打越通信

日記ふういろいろ

九州新幹線初乗車

2011-03-19 13:19:23 | 日記ふう
災害から9日目になった。
だんだんと被害の大きさが判明するにつけ、復興に向けての道路情報、物資の不足などの問題も起きている。
亡くなられた方々、被災に会われ避難所生活をされている方々を思うとなんともやりきれない思いだ。
そんな中、気仙沼で若い男性が9日ぶりに救出されたというニュースが出た。
懸命に救出作業をされている自衛隊、消防、ボランティアの方々には明るいニュースだろう。
仕事場でも福島第一原発の話や、小沢一郎が行方不明になったなど、話がどこまでホントなのだろうかと色々と推測の話が出ている。
そんな状況の中、何を書いたらいいのかわからない。
飯を食いに行ったとか、温泉に行ったとか、そんなのんきな事を書くわけにはいかない。
したがってここ数日の近況を報告することにする。
今月15日から博多応援のため泊まりがけで仕事に出かけた。
まあこれも復興支援のようなものだ。



朝7時すぎに家を出て、熊本駅まで妻に送ってもらった。



初めての九州新幹線乗車だ。
真新しい駅に入ると、切符売り場で博多2枚切符を買った。
改札を抜けてホームに上がると結構な人たちで混み合っていた。



7時43分発のみずほに乗り込む。
今までは外見だけだったが、初めて車内に入る。



真新しい空間がそこにあった。



列車はゆっくりと動き出し、高架の上の車窓からは熊本市内が見えた。



新玉名、新大牟田など通過駅を進み久留米。
ここもあっという間に過ぎて、新鳥栖駅を過ぎてからかなり長いトンネルに入った。
トンネルを出ると下に車輛基地が見える、南福岡付近だ。
その間も下りの赤や薄緑の列車とすれ違っていたが、今度は青色の山陽新幹線とすれ違う。



窓の外には高層ビルが見え始め、列車は徐々にスピードを落とし博多駅に着いた。
8時17分着、約33分の出来事だった。

泊り込み

2011-03-18 07:40:07 | 日記ふう
実は3月15日より博多に泊り込みで仕事をしている。
初日はHさんと、次の日は同僚2人に腕を引かれて夜の街に、まったくもって終業時間になると皆さんソワソワしている。
やっと今日は解放されて帰って来たが、今度は娘が友達と食事だそうだ。
娘との夕食を楽しみにしていた事もありちょっと残念だ。
さてさて、3月のスケジュール表を見ると、きっと妻は手をたたいて喜ぶに違いない。
クーはポカーンとして、出勤、帰宅の時の大騒動が何で出来なのか、あとで思うかも知れない。
そして娘の煙たいような顔が目に浮かぶ。
今週末はいったんは帰って、来週は県南へ出て、月曜だけこちらにいて、ふたたび博多に連続となる。
このパターンはしばらくの間続きそうなのだ。
最速33分なので新幹線で通うことも考えたが、こういう時は仕事一本に考えた方が良いだろうと思う。
娘には悪いが、しばらくの間、娘のアパートにお世話になる。
娘が都合の悪い時はホテルを取るか、新幹線で通うことになる。
どうもホテルというのは嫌いなのだ、あの狭い空間に閉じ込められたような感じで、夜中に起きてしまうと、もう大変。
寝付かれないのだ。
そんな訳でblogタイトルとだんだんかけ離れていきますが、しばらくは博多の情報発信になるかも知れない(発信できる環境があれば)
このblogも交信(更新)が滞る可能性があるので、あらかじめお知らせなのだ。

4年目に突入

2011-03-17 07:42:18 | お知らせ
ブログを書き始めてまる3年が過ぎた。
最近は滞りも無く、次から次へといろいろな事がおきてくれる。
こんな低脳な頭で書く内容なので、まったくもって面白くも無いだろうし、くだらない内容が多いのは重々承知している。
やっとの事で世の中の情報についていってるつもりでも、はっと気づけば世の中はスマートホンはやりだったりする。
会社の連中のそのほとんどがスマートホンになっていて、自分だけ昔の方のケータイだったりするわけだ。
リレーつばめに思いをこめても、いまや新幹線の時代なのだ。
クルマについてもこれ良いクルマだねと思っていても、いまやハイブリッドや電気自動車の時代なのだ。
Windows2000になって、これ良いなと思っていたら、XPが登場し、やっと使い慣れたと思ったら、悪評高きVistになり、いまやWindows7の時代なのだ。
そんな時代の流れに完全ではないが、少し遅れ気味について行っているってところかな。
まあパソコンやケータイの場合は遅れ気味がちょうど良いと思っている、先走っても良い事は無いからだ。
そんな状態の心境ですが、いつまで続くかわかりませんが、今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。

