも多く、助けてあげてください。
症状に隠された病態の真相を正しく見極めて、
患者の治る方向性を患者とともに考え、
見出して、
自分の治せる範囲ではないと感じたら、
勇気を持って患者を手放して、他の専門医師にゆだね、
どうか延々と続く体調不良の人生から、
救いだしてあげてください。
よろしくお願いします。
「迷惑メールは誰が出す。?」というワイド特集の中の
5番目に、
興味深い事が書いてありますので、ご覧ください。
最新号なので、詳しい内容を書くことは
今は差し控えたいと思いますが、
私の直感から、かねてから
「適応障害ではなく、脳脊髄液減少症なのではないか?」と
とても気になっているM子様について
とある医師の自論が書いてあります。
その医師のお考えは、
「頚」というところに着目した点、ある意味、
いい視点、いい線まで、いっているとは私も思います。
しかし、
あまりにも自論にこだわっていて、
同じような症状が出る、脳脊髄液減少症については常に全く触れず、
無視を決め込んでいることが、
以前から非常に違和感を感じていました。
本当にその方を治したいと心底願うなら、
似た症状のすべてをひとつひとつ検討するべきだと
私は思います。
今回の主張も、病名と病態のとらえ方が
あまりにも自論のみで、
他の可能性については全く触れていないようで、
非常に残念に思いました。
でも、この医師の主張により、
他の多くの医師たちや、マスコミの方や、国民の皆様たちが、
「あのお方の症状が、脳脊髄液減少症にも非常に似ている」ことに、
気づいてくれるかもしれないという期待もわきました。
そういう意味では、
この医師の発表は、ありがたい主張になるかもしれないと思いました。
でも、その医師に私は言いたい。
「センセ、自信満々なようですが、
もしかしたら、
そのご自分の見立てすらも、間違っているのかもしれませんよ・・・。」と。
『それぐらい、不定愁訴の症状から「本当の病名」を見抜くことが、難しい病態もあるのですよ。』と。
もちろん、素人の私のみたても間違っている可能性が高いですが・・・。
似た症状の患者を多く診ている医師でも、自ら症状を経験したわけではないですから、
実際に似た症状を体験し、いろいろと誤診された経験のある患者の直感の方が
案外当たっていることもあると思います。
医師たちが本当に、患者を苦しみから救おうという、
純粋な気持ちがあるのなら、
常に、「似ている症状の、まったく別の病態の可能性について、」
いつも意識しながら、患者を診てほしいものです。
これは、
慢性疲労症候群の「疲労」にこだわる医師にも、
線維筋痛症治療に取り組む「痛み」にこだわる医師にも、
「頚性筋症候群」の病名にこだわる医師にも
「自律神経失調症」や「起立性調節障害」や「非定型うつ病」や
「パニック障害」など、不定愁訴を伴う病の治療や研究に取り組む医師にも、
言えることだと思います。
人間はひとつです。
心も体も、体のあちこちの部分も、すべて脳でつながっていることを
どうか忘れないでください。
お願いですから、
医師の皆さんのところに、さまざまな原因不明の不定愁訴を抱えて
やってくる患者さんを診察する際には、
いつも頭の片隅に、
「脳脊髄液減少症」という病態を置いて診てほしいと思います。
そうでなければ、必ず脳脊髄液減少症は見逃します。
そして、もし、治療の途中でも、脳脊髄液減少症の可能性を感じたら、
どうか、その患者さんに、
「脳脊髄液減少症の可能性もある」と率直に教えてあげてほしいのです。
そのためには、
いつまでも、脳脊髄液減少症という病態を無視していないで、
自分の専門領域にこだわっていないで、
脳脊髄液減少症について、学んでほしいです。
病名の変更や、治療方針の転換は
今までのご自分の判断の間違いを認めることでもあり、
かなり勇気のある行為だと思いますが、
患者を治すためには、
時にはどんな医師にも必要な決断だと思います。
自分を正当化しようとして、最初の診断を貫いて患者を治らないままにすることは
罪なことです。
もしかしたら、違う病名かも?と感じたら、
すかさず、そのことを患者に伝えることは、
医師としての義務なのではないでしょうか?
患者を救うためには、時には自分のプライドも捨てられる、
自分の間違いも認めることもできる医師こそが、
本当のいい医師なのではないでしょうか?
一番大切なことは、
「病名が何か」ではなく、
「患者が治ること」だと私は思います。
医師のプライドや、
自分の専門分野にこだわるあまり、
自分の診断した病名にこだわるあまり、
患者を手元から放そうとせず、
自分の治療方針も変えようとしない医師は
問題だと思います。
患者がいつまでも治らないのは、
最初の診断や、
病態の捕らえ方や、
治療法など、
何かが間違っている可能性だってあると思います。
それを認める勇気や、決断も、
いい医師には必要ではないでしょうか?
時には、
別の医師の意見に耳を傾けることや、
他の医師に患者をゆだねることも、
忘れないでほしいと思います。
治る可能性のある患者を
治らないままにしておくのは罪なことだと思います。
治る可能性のある病態は、治せる方向へ患者を導くのも
医師の重要な役目ではないかと、
私は思います。
どうか、
慢性的な不定愁訴に苦しんでいる患者さんたちを、
ひとりでも多く、助けてあげてください。
症状に隠された病態の真相を正しく見極めて、
患者の治る方向性を患者とともに考え、
見出して、
自分の治せる範囲ではないと感じたら、
勇気を持って患者を手放して、他の専門医師にゆだね、
どうか延々と続く体調不良の人生から、
救いだしてあげてください。
よろしくお願いします。