あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

父の誕生日に「篤姫」を

2008-12-15 23:44:24 | Weblog
今日は父の誕生日。
1899年、明治32年生まれである。
元気であれば何歳なのか・・・。思い出すのは父のかっこいい姿と優しさである。
朝、起きて、父の写真、飾っているタンスの上を拭いて、手を合わす。
ロサンゼルスの娘の分も。
父ちゃん、天国で母ちゃんやご先祖様と楽しく過ごしてね。いつも見守っていてくださってありがとう。また、守ってくださいね。

父の祖父か、その前なのか、寺小屋の先生をしていたと聞いたことがある。
昨日で「篤姫」が終わったけど、父が元気であれば「篤姫」の話をどんなに喜んだろうと思う。
岩本村は幼いときに私も何回も行ったし、親戚もたくさんいる。
父は「篤姫」について何か知っていただろうか。
あるいは身近な誰かからか話を聞いたことがあるかもしれないと思うし、ご先祖様の誰かが篤姫が岩本村に来ているときに近くにいたかと思うと胸が震えるほどに嬉しい。

また、母は、西郷隆盛のお孫さんと学んだという。
母の方の私の祖父、祖母も、明治の生まれ。母方は士族で西郷屋敷の近く。
薩英戦争の何かしら記念碑らしきもの、何かが近くにあったなあ・・・。
それこそ、ご先祖様の誰かがあの頃の志士たちとかかわりがあったのではないかと思うと、これまた嬉しい。
薩摩の志士たちの活躍、西郷、大久保、小松。小松が長く生きていたらば、また、歴史は変わっていただろうと思う。

「篤姫」が終わったことが今、淋しい。
夫もひじょうによく見た番組だった。
今一度、歴史を、自分のご先祖様のことを調べてみたいと思った。

50回見たテレビ番組は初めてである。だいたい見たという記憶は大河なんてかつての秀吉と西郷隆盛の話ぐらいだから。それも全回見たわけではなかったかもしれない。少なくともこんなに夢中に、感慨深く見たのは・・・。
宮尾登美子さんの原作、田渕久美子さんの脚本、佐藤峰世さんの演出、そして宮崎あおいさん、堺さん、瑛太さん・・・他の俳優さん方々と本当にすばらしかった。多くの方のおかげで、いい作品ができたと思う。
人の心に残る番組だった。一つひとつの言葉が思い出される。
「役割」「一方のみを聞いて沙汰するな」「いくら考えても結論が出なかったら考えることはやめて、感じるままに」心に響く言葉が随所随所にあった。
「誰しも果たすべき何かを持って生まれてくる」・・・いいなあ。

何よりも一番は「篤姫」という人がいたということだけど。
わが薩摩からそんな方が出られたことを本当に誇りに思う。
篤姫よ、ありがとう。
私達に篤姫の生き方を上手に伝えてくださった宮崎あおいさん、スタッフの方々、本当にありがとう。
どんなに元気をもらったことか。
私も薩摩の女性らしく、凛として生きたい。


創作日記 
少し書く。先が続かないけどね。
このコーナーは今日で終わりにします。これからは、普通にブログの中に書きますね。



コメント
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