デマに注意

2011-03-16 07:14:25 | ネット記事
地震発生から一週間経としている。
電力不足で首都圏では計画停電などで交通機関が混乱している。
今回の地震で原子力発電所の意外なもろさを実感したわけで、福島原発1号機と3号機は放射線漏れを出してしまった。
ドミノ倒しのように2号機と4号機も深刻な状態だ 。
原発が停まった影響で首都圏の電力供給不足が原因で計画停電を実施する。
そんな中、チェーンメールが流れている。
下記は先日ケータイに入ったチェーンメール、せっかく送って頂いたので掲載する。
==================================================================
■お願い■
関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西、九州電力からも送電を行うらしいです。

一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!

今日の電力消費量のピークは18~20時です。
ご飯を炊いたりする夕ご飯の支度は上記以外の時間帯にお願いします!
また家族全員で一つの部屋で過ごす等、各部屋の明かりを最小限に抑えて下さい。
各ご家庭でのご協力が必要です。できることから始めましょう

このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!
===================================================================
Subject: Fw:Fw2:できるだけ転送お願いします

■お願い■

関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、12日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西、九州電力からも送電を行うらしいです。

一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!

こんなことくらいしか、祈る以外の行動として出来ないです!

このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!
===================================================================
協力できる方がいらしたら、よろしくお願いしますm(__)m

転送していただけるだけでも助かります。


どうぞご協力をお願いいたします!!

自衛隊では支援物資を受け付けています。
各県の県庁が窓口です。

まだまだ不足しているそうです。
凍える寒さの中、空腹に耐えて救助を待っておられる方が沢山いらっしゃいます。
状況は、ニュースよりもさらに哀しい状況とのこと…。
現地の方は希望を持って頑張っておられます。
どうかお時間のある方、宜しくお願い致します。

募集品目とご注意頂きたいこと

・衣料、食料、電池、日用品(石鹸やティッシュなど)、ベビー用品を募集しています。
・食料は腐らないもの(レトルト、インスタント食品、栄養補助食品)など。
・特に毛布やカイロなどの暖を取れるものが助かります。
・衣料の場合はサイズごとにおまとめ頂き、分かるように明記ください。
・なるべく1つの段ボールには一種類の商品⇒仕分けの手間が減ります。
・重くなり過ぎない様に。
・「地震支援物資在中」とお書き添え下さい。

送付先

●宮城県県庁 ← 仙台あてはこちらへ
〒980-8570
仙台市青葉区本町3-8-1
[TEL]022-211-2111

●岩手県県庁
〒020-8570
盛岡市内丸10-1
[TEL]019-651-3111

●青森県県庁
〒030-8570
青森市長島1-1-1
[TEL]017-722-1111

●福島県県庁
〒960-8670
福島市杉妻町2-16
[TEL]024-521-1111

【その他全体の取組について】

防衛省 (代表)
03-5366-3111
===================================================================

以上がそのメール。
こんな混乱している時に、内容的には卑劣な内容ではないが、やっていることは卑劣な行為だと思う。

関西電力のお知らせ

Twiterでも流れている

話は変るが、妻がこんな事を言っていた。
ひとみさんが息子にメールを送るんだけど返事が来ないといっていた。
ひとみさんの息子は自衛隊員、ひょっとすると災害派遣に行っているのかも知れないということだった。
何にも出来ない私達に代わって次世代の人たちが活躍している。
そういえば、グッチの息子も自衛隊員だった。
デマを飛ばして喜んでる輩もいれば、復興のために尽力を尽くす人もいる。

九州新幹線全線開業

2011-03-15 06:45:46 | 熊本の風景
ホントは題の前に、祝!と入れたいのだが、今回の東北地方太平洋沖地震を考えるとそうはいかない。
全線開業の日は年に2回の土曜出社の日だった。
妻と昼休みにランチでも食べようと約束していたのだ。
昼前に妻がクルマで迎に来てくれた。
そのまま熊本駅の新幹線口の駐車場にクルマを入れて、駅ビルに入った。



