打越通信

日記ふういろいろ

水辺プラザ

2015-10-08 16:49:38 | 熊本の風景
昔風の水辺の風景を求め山鹿方面に向った。
菊地山鹿方面には一級河川の菊地川が流れている。
その支流のひとつに道の駅「水辺プラザかもと」がある。
物産館にレストラン、温泉施設や宿泊施設まである道の駅というより本格的な総合施設のようなところで、上内田川沿いに沿って建っている。
今や川という川は水害による氾濫対策のため河川工事が進められコンクリートで固められている。
しかしここは自然の護岸で草や水草が水面まで続いている、昔ながらの風景がある。



今の季節はススキやコスモス、春には桜や春の花が咲きほろこぶ自然がある。
その川沿いには散歩道があり河口に下れば鯉が住む池がある。
遠目には黒い魚が泳いでいるなくらいしか思ってなかったが、水辺に行くといるわいるわ大きな鯉がウヨウヨといた。
散歩道に鯉のえさが売ってあり一袋買って妻に渡すとひつ粒池に投げ込んでいた。
すると遠くにいた鯉もいっせに集まりだし小川の水は黒一色に染まる。



餌を投げ込むたびに水中から鯉が口をあけて寄って来る。
鯉の下にはニジマスなのかウグイなのか小型の魚がこれまたウヨウヨいる。
餌を投げ込むと鯉の動きが遅いため下から小魚が一斉にえさを目がけ横取りしていく。
その速さといったら一瞬なのだ。
鯉たちはあいも変わらず口をあけるだけで動きが鈍い。
口元にあるえささえ横取りされてしまうのだ。
釣りで言うところの入れ食いの状態だ。
こんなとき浮きがスーッと一気に沈むのは小魚たちで、ゆっくりと沈む時は大物のときだ。
目の前の様子を見ているとその様子が良くわかる。
鯉の群れの中になまずも居た。



なんともユニークな面構え、コイツも動きは鈍いようだ。
魚たちの食欲のすごさに感心しながらレストランに向う。
ここは田舎風レストランでバイキング方式の食堂だ。



妻の目的地はここなのだ。
いつも満員で入れないが今日は平日の午後も遅い時間帯。
それでも人は多く賑わっていた。
お一人1,000円(+税)なので手頃な値段で料理も上手いとあってネットでも人気らしい。



私は一皿に山盛りだったけど妻はデザートを含め3皿分を平らげたのだ。
食欲の秋、鯉も人も食うことに夢中だ。
そういう私も去年と違い食欲が戻ってきた。
食って食って体重を増やし体力をつけないといけないな。

電信柱

2015-10-06 18:16:01 | people
ラジオ体操のあとその場に残ってストレッチをすることにした。
脚のストレッチから腕、特に右手のストレッチを入念にする。
ある日ストレッチをしているとおじいさんから声をかけられた。
手帳に入れる名刺大のカレンダーをくれるという。
カレンダーの裏には西暦と昭和平成の対比表がついている。
おじいさんの生まれた年を聞くと昭和5年という。
今年は昭和で言うと90年になるわけで85歳になられるわけだ。
坪井(熊本市内より)から毎日色んなところを自転車で散歩されているという。
遠くは植木辺りまで脚を伸ばすといわれる。
自転車を見ると、なんと電動アシスト付きの自転車だ。
話は進み、14歳から三菱関係の会社で仕事をしていたそうだ。
年齢から考えると第二次世界大戦の終わりから終戦にかけての話になる。
社会に出て先ずはクルマの運転免許を取らされたという。
仕事は何かというと毎日毎日電信柱を建てて回ることだったそうだ。
熊本市内もまだ電気や電話の普及が遅れていたのだろう。
そういう仕事をただひたすらしてこられたのだろう。
社会のインフラに無くてはならない電信柱、今では地中化が進み日本国内の主要都市の市街地は電信柱を見ない。
NTTの人間から聞いた話だと電信柱にはNTT(通信)が立てる柱と電力会社が建てるものとがあるそうで1本1本に番号がついていると聞いた事がある。
いったい日本国内に何万本の電信柱があるのだろう。
気の遠くなるような話だ。



そういえば我が団地でも電信柱の建替えが行われている。
古い柱とすぐ横に新しい柱が立っている。
しばらくは両方経てて色んな装置の付け替えを行っているようだ。
電信柱を見てみると昭和62年の柱が交換対象のようだ。
台風や地震などによる耐用年数など決まっているのだろう。



交換が済んだ電柱はトラックで運ばれた行くのだが団地内をギリギリで切り返し運んでいる。



熊本電鉄の柱は未だに木の柱だ。
大丈夫だろうかと思うけど、これまたレトロな感じで良いではないか。

準備

2015-10-05 17:01:37 | 日記ふう
娘が休みのたびに遊びに来る。
昔のアルバムから幼い頃の写真を持ってくる。
私はそれをプリンターからスキャンする。



