息子達が旅行に出かけた。
朝8時発のヒコーキだった。
それで逆算すると、搭乗手続きが7時となる。
ヒコー場まで約1時間とすると、息子のマンションに6時となる。
だから5時半から45分には家を出なければならない訳で、妻の顔作りにそう30分から小一時間となると起床は4時半から5時となる。
つまり昨夜は9時前に就寝したことになる。
だいたい上記の予定通りで進み、ヒコー場でサンドイッチとコーヒーで朝食だった。
無事に飛び立ったのを眺め、天気も良いし、ヒコー場を出て西原村に向った。
萌の里(俵山)のコスモス畑を横目に南阿蘇外輪山の長いトンネルを抜け南阿蘇に出た。
トンネルを抜け左手に阿蘇の五岳を眺め二本松という集落に出た。
こういう時にナビは助かる、しかしその道は通行止めになっていた。
迂回路と示された道を進むと踏切があった。
なんとそこには小さな可愛い駅があった。
クルマを止め小さな駅に行って見た。
南阿蘇鉄道の見晴台と云う駅だった。
しばらくそこで休憩をして、ホームに立つと目の前にはネコ岳が見える。
高森からネコ岳の横を通り五岳一週も良いかなと思い後ろを振り向くと、外輪山を超える道が見えた。
ナビで調べると清水峠とあり、井無田高原から清和村から山都町に出る道のようだ。
さっそくその道に出て登山を始める。
しかしクルマが一台やっと通れるような道だった。
外輪山のふもとには清水寺(きよみずてら)というのがあって行って見たがまだ朝の9時少し前というのもあり、お堂ではお経の声が聞こえた。
それから再び細い登山道だ。
峠を越えると高原が続く。
高原一帯が放牧場になっているようでそこでクルマを停めた。
妻が手を振って
「コーイ!コイコイ!」
と言っている。
すると5,6頭の赤牛が集まって来るでは無いか。
数頭の牛を柵があるとはいえこんなに至近距離でみることはそうあるものでは無い。
しばし牛達と世間話をして分かれた。
聖滝
井無田高原から清和村の文楽館や男成神社(ここは結局行き着けなかった)清和村の天文台(館長は同級生だが休館日だった)と行き山都町に出た。
山都町から吉無田高原の水源で一休みだ。
それから西原村、大津町に出て例の蕎麦屋で昼食をとり、無事息子達をヒコー場に送り届け、家に戻った。
朝8時発のヒコーキだった。
それで逆算すると、搭乗手続きが7時となる。
ヒコー場まで約1時間とすると、息子のマンションに6時となる。
だから5時半から45分には家を出なければならない訳で、妻の顔作りにそう30分から小一時間となると起床は4時半から5時となる。
つまり昨夜は9時前に就寝したことになる。
だいたい上記の予定通りで進み、ヒコー場でサンドイッチとコーヒーで朝食だった。
無事に飛び立ったのを眺め、天気も良いし、ヒコー場を出て西原村に向った。
萌の里(俵山)のコスモス畑を横目に南阿蘇外輪山の長いトンネルを抜け南阿蘇に出た。
トンネルを抜け左手に阿蘇の五岳を眺め二本松という集落に出た。
こういう時にナビは助かる、しかしその道は通行止めになっていた。
迂回路と示された道を進むと踏切があった。
なんとそこには小さな可愛い駅があった。
クルマを止め小さな駅に行って見た。
南阿蘇鉄道の見晴台と云う駅だった。
しばらくそこで休憩をして、ホームに立つと目の前にはネコ岳が見える。
高森からネコ岳の横を通り五岳一週も良いかなと思い後ろを振り向くと、外輪山を超える道が見えた。
ナビで調べると清水峠とあり、井無田高原から清和村から山都町に出る道のようだ。
さっそくその道に出て登山を始める。
しかしクルマが一台やっと通れるような道だった。
外輪山のふもとには清水寺(きよみずてら)というのがあって行って見たがまだ朝の9時少し前というのもあり、お堂ではお経の声が聞こえた。
それから再び細い登山道だ。
峠を越えると高原が続く。
高原一帯が放牧場になっているようでそこでクルマを停めた。
妻が手を振って
「コーイ!コイコイ!」
と言っている。
すると5,6頭の赤牛が集まって来るでは無いか。
数頭の牛を柵があるとはいえこんなに至近距離でみることはそうあるものでは無い。
しばし牛達と世間話をして分かれた。
聖滝
井無田高原から清和村の文楽館や男成神社(ここは結局行き着けなかった)清和村の天文台(館長は同級生だが休館日だった)と行き山都町に出た。
山都町から吉無田高原の水源で一休みだ。
それから西原村、大津町に出て例の蕎麦屋で昼食をとり、無事息子達をヒコー場に送り届け、家に戻った。