さっそくパンフレットを見てみると、在来線の駅舎が東館、そして新幹線側が西館となっていた。
構内に入り、さっそく入場券を買って改札をくぐり、ホームに上がってみた。



たくさんの人たちがホームにいたが、ほとんどが見学者だろう。
そうするうちに上り線にさくらが入って来た、と同時に鹿児島中央行きのさくらも入って来た。



停車時間2,3分だろうか、これまた同時に出発して行った。
博多と鹿児島の両方を約40分で結ぶ、新しい時代の幕開けを実感した瞬間だった。
ホームから降りて改札を抜けると、植木町の温泉女将の会の方々がパンフレットを持って出迎えてくれた。



新しい駅舎を散策していると、地元熊本市出身の漫画家のコーナーが設けられていた。
くまモンを探したが今日はどうもお休みのようで、会うことは出来なかった。
さっそく近々、利用しなければならないので、駅員の方に東館(白川口)への行き方を教えていただいた。
どうも地下通路は在来線への乗換えと、一般に通れる地下通路に分かれているようで、



さっそく一般の地下通路を通ってみた。
地下通路をエスカレータで上がっていくと、在来線の改札の前に出たのだ。
地元テレビ局がカメラを持って、取材に来ていた。



東北地方太平洋沖地震の津波の影響で三角(みすみ)線の運転見合わせの取材をしていた。
ふたたび新幹線口に戻り、同時にオープンしたフレスタをのぞいてみた。



26のお土産屋や和菓子や洋菓子の店、からし蓮根や馬刺しの店、カフェや洋食や和食、ラーメン屋などを見てまわった。



目的はランチなので、洋食の店に入って、と馬(うま)とカレーなるモノを食った。



ランチを食ってふたたび西口を出ると、そこには水の宝庫の熊本らしく、湧き出る水を思わせるモニュメントと雲を思わせる天井と熊本駅のプレートが見える写真を一枚撮った。
さあ!新しい時代の幕が降りた。

リレーつばめラストラン

2011-03-14 08:46:02 | 日記ふう
ホームはダイヤの乱れで、人で埋め尽くされていた。
それでも有明が2本出発するとぐっと人が少なくなる。
しかし在来線の普通とか快速の遅れがひどい、特急列車を優先に出発させているようだ。
2本目の有明を見送ったら、6時14分初のリレーつばめの案内が出た。
今日は金曜日という事もあり、またラストランという事も重なってかなり混雑する事は予想していた。
6号車の案内板の先頭に並んだ。



リレーつばめが入って来た、一番に乗り込み11Aの席に座った。
私のラストランのリレーつばめは6時14分発の23号の6号車11Aに決まった。
混雑は予想していたが割りとすんなりと座席確保は出来たのだが、やはり立ち人が数名通路にいる。
デッキも一杯なのだろう。
定刻を2分遅れで発車した。
しかし、前を走る列車との関係なのだろうか、動いては停まりの繰り返し、何とも歯切れの悪い走行だった。
鳥栖を過ぎると遅れを取り戻すかの様な快調な走りだった。



大牟田を過ぎると、ラストランを迎える放送が始まった。
平成4年7月から18年と8ヶ月、リレーつばめの歴史、それに重なるように私とリレーつばめの歴史もある。
何回乗車したのだろう、数十回では無い、数百回、もうひとつ桁が違うのかも知れない。
大牟田を出て上熊本駅を過ぎると、何か胸にこみ上げてくるのもがあった。
過ぎ去っていく街並みを眺め、もうこんな雰囲気のリレーつばめには乗れないと思うと・・・。



熊本駅には定刻より13分遅れで到着した。



しばらく、リレーつばめを眺めて何枚か写真を撮った。



私にとって最後の列車を見送って、駅の構内を出て歩いていると、自然に涙が溢れてきた。
ビジネスでの利用が圧倒的に多いのだが、歓送迎会や結婚式、個人的な旅行など、
個人的にも思い出が多い。

色々な思い出があり、涙が溢れて人に見られないように下を向いて歩いた。
涙がコートや靴に落ちた。
ひとつの時代が終わった、明日からまた新しい時代が始まる。

カウントダウン0

2011-03-13 06:54:10 | 日記ふう
朝7時前に家を出て、会社の駐車場にクルマを置き、てくてく歩いて熊本駅に向かった。



駅前の電車通りは仕切りのガードレールが取り払われて、きれいな片道2車線の道路になっていた。
自動発券機で熊本、博多間の2枚切符を買った。



切符には有効期限が3月11日から4月10日までと書いてあった。



今日はリレーつばめのラストランの日、7時14分のリレーつばめ30号で博多に向かった。
私にとってラストランになるひとつ前の列車になる。
私はいつも進行方向に向かって左側の席に乗るようにしている。