プリンターからスキャンするじゃなくて、プリンターにスキャナーがついているのでそれでスキャンするわけだ。
取り込んだ写真をフォトレタッチソフトでコントラストやシャープネスを調整する。
式のプロフィールビデオの素材を作っている。
取り込んだ写真に名前を付け、テキストで説明文を書き込み、写真と同じ名前のテキストを作る。
それを業者に渡しプロフィールのビデオを作製してもらうのだ。
妻と娘で私が取り込んだ写真を見ながら説明文を作成していく。
それが終わると曲の選定を行っていく。
結婚式ガイダンスのようなサイトやYoutubeを見ながら曲を選定していく。
同時にタブレットで曲の和訳を見つけながら内容を確認するのだ。
そんな作業をしながらではあるが式のオプションの話になる。
ビデオや写真などもさまざまなオプションがあり、値段もかなり高くなる。
前撮りやエンドロール、スナップなどさまざまなサービスとともに値段が高くなる。
彼女としては今回は身内だけの結婚式なので最低限で済ませたいようだ。



しかし、そうは行くまいと思いビデオを買った。
今や4Kビデオが出てきて売り場の中心は4K、しかし値段も倍近くするし、記録媒体も高画質になればそれだけ容量が必要になってくる。
パソコンに取り入れてからの編集も重たくなる。
そのうち4Kビデオも今のハイビジョン(2K)の値段まで落ちてくることは間違いない。
そのとき4Kを買えばいい事で今回はハイビジョンを買った。
動画はあまり興味が無く、今回初めて買った。
式では固定カメラとして使用する予定だ。
そのうち新婚旅行や子供の記録として使えるだろう。



そしてカメラ用のストロボだ。
これまた色々タイプがあるが軽くて使いやすさで選んだ。
しかしこれが意外と重く300gある。



EOS5DⅡとレンズにこのストロボをセットするとかなりの重さになる。
さてこのカメラを撮影してもらう人選もしなければならない。

しめ縄作り

2015-10-04 21:44:50 | イベント
町内会の行事も月ごとにあっという間に埋まっていく。
埋まっていくのは良いのだが、何をするにも準備や実際の作業が必要になってくる。
あれもしよう、これもしようとぶち上げるのは良いが実行が伴わなくなってきている。
町内役員の高齢化に伴う健康状態も一つにはある(私も右手の痛みを抱えている)。
実際行事をやろうとすると役員が中心(役員だけで)になってやる、これにも大きな問題がような気がする。
もっと町内に働きかけを行い参加人員を募る運動に力を入れなければならないが、またそれも難しい。
今日の行事は打越神社の鳥居のしめ縄を作り新しいしめ縄と交換する作業だ。
これは町内会行事とは少し違うが宮総代を中心とした氏子が中心となって行う。



藁から手で編んで(綯(な)う)しめ縄を作る。
神社にはそれに伴う道具もあり、これを見ただけではどうやって使うのかわからないものもある。
しめ縄は3人それぞれに藁を編んでいき3本の縄をさらに編んで作る。
それを編む人、編む人に藁の束を整えて渡す人、編んだしめ縄を木にぶら下げて引き上げて行く人など等人数が必要になる。
この日は氏子の人たちが7,8名参加し子ども会の親子が数組参加があった。
しめ縄は最初は細くしだいに大きく編みそして細く編んでいく。
編み方は昔ながらの編み方があり、先ずは大人たちが手本を編み、子供たちに教えていく。



子供たちも熱心に参加してくれるので宮総代のヨネさんも真剣な表情で教えている。



なんとか皆でしめ縄を編み、次は形を整えるためハサミで飛び出した藁を切っていく。
形が整って出来上がりとなる。



父兄の皆さんのため記念撮影となる。



編み終えて鳥居まで運ぶ。
大人が古い去年のしめ縄を外し新しい縄をかける。



その間にヨネさんがふさ(というのか?)を3本作る。
そこで先ほどの道具が登場する。



新しいしめ縄が出来上がり参加した子供たちとで記念写真を撮る。
心配していた参加者不足の問題も無く、今年のしめ縄作りも無事終了する事ができた。
宮総代のヨネさんも子供たちの参加にえらく上機嫌だったようだ。

本妙寺

2015-10-03 17:21:47 | 熊本の風景
今日は朝から熟睡で目が覚めたのは7時過ぎだった。
昨夜は飲み会(食事会)などあり帰宅時間が遅かったせいもある。
久しぶりに早朝散歩とラジオ体操を休んでしまった。
それにしても寒い朝だった。
午前中に息子が家に立ち寄り、妹が来てお茶を一杯飲んで帰った。
運動のため午後から金峰山に登ろうかと思ったが家を出るのが遅かった。



