なんと、歌っていいんだろう。
流れる曲が心に染みた。
昭和30年代の歌だったのか。
それも吉田正さん作曲の歌だったんだとあらためて思う。
今夜見たテレビの音楽番組です。
誰よりも君を愛す…か。
いいなあ。
そんな人いないなあと思う。
う~ん…
ここで、夫といわないといけないのかなあ…なんて…ねっ。
有楽町で会いましょう
美しい十代
霧の中の少女
おまえに
再会
東京ナイト・クラブ
傷だらけの人生
異国の丘
いつでも夢を
どれもこれも懐かしい。
三田明の美しい十代はよく歌ったし、久保浩さんなんて、本当に久しぶりで、お元気だったのねえと思う。
フランク永井、松尾和子のムード音楽大好きだった。
母が懐メロを楽しそうに聞いているのを見て「そんなものかな」と思っていたけど、今の私が全く母の姿だ。
吉田正さんが歌った「異国の丘」
涙を誘う。
恵庭市のDさんのお祖父様のシベリア抑留を想う。
どんなに辛かったことでしょう。
井上こみち先生の童話「海を追ってきたクロ」をも思い出す。
歌っていいなあ。
短い歌詞、リズム、メロディで3分から5分で人の心を温かくする。
いろんなそのときの自分の「絵」が浮かぶ。
そして、元気が出ます。
ありがとう。吉田正さん。
今日が命日だとのこと…やすらかに。
そして、作詞家の佐伯孝夫さん、岩谷時子さんもいいな。
わが家のお花です。
帰宅して写しました。
私のブログ名「あじさい物語」のあじさいが少し色づきました。
そして、なんとゆりの花が咲きました。ふるさと指宿からもってきたものです。
貴重な1本。向きを変えて撮りました。
今朝早く、昨日、買ってきたマリーゴールドや日々草を植えたときはつぼみだったのです。すごい生命力です。

今頃は指宿もゆりやアマリリスがきれいかなあ。
それから、かわいいみかんの実です。
そうそう、落ちていた梅、1キロを今日はジュースにしました。
で、ついでながら、今日、またまた宮尾登美子さんの新しい小説を買って読み始めたのですが、かまやは「釜屋」って書くんだあと初めて(遅すぎる)知りました。
だって、ふるさとの指宿に「かまや」があったのです。
わが家の敷地には、かまやと呼ばれる家と、商売をするいろんな機械がある家と寝泊りする大きな家と石の倉つまり倉庫がありました(もっぱら台風の避難所になっていましたが)そして、果物のなる木々、花々、野菜などひろ~い畑と庭がありました。
こどもの頃は当たり前でそんなに広いと思いませんでしたが、今、帰省すると広かったんだなあと思います。
小さいときはそのうえに、海岸のところにも一軒家がありました。瓦工場をしていたとか…
車がありました。タイヤがみっつ。誰か雇っていた人が運転していたとか…。
みんなで魚見岳のふもとの田良浜で、写した写真ありです。
父の八の字のひげ、なかなか恰幅よくダンディ。母は教師を辞めたばかりの頃できれいだなと思う。従兄弟や姉や兄や近所の方々がたくさん写っています。
かまやではお手伝いの大工さんに夕食を差し上げていました。
電話も、私が気づいたときはありました。酔っ払いが来て電話のある土間に大の字に寝たのを思い出します。
商売をしていたので、いろんなものがあったのでしょうねえ。
懐かしき思い出です。
そういえば、お手伝いさんもいました。
ろうあ者の方で、明るくて、優しいおねえさん。
私が学生時代に手話を習ったのも自然な成り行きだった気がします。
耳の不自由なご夫婦とも電車の中で知り合い、手話を教わりました。
いい時間だったなあと思います。
お元気かなあ…お元気でいらしてほしいな。
懐かしい歌を聴きながら、「かまや」から、父や母、妹…昔を思い出しました。
夫が熊本の実家へ帰るのもわかるような気がする私です。
流れる曲が心に染みた。
昭和30年代の歌だったのか。
それも吉田正さん作曲の歌だったんだとあらためて思う。
今夜見たテレビの音楽番組です。
誰よりも君を愛す…か。
いいなあ。
そんな人いないなあと思う。
う~ん…
ここで、夫といわないといけないのかなあ…なんて…ねっ。









どれもこれも懐かしい。
三田明の美しい十代はよく歌ったし、久保浩さんなんて、本当に久しぶりで、お元気だったのねえと思う。
フランク永井、松尾和子のムード音楽大好きだった。
母が懐メロを楽しそうに聞いているのを見て「そんなものかな」と思っていたけど、今の私が全く母の姿だ。
吉田正さんが歌った「異国の丘」
涙を誘う。
恵庭市のDさんのお祖父様のシベリア抑留を想う。
どんなに辛かったことでしょう。
井上こみち先生の童話「海を追ってきたクロ」をも思い出す。
歌っていいなあ。
短い歌詞、リズム、メロディで3分から5分で人の心を温かくする。
いろんなそのときの自分の「絵」が浮かぶ。
そして、元気が出ます。
ありがとう。吉田正さん。
今日が命日だとのこと…やすらかに。
そして、作詞家の佐伯孝夫さん、岩谷時子さんもいいな。
わが家のお花です。
帰宅して写しました。
私のブログ名「あじさい物語」のあじさいが少し色づきました。

そして、なんとゆりの花が咲きました。ふるさと指宿からもってきたものです。
貴重な1本。向きを変えて撮りました。
今朝早く、昨日、買ってきたマリーゴールドや日々草を植えたときはつぼみだったのです。すごい生命力です。



今頃は指宿もゆりやアマリリスがきれいかなあ。
それから、かわいいみかんの実です。

そうそう、落ちていた梅、1キロを今日はジュースにしました。
で、ついでながら、今日、またまた宮尾登美子さんの新しい小説を買って読み始めたのですが、かまやは「釜屋」って書くんだあと初めて(遅すぎる)知りました。
だって、ふるさとの指宿に「かまや」があったのです。
わが家の敷地には、かまやと呼ばれる家と、商売をするいろんな機械がある家と寝泊りする大きな家と石の倉つまり倉庫がありました(もっぱら台風の避難所になっていましたが)そして、果物のなる木々、花々、野菜などひろ~い畑と庭がありました。
こどもの頃は当たり前でそんなに広いと思いませんでしたが、今、帰省すると広かったんだなあと思います。
小さいときはそのうえに、海岸のところにも一軒家がありました。瓦工場をしていたとか…
車がありました。タイヤがみっつ。誰か雇っていた人が運転していたとか…。
みんなで魚見岳のふもとの田良浜で、写した写真ありです。
父の八の字のひげ、なかなか恰幅よくダンディ。母は教師を辞めたばかりの頃できれいだなと思う。従兄弟や姉や兄や近所の方々がたくさん写っています。
かまやではお手伝いの大工さんに夕食を差し上げていました。
電話も、私が気づいたときはありました。酔っ払いが来て電話のある土間に大の字に寝たのを思い出します。
商売をしていたので、いろんなものがあったのでしょうねえ。
懐かしき思い出です。
そういえば、お手伝いさんもいました。
ろうあ者の方で、明るくて、優しいおねえさん。
私が学生時代に手話を習ったのも自然な成り行きだった気がします。
耳の不自由なご夫婦とも電車の中で知り合い、手話を教わりました。
いい時間だったなあと思います。
お元気かなあ…お元気でいらしてほしいな。
懐かしい歌を聴きながら、「かまや」から、父や母、妹…昔を思い出しました。
夫が熊本の実家へ帰るのもわかるような気がする私です。