朝は朝日を、夕方は夕日を避けるためなのだ。
この列車も7両編成に4両編成を熊本駅で接続して運行されている。
熊本駅では少し空席があったが久留米を過ぎる頃には満席になった。
車内アナウンスでラストランになるリレーつばめの歴史について女性乗務員がアナウンスしていた。



9時42分定刻通り博多駅に着いた。
仕事場には私用のパソコンが用意されていた。
昼飯を近くの喫茶店に食いに行って、午後からの仕事を片付けていると、出先から帰って来た同僚が、鹿児島本線は弥生が丘の駅で人身事故が起きダイヤが大幅に遅れていると言っていた。
そして16時近くに別の同僚が、東北地方で大きな地震が起きていると言った。
ちょうど茨城の客とリモートサポートしていて、電話先で壁が落ちるとか、キャビネットが倒れるだとか言っていると言う。
就業時間を少し過ぎた17時半、博多駅に向かった。



山陽新幹線は運転見合わせ、再開しても新大阪間の折り返し運転の張り紙があった。



鹿児島本線はダイヤの乱れが表示してあった。
それでも改札をくぐりホームに立つと有明が到着していて、大勢の客が乗り込んでいた。
さあ、私にとってラストランになるリレーつばめを待つことにする。

悲惨な光景

2011-03-12 08:55:19 | 日記ふう
福岡出張から帰って来て、テレビのニュースを見てビックリ、津波が家やクルマを飲み込んでいく、悲惨な光景が写しだされていて唖然となった。
博多駅でも山陽新幹線が運転見合わせになっていて、東北地方で地震が起きていたことは知っていたが、こんなに被害が大きいとは知らなかった。
今日の九州新幹線全線開業のイベントもすべて中止になったし、明日の天草パールラインマラソンも中止になった。
被害にあわれた方々を思い、今日は自粛する事にする。

開業前の熊本駅

2011-03-11 06:19:00 | 写真投稿
在来線の熊本駅に入ると、黒い煙が見えた。



在来線の0番B乗り場に行くと、SL人吉号が入線していた。
ピカピカに黒光している、車両基地で整備があがったばかりのようだ。
プレートには「58654」と書かれ、ジーゼル機関車で引かれての入線のようだ。



蒸気機関車の周りには整備の方々だろうか、何人もの人たちが点検をされていた。



運転席には運転手がおり、石炭を炉の中に入れており、今から試運転なのだろうか。
もうひとつの観光列車、「あそぼーい!」は車両の準備が間に合わず、6月からの運行になるそうだ。

そして帰りの熊本駅、ダイヤ改正の準備が始まっていた。



新しい時刻表が取り付けられ、貼紙が貼ってあった。
駅のホームや構内ではエレベータの調整や電気系統の確認作業なのだろうか、あわただしい雰囲気だった。





駅の外に出ると、雨よけの通路が設けられていて、植樹も終わったようで、花が咲いていた。
後ろを歩いていた関西風の親父が
「もう3月も9日やのに、まだ突貫工事やっとるわ、間に合うんかいな」
と言っていた。



他県の人から見てもそう映るんだ、と思いながら歩いていると、道路標識が出ていた。
右側が熊本駅なのだが、左側に熊本駅の文字が見えた。
そうか、新幹線側の駅を指していたのだ。

カウントダウン2

2011-03-10 06:44:46 | 日記ふう
てくてく歩いて熊本駅に向かった。
今日も北九州行きなのだ。
駅の改札を抜けると熊本用のカウントダウンボードがある。
博多駅は西郷どんのカウントダウンボードだが、熊本は西郷どんにクレームがつきくまモンのボードに変わったのだ。
そんなカウントダウンの日付があと2日と言っていた。
全線開業まで3日を切ったのだ、そしてリレーつばめのラストランまで2日を切った事を伝えている。



9時28分発のリレーつばめ38号に乗り込み博多を目指す。
この時間帯の列車はそんなに混まないのに、今日は異常に多いのだ。



11時前に博多駅に着いた。



博多駅の1番ホームにおもちゃ館みたいなのが出来ている、今日は駅関係者も多数参加して開所式でもあるのだろうか。



NHKを始めテレビ局の取材陣が多数押し寄せていた。
同僚からケータイに連絡があり、急いで新幹線改札まえまで行く。
合流して山陽新幹線ののぞみに乗り込む、しかしここも自由席は満席に近い状態だった。
博多駅もコンコースも人で溢れていた。
3月、卒業や異動の時期ではあるが、その影響なのだろうか。
小倉には11時半、少し早いが同僚と2人、小倉食堂で昼飯を食う。