クルマで15分くらいの所にある本妙寺に向かった。
寺の途中にある駐車場にクルマを置き石段を登る。
秋晴れの良い天気だ。
子供が小さかった頃よく子供たちを連れ遊びに来たことを思い出す。



いつもは平坦な道を歩くが階段登りはさすがに疲れる。
本妙寺に着きお参りをする。
ろうそくの火が一本二本とついており線香の香りがする。
しばし境内を見て回る。
清正の命日である7月24日の前夜は頓写会(とんしゃえ)が行われ、参道には出店が並び多くの人たちで賑わう。



本妙寺の裏に回ると急勾配の石段が現れる。
その石段を一歩ずつ登る。
さすがに足が痛くなり踊り場で休みながら上る。
やはり体力と持久力がかなり落ちていることを実感する。
若者が数名いかにもスポーツマンといった服装で上り降りを繰り返していた。



息を切らせて頂上に着くと加藤清正公の銅像が建っている。
本妙寺はかつて肥後藩主の加藤清正公の菩提寺になっている。



銅像が建っている場所からは熊本市内が一望でき目の前には熊本城が見える。
その横の藤崎台野球場では秋の高校野球の試合があっているようで吹奏楽部の応援の音が聞こえる。
透き通った空気と青い空、吹奏楽部の音楽と新幹線が高架を通る音がさわやかな風に乗って聞こえてくる。

手の痛み4

2015-10-02 21:49:37 | 日記ふう
雨や健康診断などあり2日ぶりの朝の散歩だ。
ひさしぶりに爽快な朝を迎えた。

今までもゴルフの練習などで腱鞘炎なるものは何回も経験しているし四十肩や五十肩も経験している。
しかし今回の右手の痛みはそれ以上のことのようだ。
朝起きると右手が肩のところから重く痛い感じで、おまけに夜中に痛みで何度も起きる。
睡眠時間的には十分にとっているようにしているのだが眠りが浅いのか一日中眠気との戦いなのだ。
痛みが脳に刻み込まれている感じだ。
今日は珍しく夜中に起きることは無く、目が覚め時計を見るときっかり5時だった。

嵐のような天気の昨日、ブログにコメントを頂いたnojinojiさんに朝から電話をした。
午後1時に予約がとれたので出かけた。
家から歩いて10分くらいのところで、いつも朝の散歩で通っているところなので気楽なものだ。
しかし鍼というの初めての経験だしブログでしか知らない方なので半分は恐る恐るといった気分だった。
チャイムを押し診療所に入ると綺麗なベッドが2つあり、先ずは受付表を書いた。
症状とブログの件を話すとわかっておられるようでこういう時はありがたいものだ。
1時間ばかり入念にマッサージをしていただき手の状況を確認されたようだった。
マッサージもツボを的確に確認されたようで、痛いけど気持ち良いといった感じだ。
マッサージだけで十分に軽くなった感じだったが、いよいよ鍼治療になった。
最初は痛みが無い左側から始まった(たぶん初めてという事でそのように・・・)。
いよいよ痛みがある右側だった。
痛いことろにドンピシャリと言う感じで、痛いところが熱くなるような感じだった。
あまりに暴れるのでnojinojiさんも大変だったろうと思う。
冷や汗が出ているようでそれで気を使っていただき急所だけで治療は終わった。
かなり筋肉がこう着しかかっているようで、なるべく動かすようにと言われた。
最後に鍼を見せてもらったが数ミクロンといえるかなり細い鍼だった。
数センチと入れていないし、まだ数箇所打ちたかったが私の状況(痛がる)をみて最小限のツボだけだったようだ。



そんな感じで今朝を迎えたわけだ。
痛みはそう簡単には取れないが、重い痛みというのかが軽くなったようだ。
久しぶりの熟睡がそれを語っているようだ。

岩坂コスモスの丘

2015-10-01 11:08:59 | 季節の花
熊本空港の滑走路の延長線に当たるところにコスモス畑がある。
確か去年来た思い出がある。
てっきり西原村のコスモス畑と思っていたが大津町だった。
正式には<岩坂コスモスの丘>と言うらしい。
道路にクルマを止め、最初に顔を見せたのはなんとひまわりだった。
それも広大な畑に何本ものひまわりの花だ。



よく見るとそれぞれに変わった顔をしている。



まるでハロウィンだ。
こんな顔したひまわりが延々と咲いていた。



その先にコスモスたちが秋の風に揺られながら咲いている。





秋の陽気につられふらふらとやって来た。
右手の痛みも少し和らぎ、液晶が割れてしまったEOS6Dが撮影できるのか試し撮りだ。
以外と風が強く、阿蘇方面を見るが噴火の様子も薄い雲で確認できない。
熊本空港の近くとあってヒコーキがやたらと飛んでいる。
気のせいかかすかに硫黄の臭いがするが噴煙なのだろうか?

ひまわりとコスモスの競演には感動した。