カレーを頼んで食っていると、さらに同僚が2人合流した。
彼らは今から別のところに入る予定、飯を食って彼らと別れ、在来線乗り場に向かい、九州の北の最果ての海峡の街へ。
もう3月だというのに、冷たい風が吹き荒れていた。



仕事は4時過ぎに終わり、小倉に向かう、再びのぞみで博多に戻り、17時14分発のリレーつばめ21号で熊本へ。



この列車も11両編成で熊本駅で後ろ4両を切り離して、新八代に出て行ってしまった。
熊本駅も、新幹線の熊本駅も、いよいよといった雰囲気が漂っていた。
地下通路のエレベータの調整や新しいダイヤの切り替えの準備を行っていたのだ。

続・外泊

2011-03-09 07:02:45 | 日記ふう
話は飛んでしまうが、父の外泊の続きだ。
翌朝、父は興奮してかあまり寝れなかったようだ、同じく母もそうだったようで、妻が用意した遅めの朝食だった。
それでも食欲はあり、朝食後は新聞を隅から隅まで読んでいた。
11時頃から母に頼まれて、妻と買い物に出た。
ミスドでコーヒーを飲んで、昼食と夕食の食材を買って、クルマのガソリンをいれ、タイヤの空気圧を見てもらった。
母もクルマに疎いのだろう、4本全部のタイヤの空気圧が極端に少なくなっていた。
家に帰り、昼食の準備。



買ってきた皿うどんを皿にもって、ホタテやえび、野菜をいためて、モロミを溶いて出来上がり。



父もあっという間に食べつくした。



時間があったので母の大好物のいりこの甘辛煮を、妻が作った。
母も妻が作るのを真剣な顔で見ていた。



いりこを油で揚げて、醤油と砂糖でまぶして出来上がり。
父が施設に帰る時間になり、雨も降っているので介護用のタクシーを呼んだ。
今回、家に帰すのに一番気になっていたのは、玄関をどうやって上げるかだった。



母が隣から、コンパネで出来たスロープを借りてきた。
これに車椅子を降りるときは後ろ向きにして降ろす。
このくらいの段差であれば全然問題なく降ろせた。
しかしハンドブレーキはあったほうが便利なのは間違いない。
介護タクシーは車椅子でそのまま乗れるので楽ではある。



しかし介護保険はきかないので通常の料金になる。
病院まで送り届けて、熊本に向かった。

カウントダウン4

2011-03-08 07:08:01 | 日記ふう
急遽、博多に行かなければならなくなった。
上熊本駅7時50分のリレーつばめに乗り込む。
もう一週間も切り、4日もすればこのリレーつばめともお別れなのだ。



朝早いので途中の車窓からは霧がかかっていた。



朝バタバタと出てきたので当然、妻は布団の中、駅のキヨスクでサンドイッチとコーンスープを買って、車窓を眺めながらの朝食だった。
北九州に早めに行かなければならない場合は、いつもこんなスタイルだった。
テーブルをあけると九州内の特急列車や観光列車の案内板がある。
もう無くなってしまった列車のあるが、このリレーつばめも無くなってしまう。
今週の金曜日がラストランになる。



博多駅に着くと、異常に人が多かった。
3月3日の駅ビル開業の影響なのだろうか、人混みを抜けて仕事場に向かった。



打ち合わせを終えて、博多駅から14時30分のリーレーつばめに乗った。
客室乗務員のオネーサンが、リレーつばめのラストランのプレートを持って、カメラを持っている人に記念撮影のサービスをしていた。
当然手を挙げて、ラストランの記念写真を撮ってもらった。
上熊本には4時頃だった、てくてくと駐車場へ行く。
そういえばこの駐車場利用も最後になるのかも知れない、これにも少し触れておこう。
ここの駐車場は、入るときに発券ボタンを押して駐車券をもらう。
駅の改札で切符と一緒にその駐車券を渡すと、機械でパンチを入れてくれる。
そうすると一日の利用料が最大500円になるのだ。
連泊時はどうなるのかわからないが、そんな仕組みになっている。
精算時に領収をもらい、会社で精算するのだ。
こんな事ももうなくなるのだろうか、ここにクルマを駐車して通勤していた人たちはいったいどうするのだろうか。

外泊

2011-03-07 06:48:28 | 日記ふう
土曜日は朝7時前に起きて、妻とクーを連れて実家に帰った。
父が入所して初めて外泊をする。
途中で朝飯を食って実家には9時半頃着いた。
母も準備をしていて、着くなりさっそく母のクルマで海の見える施設に行く。
ちょうど入所の時、手続き関係を説明してくれたケアマネージャーがいて、ベッドから車椅子に乗せてくれた。
エレベータで1階まで降り、さあクルマの助手席までの移動だ。
さすがのケアマネさんでも出来ないようで、理学療法士の先生を呼びに行かれた。
しばらくして先生が来られ、車椅子に乗っている父を自分の体に抱きつかせて、軽々と抱えてしまった。
「頭に気を付けてください」
と乗り込む時の父の頭を注意している。
あっという間に助手席に座りこんだ父も久しぶりの外出でうれしいのだろう。
しかし私に出来るだろうか、不安になってきた。

途中、市内で買い物をして実家に戻ってきたのは正午前だった。
クルマから降りるのは先生が言っていたようにそれほど難しくはない。
しかしこの車椅子は介護用の車椅子では無いので、ハンドブレーキもついてなく、ひじ置きの部分も取り外しも出来ない。
だからスロープや、ベッドから車椅子、車椅子からベッドといった移動のとき不便なのだ。
それでも何とか家の中に入り、さっそく祖父母の仏壇の前に連れて行った。
父も久々といった感じで、祖父母の遺影を眺めていた。
テーブルに着き、さあ昼食の準備となる。
母と妻が私を見る。
アレを作れと、目で訴えている。
仕方なく買ってきたばかりの鳥のもも肉のパックを空け、取り出して塩コショウをふりかけて焼きだした。
横で妻が人参とジャガイモの皮をむいて、ブロッコリを切って卵と一緒に鍋にかけていた。



約20分、例のアレが4人分出来上がった。
ビールを開けて父に注いでやると嬉しそうに飲んだ。
父が一口、口にすると、旨い、旨いと食っていた。



小食の母も、大食いの妻もやはり同じだった。
みんなで旨い旨いであっという間に完食。
そんな姿を見て、なんともうれしいひと時だった。
それから父も母と妻とおしゃべりだった。
私は庭に出て芝の手入れをした。





庭には蛇の目エリカと沈丁花が咲いていた。

3歳児殺人事件

2011-03-06 19:03:33 | ネット記事
金曜日の会社からの帰り道、カーラジオで
「熊本市内のスパーで3歳児が殺害されて、大学生の犯人が逮捕されました」
というニュースを聞いた。
家に帰ると妻が
「知ってるね。そこのエースだそうよ。」
と言う。
いつも行くスーパーのひとつなのだ、だたここは客が多くて駐車場がなかなか空いていないので、近頃は違う店に行っている。
すぐにテレビをつけ、ニュースを見ると画面にがそのスーパーの画像が流れていた。
事件は3月3日の夜の出来事だったようで、トイレで犯行が行われていたとの事を告げていた。
そういえばここのトイレは、売り場の反対側の一番奥まったところにある。
何度か利用して気づいてはいたが、売り場の混雑と比べ、人気の無いところなのだ。
翌朝、新聞を見ていると、事件の内容が詳しく書いてあった。
そしてその記事の下に、行方不明で誘拐の可能性もあるので報道各社は報道規制をしていたそうだ。
しかしツイッターでその情報がネット上に流れ、少なくとも数千人の人が見ていたという。
人命にかかわる情報を、井戸端会議のような感覚で流してしまう、なんともやりきれないのだ。

熊本駅前工事

2011-03-06 08:48:38 | 写真投稿
昼の散歩でぶらぶらと駅周辺を散歩した。
相も変らず「ザ・熊本タワー」は成長していた。
もう32階くらいまでだろうか伸びていた、あと3階で35階だ、頑張れ。



そして下を見ると、これが何であるのかわからないが、歴史的な建造物も新しくなっていた。



そして駅前のビルは完全に取り壊しが終了していた。


駅前の風景、ひところの工事の喧騒とした状況からすると、街路樹も植樹され、なんとなく落ち着いてきたように見えた。



市の情報交流施設と商業施設による5階建ての公益・商業棟も工事用のシートがはがされ外観を表していた。
さあ、新幹線開業まであと一週間、駅では最後の総仕上げが行われている。



てくてくと歩いていると宮崎交通のこんなバスと出合った。